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明智越(あけちごえ)

最終更新:DR3104
基本情報
場所 北緯35度01分37秒, 東経135度36分21秒
カシミール3D
簾戸口の説明板より。
保津より嵯峨へ越える峰の道を明智越という。この道は保津町東方山麓要害の地を占めて南北朝時代に頭をもたげる保津城の搦手を登り口として緩やかな坂道を登りきると、山道の最高峰、峯の堂に達する。それより、見晴らしのよい平坦な尾根伝いの道を行くと、鐘撞堂跡、さらに下り尾根道の土用水の霊泉をすぎ、水尾から嵯峨鳥居本に達する。この間、およそ8キロメートル。
明智光秀公、天正10年(1582)5月17日、安土城を去って光秀公の築城した水城坂本城に帰り、同26日秀吉を救援すべく中国遠征の軍を整えるため、公が智謀を傾けて築城した亀山城へ入った。同27日「はた」に山塞を構えた愛宕山次郎坊に属する僧兵(寺侍)に案内されて、愛宕山将軍地蔵に願を描け、太郎坊の鬮を占って運を定め、28日西坊に於いて連歌の師匠絶巴と連歌をよみ神前に納めた。光秀公の発句に「ときは今、天が下知る五月哉」は、公の心境を物語るものとしてあまねく後世に語り継がれている。
亀山に帰った光秀公は6月1日午後10時、15000騎の軍を三段に備えて、北より明知越(神越)、唐櫃越、老ノ坂越の三面より本能寺に向かったのである。

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