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最終更新:ヤマレコ/YamaReco
信仰が色濃く続く「近畿の屋根」
大峰山は奈良県南部の山々の総称です。広義には紀伊山地の南北に連なる脊梁山脈を指し、「大峰山脈」とも呼ばれるほか、「近畿の屋根」「大和アルプス」などと謳われることがあります。また狭義には山脈の南部や、山上ヶ岳を指すこともあるようです。
大峰山は古来、修験道が栄えてきました。開山は修験道の開祖とされる役小角(えんのおづぬ、えんのおづの:634-706年)とされています。山々には信仰を表す名前が付けられ、霊地や行場がいくつも残ります。
霊山と、修行場に相応しい深山幽谷を味わえる山です。
近畿地方最高峰・八経ヶ岳
八経ヶ岳は大峰山で最も高い山です。近畿地方においても最高峰で、標高は1915mです。大峰山は日本百名山に選ばれていますが、踏破の際は一般的にこの山が登山対象とされています。
山名の由来は、役小角が法華経八巻を埋めたからと伝えられ、「仏経ヶ岳」「八剣山」なる別名もあります。
八経ヶ岳の上部はトウヒやシラビソの原生林が広がり、所々で木々が立ち枯れています。
山頂は露岩でごつごつとし、傍らには錫杖が突き立っています。
見晴らしはよく、大峰山の峰々や金剛山、大台ヶ原山などを望みます。
女人禁制の山上ヶ岳
大峰山は古くから信仰が盛んです。
その中心地は山上ヶ岳で、修験道の根本道場である大峰山寺といくつかの宿坊があります。
山上ヶ岳の周辺は女人禁制が敷かれており、1300年以上の歴史を刻みます。今も、女性の立ち入りは控えるよう求められています。
世界遺産の大峰奧駈道
大峰信仰で盛んに行われているのは「峯入り(みねいり)」や「入峯(にゅうぶ)」などと呼ばれる山駆けです。白装束をまとい、峻険な山道を歩き通すことで自己を見つめ直します。
修行場として拓かれた道は、熊野から八経ヶ岳や山上ヶ岳を経て、吉野へと約80kmにわたります。この山脈を大縦走する古道は「大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)」と呼ばれ、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部を成しています。
また「西ノ覗」なる荒行も有名です。命綱1本で絶壁に身を乗り出し、死と生まれ変わりを疑似体験します。
梅雨時の天女・オオヤマレンゲ
大峰山を代表する花と言えばオオヤマレンゲです。
毎年7月上旬が盛りで、真っ白く気品漂う様から"天女花"との異名も持ちます。天女なる由来はもう一つあり、険しい山奥で天候の優れない梅雨に咲くため、滅多に会えないことを例えたと言われています。
弥山から八経ヶ岳にかけてよく自生しており、国の天然記念物に指定されています。
八経ヶ岳への最短ルート
八経ヶ岳登山を日帰りで楽しむ場合、たいていは行者還トンネル西口から往復します。
登山口へはマイカーまたはタクシーを利用しますが、冬期はアプローチで通行する道路が閉鎖されます。
出発すると、沢沿いからすぐ尾根道に入ります。奥駈道出合までは、シャクナゲやシロヤシオが茂る急な登りです。
大峰奧駈道に合流すれば、快適な稜線歩きです。
弁天ノ森を過ぎると、八経ヶ岳と弥山が堂々と立つ姿を眺めることができます。
聖宝ノ宿跡には、理源大師象が祀られています。彼は役小角の没後に、衰退していた修験道を再び繁栄させたとされる名僧です。
弥山の山頂には弥山神社が鎮座しています。
泊まりで行きたいロングルート
天川村役場近くの、川合登山口からも八経ヶ岳を目指すことができます。
こちらは公共交通機関の利用時や、より長く歩きたい場合、冬場の入山などで利用されています。
行動時間が長くなるため、1泊2日での山行がお勧めです。
宿泊地となる弥山小屋は、弥山の山頂直下に建ち、テント場を備えています。
登山口 |
行者還トンネル西口 川合登山口 |
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周辺の山小屋 |
弥山小屋 狼平避難小屋 |
基本情報
標高 | 1914.6m |
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場所 | 北緯34度10分24秒, 東経135度54分26秒 |
近畿地方・大峰山脈の最高峰。
山頂 | 八経ヶ岳、八剣山、仏経ヶ岳 |
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展望ポイント |
山の解説 - [出典:Wikipedia]
大峰山(おおみねさん)は、奈良県の南部にある山。大峯山とも。現在では広義には大峰山脈を、狭義には山上ヶ岳(さんじょうがたけ)を指す。歴史的には「大峰山」は、大峰山脈のうち山上ヶ岳の南にある小篠(おざさ)から熊野までの峰々の呼び名であった。対して小篠から山上ヶ岳を含み尾根沿いに吉野川河岸までを金峰山という。歴史的に使われてきた呼称および修験道の信仰では、青根ヶ峰より南を「大峯」、以北を吉野としてきた。
この一帯は1936年(昭和11年)に吉野熊野国立公園に指定され、1980年(昭和55年)にはユネスコの生物圏保護区(ユネスコエコパーク)に登録(登録名:大台ケ原・大峯山・大杉谷)、さらに2004年(平成16年)7月、ユネスコの世界遺産に「紀伊山地の霊場と参詣道」の文化的景観を示す主要な構成要素として、史跡「大峯山寺」「大峯奥駈道」ほかが登録された。
吉野から熊野に至る大峯奥駈道は、古来の自然信仰と渾然一体となった中国渡来の神仙思想や道教、仏教の修行のために、藤原京や平城京からこの地を訪れた僧侶(修験者)によって切り開かれたことに始まり、飛鳥時代の終わり頃の文部天皇の時期に役小角によって開山された。熊野修験が勢力を伸ばす中で長久年間(1040年 - 1044年)に修験者(義叡、長円)により熊野から吉野までの大峯奥駈道が体系付けられた。山伏が大峯で修行することを「峯(みね)入り」「入峯(にゅうぶ)」と言い、熊野から吉野へ抜けることを「順峯」、吉野から熊野まで詣でることを「逆峯」と呼んでいる。室町時代以降、京都などに近い吉野から入山する逆峯が多くなった。
大峯山は役小角を開祖とする修験道の根本道場とされ、奈良県の山上ヶ岳は現在でも女人禁制を守っている。
深田久弥の随筆『日本百名山』やそれを元にした各種一覧表では、大峰山 (1,915 m) とあるが、これは広義でいう大峰山の最高峰「八経ヶ岳」(八剣山)の標高である。『日本百名山』において深田久弥は山麓の吉野郡天川村洞川(どろがわ)から山上ヶ岳に登った。宿坊で泊まり翌朝山頂に立つとそこから南へと大峰山脈縦走路(大峯奥駈道)に入り大普賢岳、行者還岳を経て夕方に弥山(みせん)の山小屋に着き、翌朝に近畿の最高地点である八経ヶ岳の山頂に登った。縦走路はさらに南へ続くが大峰山最高峰到達に満足し山を下ったとされる。
大峰山の麓、天川村には日本三大弁財天の一つ(異説もあるが)で古い歴史を持つ天河大弁財天社があり、弥山の山頂にはその奥宮がある。
1984年(昭和59年)8月、大峰山寺の解体修理に伴う外陣回りの発掘調査で、山岳宗教史上の大発見として黄金仏2体が検出された。
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