多摩百山
奥多摩・高尾
埼玉県
東京都
最終更新:hirohisa
基本情報
標高 | 1444m |
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場所 | 北緯35度52分29秒, 東経139度04分57秒 |
奥多摩の長沢背稜に位置する蕎麦粒山の少し西の尾根にある峠で、ここから北側に仙元尾根を降りていくと大楢を経由して浦山大日堂に降りて行くことができる。
一般の峠が尾根の鞍部であるのに対し、この仙元峠はピーク部にある。このため、かつては「仙元嶺」とも呼ばれていたようである。
江戸時代までは富士詣り、一石(日原鍾乳洞)詣りなどの信仰や交易に多く利用された。当時は奥多摩側の展望が開け、足腰の弱い者は、この峠で富士の姿を拝んて引き返したとも言われる。
しかし明治以降になると、細久保から一杯水の東側に出るルートが日原への近道であるため多く利用されるようになり、仙元峠の道は廃れていく。明治31年には仙元峠で登山者が凍死する事故が発生し、登山者にも恐れられるようになる。明治34年の紀行文では「無比の険路」として紹介されていたそうである。
峠の脇にあったブナの巨木は、2011年秋の台風で倒木した。これが仙元尾根への従来の道を塞いだため、仙元尾根へ下る道の入口がわかりにくくなった。
一般の峠が尾根の鞍部であるのに対し、この仙元峠はピーク部にある。このため、かつては「仙元嶺」とも呼ばれていたようである。
江戸時代までは富士詣り、一石(日原鍾乳洞)詣りなどの信仰や交易に多く利用された。当時は奥多摩側の展望が開け、足腰の弱い者は、この峠で富士の姿を拝んて引き返したとも言われる。
しかし明治以降になると、細久保から一杯水の東側に出るルートが日原への近道であるため多く利用されるようになり、仙元峠の道は廃れていく。明治31年には仙元峠で登山者が凍死する事故が発生し、登山者にも恐れられるようになる。明治34年の紀行文では「無比の険路」として紹介されていたそうである。
峠の脇にあったブナの巨木は、2011年秋の台風で倒木した。これが仙元尾根への従来の道を塞いだため、仙元尾根へ下る道の入口がわかりにくくなった。
峠 | |
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分岐 |
付近の山
この場所を通る登山ルート
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奥多摩・高尾
09:1315.5km1,486m4
42 24
2024年11月09日(日帰り)