比良山系
織田の隠れ岩
滋賀県
最終更新:綿はる
基本情報
場所 | 北緯35度22分02秒, 東経135度55分12秒 |
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信長の隠れ岩
「西山」の登山口にもなります。
戦国武将・織田信長は元亀元年(1570)4月、越前の朝倉義景を討伐するために敦賀へ侵攻していましたが、妹婿であった浅井長政が裏切ったとの情報を得て急きょ撤退を決意、同月30日に京都へ引き返します。その退路として通ったのが今津町保坂から大津市葛川へ抜ける裏ルート「朽木越え」でした。
信長が来ることを知った当地の領主・朽木元綱は、甲冑姿で出迎えようとしました。この武装姿に驚いた信長は、同行の松永久秀と森三左衛門 (可成)に元綱の真意を確かめに行かせます。そして元綱に敵意がないことを確認できるまで、ここ三ツ石の岩窟に身をひそめて待機したと伝 えられています。
平服に着替えた元綱は、信長を下市場の圓満堂でもてなした後、朽木城に宿泊させ、翌日京都までの警護役も務めました。(圓満堂跡はここから南へ約1キロの下市場の集落内にあります。)
「西山」の登山口にもなります。
戦国武将・織田信長は元亀元年(1570)4月、越前の朝倉義景を討伐するために敦賀へ侵攻していましたが、妹婿であった浅井長政が裏切ったとの情報を得て急きょ撤退を決意、同月30日に京都へ引き返します。その退路として通ったのが今津町保坂から大津市葛川へ抜ける裏ルート「朽木越え」でした。
信長が来ることを知った当地の領主・朽木元綱は、甲冑姿で出迎えようとしました。この武装姿に驚いた信長は、同行の松永久秀と森三左衛門 (可成)に元綱の真意を確かめに行かせます。そして元綱に敵意がないことを確認できるまで、ここ三ツ石の岩窟に身をひそめて待機したと伝 えられています。
平服に着替えた元綱は、信長を下市場の圓満堂でもてなした後、朽木城に宿泊させ、翌日京都までの警護役も務めました。(圓満堂跡はここから南へ約1キロの下市場の集落内にあります。)
登山口 |
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付近の山
この場所を通る登山ルート
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比良山系
07:1536.9km2,823m8
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2024年06月08日(日帰り)