京都・北摂
ケーブル愛宕駅跡
京都府
最終更新:kamigata
基本情報
標高 | 715m |
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場所 | 北緯35度02分55秒, 東経135度38分21秒 |
階段状のホーム、駅舎が現存。
駅舎は柱が鉄骨むき出しになった廃墟。いつ崩壊してもおかしくない。中はがらんどうの床で一部改札等の基礎のみ残る。
2階建ての建物で、2階へは階段が。そこから鉄ハシゴで屋上に行ける。屋上は亀岡側の展望が素晴らしい。
ホテル、飛行塔を備えた遊園地が近くの山上にあった
駅舎は柱が鉄骨むき出しになった廃墟。いつ崩壊してもおかしくない。中はがらんどうの床で一部改札等の基礎のみ残る。
2階建ての建物で、2階へは階段が。そこから鉄ハシゴで屋上に行ける。屋上は亀岡側の展望が素晴らしい。
ホテル、飛行塔を備えた遊園地が近くの山上にあった
危険個所 | 駅舎はいつ崩壊してもおかしくない。廃線跡、駅舎とも転落の危険あり |
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展望ポイント |
山の解説 - [出典:Wikipedia]
{|他線などの名称は当線廃止当時
|}
|}
愛宕山鉄道(あたごさんてつどう)は、現在の京都府京都市右京区の嵐山駅から清滝駅までの普通鉄道路線(平坦線)と、清滝川駅から愛宕駅までのケーブルカー(鋼索鉄道)を第二次世界大戦前に運営していた鉄道事業者。
京阪電気鉄道と京都電燈の共同出資会社であった。
愛宕山の愛宕神社へ向かう参詣路線として建設され、あわせて同社の手により山麓の清滝に清滝遊園地が、また愛宕山にホテルや飛行塔のある愛宕山遊園地、スキー場、テント村などが設置されて賑わった。しかし、世界恐慌の影響で業績が下降したため、京阪電気鉄道と京都電燈の手で再建が試みられた。その後、戦時中に全線が不要不急線に指定され、戦中時の軍需物質不足に伴いレールを軍に供出したことから廃線となり、戦後も復活することはなかった。廃線と同時に、ホテルなどの観光施設もすべて閉鎖され復活することなく自然に還ることとなり、愛宕山地区のリゾート施設は幻と消えてしまった。
付近の山
この場所を通る登山ルート
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20 8
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