あおもり110山
東北
馬ノ神山(まのかみやま)
青森県
最終更新:イグルスキー米山
基本情報
標高 | 549.2m |
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場所 | 北緯40度49分44秒, 東経140度34分37秒 |
弘前など西津軽と青森など東津軽を分ける津軽山地(中山山地)南部の最高峰。山頂には両地域の放送や通信の電波を中継する電波塔が昭和40年代以降林立している。そのメンテのため車道あり。地上波電波通信業界では重要な山。
梵珠山から北には馬ノ神山、摩ノ岳があり、これらは奈良時代、東日流(つがる)三千坊の一つ、高野梵珠千坊のある聖山として崇められる修験場だった。
馬ノ神山は別名法隆山といい、法身院が建立された。津軽の蝦夷を征伐にきた田道上毛野将軍は、この地にいた荒吐一族に敗れ、摩利沢を登って馬ノ神山の山頂まで来たが、肩に受けた毒矢の毒がまわってここで落命したという。
荒吐一族はこの山をイシカホノリと称し、光る山と怖れて、決して山に入らなかった。それは、山火事がおこり、折からの東風に煽られて中山全峰が四十日も燃え続けたことがあり、その時、大熊が火を逃れて荒吐一族の住居を襲い、多くの同朋が食い殺されてしまったことによるという。(青森県山岳風土記 山田耕一郎 北の街社刊1979 P81,2より。出典は江戸期1791年に書かれた「東日流中山梵珠山之事」とのこと)
梵珠山から北には馬ノ神山、摩ノ岳があり、これらは奈良時代、東日流(つがる)三千坊の一つ、高野梵珠千坊のある聖山として崇められる修験場だった。
馬ノ神山は別名法隆山といい、法身院が建立された。津軽の蝦夷を征伐にきた田道上毛野将軍は、この地にいた荒吐一族に敗れ、摩利沢を登って馬ノ神山の山頂まで来たが、肩に受けた毒矢の毒がまわってここで落命したという。
荒吐一族はこの山をイシカホノリと称し、光る山と怖れて、決して山に入らなかった。それは、山火事がおこり、折からの東風に煽られて中山全峰が四十日も燃え続けたことがあり、その時、大熊が火を逃れて荒吐一族の住居を襲い、多くの同朋が食い殺されてしまったことによるという。(青森県山岳風土記 山田耕一郎 北の街社刊1979 P81,2より。出典は江戸期1791年に書かれた「東日流中山梵珠山之事」とのこと)
山頂 |
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山の解説 - [出典:Wikipedia]
馬ノ神山(まのがみやま)とは、青森県五所川原市と青森市の境界にある標高549.2mの山である。当山は、中山山脈の一部を成している。付近の山
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