奥秩父
山梨県
最終更新:gezansya
基本情報
標高 | 1990m |
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場所 | 北緯35度51分35秒, 東経138度37分48秒 |
谷川に傾いた大きな一枚岩。
鎖あります。
この場所を一部で「片手廻しと言う」とされているが、それは間違い。
この鎖場の約300m北にある奇岩「片手廻し岩」と混同している。
↑上記4行のpasocom氏ご編集文章とは異なる見解を以下に記載しました。
以下hachiの追記文 2021/07/02:
「片手廻し」の場所は御室小屋上約80mの大きな一枚岩のところを指すと思うのだが、一部の方の記録を拝見するとその岩より300m程北にある奇岩のある場所を「片手廻し岩」または「片手廻し」と呼んでいる。そして私の思っている「片手廻し」の場所を単に「岩場」その一枚岩の上部のギザギザした岩の連なりを「トサカ」と称している。
片手廻しの場所は最近の地図で名前すら書かれていないが古い山の案内書〇海鳩銘社「奥秩父・大菩薩嶺」芳賀正太郎編集昭和50年版、⊂縞玄辧屮┘螢▲泪奪2金峰山・・」雨宮敦雄編集昭和59年版や、F地出版「奥秩父」梶玲樹及び横山厚夫編集昭和59年版などには記載がある。またこれらの地図には御室小屋上約80mの大きな一枚岩のところが「片手廻し」と書かれている。
例えば山と渓谷社「奥秩父・大菩薩嶺」芳賀正太郎編集には添付した文面のように「片手廻しと呼ばれるケイオウ谷側に傾く一枚岩の通過に気をつけたい。鎖はあるのだが、短いので注意が必要だ・・・」また「金峰山御室小屋の上部の岩場を片手廻しと呼ぶ。そこには垂直な岸壁で足元は外傾したバンドになっている。あまりの剣路のため片手をまわして通過しなければならないものだからついた名であろう。・・・」と記載されている。
一方朋文堂「奥秩父研究」原全教著昭和34年では奇岩のある場所を「片手廻シ」と書いている。
しかし現場の状況や芳賀正太郎編集や他の案内書の内容からは御室小屋上約80mの大きな一枚岩のところを「片手廻し」と呼ぶのが正しいだろうと思うのは私だけだろうか。どう考えても奇岩(岩の上に岩が乗っている)ところが片手廻しというのは不自然だろう。
以下gezansya記
上記で「奥秩父研究」原全教著の引用があるが、少し省略されているのでもう少し原文を紹介したい。
『(御室小屋跡から)右へ尾根を登る。しばらく黒木立で一〇分余、右手に板を重ねたような岩が立ち足もとは六坪くらいの平岩で左方谷へ傾き鎖につかまって登る。(中略)富士が見える。かつて慶応の学生がおちて惨死した所である。それをつっきると右手に岩頭が二つ、その根を伝ってゆく。ここがトサカである。(中略)鎖から一七分くらい。また密林となって一二,三分で右手に片手回シという巨岩を仰ぐ。その根の所に11丁の石と祠がある。一つの台岩上に拳の形をした大きな岩がのっている。(以下略)』
以上の文から推察すると、片手回しは鎖場の名称ではなく、巨岩の名称と判断できる。
また巨岩を北側基部(11丁石)から見ると、右腕が左側の岩をかかえているようにも見える。登録写真(pasocom氏)でも確認できる。
ちなみに大弛峠に立つ大弛峠鳥瞰図(山梨県2016/10)にはクサリと鶏冠岩の名称が並記され、この上方位置に「弁慶の片手回し」がある。
なおクサリ場は片腕を回しながらは登れない。両手でしっかりクサリを握らなければならない。
鎖あります。
この場所を一部で「片手廻しと言う」とされているが、それは間違い。
この鎖場の約300m北にある奇岩「片手廻し岩」と混同している。
↑上記4行のpasocom氏ご編集文章とは異なる見解を以下に記載しました。
以下hachiの追記文 2021/07/02:
「片手廻し」の場所は御室小屋上約80mの大きな一枚岩のところを指すと思うのだが、一部の方の記録を拝見するとその岩より300m程北にある奇岩のある場所を「片手廻し岩」または「片手廻し」と呼んでいる。そして私の思っている「片手廻し」の場所を単に「岩場」その一枚岩の上部のギザギザした岩の連なりを「トサカ」と称している。
片手廻しの場所は最近の地図で名前すら書かれていないが古い山の案内書〇海鳩銘社「奥秩父・大菩薩嶺」芳賀正太郎編集昭和50年版、⊂縞玄辧屮┘螢▲泪奪2金峰山・・」雨宮敦雄編集昭和59年版や、F地出版「奥秩父」梶玲樹及び横山厚夫編集昭和59年版などには記載がある。またこれらの地図には御室小屋上約80mの大きな一枚岩のところが「片手廻し」と書かれている。
例えば山と渓谷社「奥秩父・大菩薩嶺」芳賀正太郎編集には添付した文面のように「片手廻しと呼ばれるケイオウ谷側に傾く一枚岩の通過に気をつけたい。鎖はあるのだが、短いので注意が必要だ・・・」また「金峰山御室小屋の上部の岩場を片手廻しと呼ぶ。そこには垂直な岸壁で足元は外傾したバンドになっている。あまりの剣路のため片手をまわして通過しなければならないものだからついた名であろう。・・・」と記載されている。
一方朋文堂「奥秩父研究」原全教著昭和34年では奇岩のある場所を「片手廻シ」と書いている。
しかし現場の状況や芳賀正太郎編集や他の案内書の内容からは御室小屋上約80mの大きな一枚岩のところを「片手廻し」と呼ぶのが正しいだろうと思うのは私だけだろうか。どう考えても奇岩(岩の上に岩が乗っている)ところが片手廻しというのは不自然だろう。
以下gezansya記
上記で「奥秩父研究」原全教著の引用があるが、少し省略されているのでもう少し原文を紹介したい。
『(御室小屋跡から)右へ尾根を登る。しばらく黒木立で一〇分余、右手に板を重ねたような岩が立ち足もとは六坪くらいの平岩で左方谷へ傾き鎖につかまって登る。(中略)富士が見える。かつて慶応の学生がおちて惨死した所である。それをつっきると右手に岩頭が二つ、その根を伝ってゆく。ここがトサカである。(中略)鎖から一七分くらい。また密林となって一二,三分で右手に片手回シという巨岩を仰ぐ。その根の所に11丁の石と祠がある。一つの台岩上に拳の形をした大きな岩がのっている。(以下略)』
以上の文から推察すると、片手回しは鎖場の名称ではなく、巨岩の名称と判断できる。
また巨岩を北側基部(11丁石)から見ると、右腕が左側の岩をかかえているようにも見える。登録写真(pasocom氏)でも確認できる。
ちなみに大弛峠に立つ大弛峠鳥瞰図(山梨県2016/10)にはクサリと鶏冠岩の名称が並記され、この上方位置に「弁慶の片手回し」がある。
なおクサリ場は片腕を回しながらは登れない。両手でしっかりクサリを握らなければならない。
危険個所 | |
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展望ポイント |