埼玉県の山(分県登山ガイド)
奥秩父
埼玉県
最終更新:japanet
基本情報
標高 | 615m |
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場所 | 北緯36度01分41秒, 東経138度55分55秒 |
「新編武蔵風土記稿」には「要害山」として記述されているが、要害山というと甲府にある山の印象が強いので、ここでは加明地集落の呼称である戸蓋山で登録した。新ハイ浦和支部による「埼玉百山」に選定されている。
戸蓋峠から短時間で山頂に達することができる(写真一覧の概念図を参照)。ただし、途中にナイフリッジ(大軍の侵入を防ぐため、人為的に改変された可能性がある。) があり、スリルを味わうことができる。
信州、西上州から秩父に入る要路であった戸蓋峠の入口にあるため、戦国期以前に城郭が築かれた。また、戸蓋峠をはさんで鷹谷砦が対峙している。戦国期には武田勢が数度にわたり攻めてきており、戸蓋峠が重要な防御拠点であったことがうかがえる。なお、古代〜戦国期の西秩父の政治経済の中心は旧両神村の薬師堂付近および塩沢城であった。
↓要害山(戸蓋山)の城郭址に関する記事(外部リンク)
http://www.geocities.jp/tsukayan0112/joukan-saitama/yougaisan-oganomati/yougaisan-oganomati.html
戸蓋山の名称は戸蓋峠に由来すると思われるが、戸蓋峠の由来は、いざというときに防御線となる「戸に蓋をする」という意味からきていると考えられる。
戸蓋峠から短時間で山頂に達することができる(写真一覧の概念図を参照)。ただし、途中にナイフリッジ(大軍の侵入を防ぐため、人為的に改変された可能性がある。) があり、スリルを味わうことができる。
信州、西上州から秩父に入る要路であった戸蓋峠の入口にあるため、戦国期以前に城郭が築かれた。また、戸蓋峠をはさんで鷹谷砦が対峙している。戦国期には武田勢が数度にわたり攻めてきており、戸蓋峠が重要な防御拠点であったことがうかがえる。なお、古代〜戦国期の西秩父の政治経済の中心は旧両神村の薬師堂付近および塩沢城であった。
↓要害山(戸蓋山)の城郭址に関する記事(外部リンク)
http://www.geocities.jp/tsukayan0112/joukan-saitama/yougaisan-oganomati/yougaisan-oganomati.html
戸蓋山の名称は戸蓋峠に由来すると思われるが、戸蓋峠の由来は、いざというときに防御線となる「戸に蓋をする」という意味からきていると考えられる。
山頂 |
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