(はじめに)
近畿地方(関西地方)の中心地は言うまでもなく、大阪、神戸、京都を中心とした「京阪神地区」で、人口も多いことから、登山人口も多いものと思います。
これら「京阪神地区」の方々が、山歩き、ハイキングへと気軽に向かう山々が「京阪神地区」の平野、盆地の周辺にいくつかあります。
それらの山々のうち、この章では大阪、神戸周辺の山々について、その地質と地形(山地形成メカニズム)を説明します。
(なお、京都盆地周辺の山々については、次の章で説明します)
これら「京阪神地区」の方々が、山歩き、ハイキングへと気軽に向かう山々が「京阪神地区」の平野、盆地の周辺にいくつかあります。
それらの山々のうち、この章では大阪、神戸周辺の山々について、その地質と地形(山地形成メカニズム)を説明します。
(なお、京都盆地周辺の山々については、次の章で説明します)
1)六甲山地
六甲山地(ろっこうさんち)は大部分が神戸市に含まれる場所にあり、神戸市の市街地のすぐ北側に東西方向へと約30kmと長く延びています。その最高地点の標高は約931mです。
この山地の稜線部にはドライブウェーも走っていたり、山麓から稜線部までロープウェーがかかっていたりと、登山、ハイキングだけでなく、観光などでも立ち寄る人が多い山地と言えます。一方で「六甲(山地)全山縦走」は、かなりハードな縦走としても知られています。
また、この山地の南麓にあたる神戸市から尼崎市辺りにかけて、地下に伏在していた活断層が動いて、1995年の阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)を引き起こしたことも良く知られています。
以下、六甲山地の地形的な面、地質的な面について順に説明します。
この山地の稜線部にはドライブウェーも走っていたり、山麓から稜線部までロープウェーがかかっていたりと、登山、ハイキングだけでなく、観光などでも立ち寄る人が多い山地と言えます。一方で「六甲(山地)全山縦走」は、かなりハードな縦走としても知られています。
また、この山地の南麓にあたる神戸市から尼崎市辺りにかけて、地下に伏在していた活断層が動いて、1995年の阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)を引き起こしたことも良く知られています。
以下、六甲山地の地形的な面、地質的な面について順に説明します。
1−1)六甲山地の山地形成メカニズム
さて六甲山地は、この連載の10−1章でも多少ふれたように、断層によって形成された山地です。六甲山地の南側には、前述の大地震を引き起こした断層を含めて多数の活断層があり、活動のセンス(方向)は、一部は右ずれ成分を持つ横ずれ断層として、また一部は北側(山地側)が隆起する逆断層としての活動センスを持っています(文献1−a)。これらの活断層群はまとめて「六甲断層系」と呼ばれています(文献1−b)。
(文献1―a)によると、この「六甲断層系」による六甲山地側の隆起速度は、少なくとも 約25cm/1000年(別の研究では 約100cm/1000年という推定値あり)という大きな隆起量を示します。
隆起開始時期やその推移については必ずしも明確ではありませんが、隆起の始まりが100万年前以降、本格的な隆起が約50万年以降、という推定もなされています(文献1−a)。
六甲山地は、南麓の神戸市側から見ると大きな壁のようにそそり立っていますが、稜線部は山稜方向(ほぼ東西)で見ると、ドライブウェーが走れるほどに高低差が少なく、一種の小起伏面を形成しており、さらにこの一部には、元々大阪盆地内で形成された「大阪層群」という地質が分布していることからも(文献1−a)、元々は海の中にあった場所が断層活動によって急速に隆起して形成された若い山地だと言えます。
なお、六甲山の北麓、有馬温泉側にも実は断層帯があります。これらの断層群のうち活断層群としては、有馬温泉付近が西端で、東方向へと延びて大阪府 北摂地域の山地部分と平野部分を区切る断層帯に続いており、まとめて「有馬−高槻活断層系」と呼ばれます(文献1−b)。
この断層系も、前述の大地震の際に活動したと推定されていますが、この断層系の活動センスは基本的に「右横ずれ」が中心なので(文献1−b)、六甲山地の形成に直接的には寄与していないと思われます。(ただし大阪府の茨木市、高槻市付近では北上がりの逆断層としての活動センスも確認されています(文献1−b)。
(文献1―a)によると、この「六甲断層系」による六甲山地側の隆起速度は、少なくとも 約25cm/1000年(別の研究では 約100cm/1000年という推定値あり)という大きな隆起量を示します。
隆起開始時期やその推移については必ずしも明確ではありませんが、隆起の始まりが100万年前以降、本格的な隆起が約50万年以降、という推定もなされています(文献1−a)。
六甲山地は、南麓の神戸市側から見ると大きな壁のようにそそり立っていますが、稜線部は山稜方向(ほぼ東西)で見ると、ドライブウェーが走れるほどに高低差が少なく、一種の小起伏面を形成しており、さらにこの一部には、元々大阪盆地内で形成された「大阪層群」という地質が分布していることからも(文献1−a)、元々は海の中にあった場所が断層活動によって急速に隆起して形成された若い山地だと言えます。
なお、六甲山の北麓、有馬温泉側にも実は断層帯があります。これらの断層群のうち活断層群としては、有馬温泉付近が西端で、東方向へと延びて大阪府 北摂地域の山地部分と平野部分を区切る断層帯に続いており、まとめて「有馬−高槻活断層系」と呼ばれます(文献1−b)。
この断層系も、前述の大地震の際に活動したと推定されていますが、この断層系の活動センスは基本的に「右横ずれ」が中心なので(文献1−b)、六甲山地の形成に直接的には寄与していないと思われます。(ただし大阪府の茨木市、高槻市付近では北上がりの逆断層としての活動センスも確認されています(文献1−b)。
1−2)六甲山地の地質
続いて六甲山地を形成している地質について、産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、西端部(鉢伏山:253m)から、東端部(岩倉山;488m)までほぼ全て、白亜紀後期に形成された、花崗岩類(ほとんどが花崗岩で、局所的には花崗閃緑岩)で形成されています(上の、図1もご参照ください)。
実際、六甲山を神戸側から登ると、通称「ロックガーデン」と呼ばれる岩がちの場所など、花崗岩質の地質であることが良く解ります。
それ以外の特徴的な地質体としては、六甲山地の南麓、神戸市東灘区(阪急 岡本駅付近)には、泥岩層(ジュラ紀付加体)が小規模に分布しています。この鍵層により、六甲山地の一帯は、「地帯構造区分」上は、ジュラ紀付加体で特徴づけられる「丹波・美濃帯」に含まれることが解ります。
このように六甲山地付近は元々、「丹波・美濃帯」に属する泥岩、砂岩などのジュラ紀の堆積岩が広く分布しており、さらにその地下には広範囲に花崗岩体(白亜紀)が広がっていた、と推定されます(文献2−a)。 そのような背景を元に、活断層による隆起活動によって、地下に眠っていた花崗岩体が地表に現れて、花崗岩質の山地が形成されたものと推定できます。
なお六甲山地を形成している花崗岩類はまとめて、「六甲花崗岩」と呼ばれており(文献2−b)、形成時期は約75―70Ma(白亜紀後期)と推定されています。
なお、六甲山地の東端にある特徴的な低山である、甲山(かぶとやま:309m)について、地質的特徴を説明します。この山は、標高は低いものの、平野部に突出してポこんとした丸く可愛らしい形をした低山で、平野部や新幹線の車窓から良く目立つ山です。
一見、小型の火山かと見まがうような山容ですが、産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、火成岩の一種ではありますが、地下、比較的浅い場所でマグマが固まってできた、安山岩質の貫入岩(新第三紀 中新世に貫入)、と説明されています。
おそらくはその時代(中新世 中〜後期;約16−7Ma)には、この一帯の地下ではマグマ活動があり、そのマグマの一部が地下で固まってできた岩体と言えます。その後、この一帯が浸食されて、地下に眠っていた岩体が地表に出てきて、周辺部より浸食に強かったため(差別浸食作用)、このような丸っこい特徴的な山容になっていると推定されます。
※”Ma”は、百万年前を意味する単位
実際、六甲山を神戸側から登ると、通称「ロックガーデン」と呼ばれる岩がちの場所など、花崗岩質の地質であることが良く解ります。
それ以外の特徴的な地質体としては、六甲山地の南麓、神戸市東灘区(阪急 岡本駅付近)には、泥岩層(ジュラ紀付加体)が小規模に分布しています。この鍵層により、六甲山地の一帯は、「地帯構造区分」上は、ジュラ紀付加体で特徴づけられる「丹波・美濃帯」に含まれることが解ります。
このように六甲山地付近は元々、「丹波・美濃帯」に属する泥岩、砂岩などのジュラ紀の堆積岩が広く分布しており、さらにその地下には広範囲に花崗岩体(白亜紀)が広がっていた、と推定されます(文献2−a)。 そのような背景を元に、活断層による隆起活動によって、地下に眠っていた花崗岩体が地表に現れて、花崗岩質の山地が形成されたものと推定できます。
なお六甲山地を形成している花崗岩類はまとめて、「六甲花崗岩」と呼ばれており(文献2−b)、形成時期は約75―70Ma(白亜紀後期)と推定されています。
なお、六甲山地の東端にある特徴的な低山である、甲山(かぶとやま:309m)について、地質的特徴を説明します。この山は、標高は低いものの、平野部に突出してポこんとした丸く可愛らしい形をした低山で、平野部や新幹線の車窓から良く目立つ山です。
一見、小型の火山かと見まがうような山容ですが、産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、火成岩の一種ではありますが、地下、比較的浅い場所でマグマが固まってできた、安山岩質の貫入岩(新第三紀 中新世に貫入)、と説明されています。
おそらくはその時代(中新世 中〜後期;約16−7Ma)には、この一帯の地下ではマグマ活動があり、そのマグマの一部が地下で固まってできた岩体と言えます。その後、この一帯が浸食されて、地下に眠っていた岩体が地表に出てきて、周辺部より浸食に強かったため(差別浸食作用)、このような丸っこい特徴的な山容になっていると推定されます。
※”Ma”は、百万年前を意味する単位
2)北摂の山々
この節では、大阪府の北部、池田市、箕面市、茨木市、高槻市などのある、いわゆる「北摂(ほくせつ)地域」のうち、山地を形成している部分の地質について説明します。
この北摂地域には、前節でも説明した「有馬―高槻断層系」と呼ばれる断層群が走っており、平野部と山地部との境に、その断層系があります。この断層系の主な活動センスは右横ずれですが、北摂地域では北上がりの逆断層としての活動センスも持っています(文献1−b)。その断層活動によって北摂地域の山々が形成されたと推定できます。
この地域での具体的な山としては、能勢妙見神社で知られる「妙見山;みょうけんさん、660m)や、変わった名称で知られる「ポンポン山、679m」がありますが、全体にはそれほど目立つピークは無く、準平原的な地形をした山地です。
六甲山地に比べて標高が低く、山容も目立たないのは、上記断層系での北上がりの隆起量が少ないことや、隆起時期が比較的若いことなどが考えられます(この段落は私見です)。
この地域の地質について、産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、結構複雑な地質分布になっており、地形的には平凡なのと対照的に、地質的には非凡です。
(上の、図2もご参照ください)
まず山麓部は、メランジュ相のジュラ紀付加体が分布しており、「地帯構造区分」上では「丹波・美濃帯」に属します。箕面山(355m)辺りがその分布域です。
山地の中心部は、同じような付加体型の地質(砂岩やメランジュ相の地質)が広がっていますが、形成された時代がペルム紀(約3.0〜2.5億年前)の領域と、トリアス紀(約2.5〜2.0億年前)の領域とがありますが、ジュラ紀(約2.0〜1.5億年前)の付加体を特徴とする「丹波・美濃帯」の領域がほとんどありません。
このペルム紀、トリアス紀付加体のゾーンのうち、ペルム紀の付加体部分は通常は「超丹波帯」に属するとされるようですが(文献2−c)、トリアス紀の付加体部分は、「超丹波帯」に属するとするか、「丹波帯」に属するとするか、位置づけは確定していないようで、まだ議論が必要な課題のようです(文献2−c)、(文献2−d)。
またそもそも、日本列島ではトリアス紀の付加体型地質体は非常に分布が少ないので、そういう意味でも興味深い地質ゾーンだと言えます。
(文献2−c)によると、これらのより古い付加体は、構造的下位にあるジュラ紀付加体の上に、ナップ状に乗っかっていると推定されています。
なお妙見山は、ペルム紀付加体(メランジュ相)からなっています。
またポンポン山は、トリアス紀の様々な岩種の付加体からなっています。
ーー
北摂地域ではそれらの付加体型堆積岩層とは別に、火成岩(深成岩)からなるゾーンがありますが、岩石学的に興味深いので、少し詳しく述べます。(図2もご参照ください)
このゾーンは、茨木市北部の山間部を中心とした一帯に位置し、東西 約6km、南北 約10kmの範囲に、付加体型の地質を突き破るような形で分布しています。(文献2−b)によるとこの岩体は、「茨木複合花崗岩(体)」、あるいは「能勢岩体」などと呼ばれるようです。
このゾーンに分布している岩石の種類は、産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、花崗岩、花崗閃緑岩、閃緑岩(いずれもマグマ由来の深成岩)が分布しています。分布形状が非常に特徴的で、最も周辺部には閃緑岩、続いて花崗閃緑岩、中心部には花崗岩、と同心円状に異なる種類の深成岩が分布しています。
このような岩石の分布ができた原因は、当時のマグマ溜りが地下で、周辺部から徐々に冷却していった結果、析出しやすい鉱物が周辺で析出してまずは閃緑岩ができ、周辺からの冷却が進むにつれ花崗閃緑岩、最後にコア部分に花崗岩が形成されたことを示しています。
このような、マグマ溜りからの鉱物の順序だった析出とそれに伴う種々の岩石の形成は、岩石学では「結晶分化作用」と呼びますが(文献3)、その「結晶分化作用」が地質図上にきれいに表れており、マグマ溜りの化石とも言えそうなものです。
なお(文献2−b)によると、この岩体は白亜紀における西南日本内帯での活発な火成活動の一環として活動したマグマ活動の一部で、形成年代は約90−75Maと推定されています。
※ “Ma”は、百万年前を意味する単位
この北摂地域には、前節でも説明した「有馬―高槻断層系」と呼ばれる断層群が走っており、平野部と山地部との境に、その断層系があります。この断層系の主な活動センスは右横ずれですが、北摂地域では北上がりの逆断層としての活動センスも持っています(文献1−b)。その断層活動によって北摂地域の山々が形成されたと推定できます。
この地域での具体的な山としては、能勢妙見神社で知られる「妙見山;みょうけんさん、660m)や、変わった名称で知られる「ポンポン山、679m」がありますが、全体にはそれほど目立つピークは無く、準平原的な地形をした山地です。
六甲山地に比べて標高が低く、山容も目立たないのは、上記断層系での北上がりの隆起量が少ないことや、隆起時期が比較的若いことなどが考えられます(この段落は私見です)。
この地域の地質について、産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、結構複雑な地質分布になっており、地形的には平凡なのと対照的に、地質的には非凡です。
(上の、図2もご参照ください)
まず山麓部は、メランジュ相のジュラ紀付加体が分布しており、「地帯構造区分」上では「丹波・美濃帯」に属します。箕面山(355m)辺りがその分布域です。
山地の中心部は、同じような付加体型の地質(砂岩やメランジュ相の地質)が広がっていますが、形成された時代がペルム紀(約3.0〜2.5億年前)の領域と、トリアス紀(約2.5〜2.0億年前)の領域とがありますが、ジュラ紀(約2.0〜1.5億年前)の付加体を特徴とする「丹波・美濃帯」の領域がほとんどありません。
このペルム紀、トリアス紀付加体のゾーンのうち、ペルム紀の付加体部分は通常は「超丹波帯」に属するとされるようですが(文献2−c)、トリアス紀の付加体部分は、「超丹波帯」に属するとするか、「丹波帯」に属するとするか、位置づけは確定していないようで、まだ議論が必要な課題のようです(文献2−c)、(文献2−d)。
またそもそも、日本列島ではトリアス紀の付加体型地質体は非常に分布が少ないので、そういう意味でも興味深い地質ゾーンだと言えます。
(文献2−c)によると、これらのより古い付加体は、構造的下位にあるジュラ紀付加体の上に、ナップ状に乗っかっていると推定されています。
なお妙見山は、ペルム紀付加体(メランジュ相)からなっています。
またポンポン山は、トリアス紀の様々な岩種の付加体からなっています。
ーー
北摂地域ではそれらの付加体型堆積岩層とは別に、火成岩(深成岩)からなるゾーンがありますが、岩石学的に興味深いので、少し詳しく述べます。(図2もご参照ください)
このゾーンは、茨木市北部の山間部を中心とした一帯に位置し、東西 約6km、南北 約10kmの範囲に、付加体型の地質を突き破るような形で分布しています。(文献2−b)によるとこの岩体は、「茨木複合花崗岩(体)」、あるいは「能勢岩体」などと呼ばれるようです。
このゾーンに分布している岩石の種類は、産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、花崗岩、花崗閃緑岩、閃緑岩(いずれもマグマ由来の深成岩)が分布しています。分布形状が非常に特徴的で、最も周辺部には閃緑岩、続いて花崗閃緑岩、中心部には花崗岩、と同心円状に異なる種類の深成岩が分布しています。
このような岩石の分布ができた原因は、当時のマグマ溜りが地下で、周辺部から徐々に冷却していった結果、析出しやすい鉱物が周辺で析出してまずは閃緑岩ができ、周辺からの冷却が進むにつれ花崗閃緑岩、最後にコア部分に花崗岩が形成されたことを示しています。
このような、マグマ溜りからの鉱物の順序だった析出とそれに伴う種々の岩石の形成は、岩石学では「結晶分化作用」と呼びますが(文献3)、その「結晶分化作用」が地質図上にきれいに表れており、マグマ溜りの化石とも言えそうなものです。
なお(文献2−b)によると、この岩体は白亜紀における西南日本内帯での活発な火成活動の一環として活動したマグマ活動の一部で、形成年代は約90−75Maと推定されています。
※ “Ma”は、百万年前を意味する単位
3)生駒山地と金剛山地
大阪平野の東側には、生駒山(642m)を中心とした生駒山地が南北に並んでおり、さらにその南には、奈良盆地から流れている大和川が作る渓谷状地形を隔てて、(大和)葛城山(やまと かつらぎさん、959m)、金剛山(こんごうさん、1125m)を含む金剛山地があります。
この節では、生駒山地、金剛山地の地質について説明します。
なお、この地域には、二上山(にじょうさん、517m)があり、万葉の昔から有名で、かつ良く登られる山ですが、地質的には異なる成り立ちなので、別の章で説明予定です。
この節では、生駒山地、金剛山地の地質について説明します。
なお、この地域には、二上山(にじょうさん、517m)があり、万葉の昔から有名で、かつ良く登られる山ですが、地質的には異なる成り立ちなので、別の章で説明予定です。
3−1)生駒山地
生駒山地は稜線部にドライブウェーが通じていたり、電波塔が林立していたりと、登山対象としてはイマイチの印象もありますが、大阪市内からは良く目立つ山塊です。
まず生駒山地の地形についてですが、生駒山地と大阪平野との間には、「生駒断層系」と呼ばれる南北走向の逆断層群(一部は活断層)があって、その逆断層群により生駒山側が隆起(大阪平野側が沈降)してできた傾動山地です(文献1−b)。そのため、標高のわりには大阪平野側は急峻な斜面となっています。一方で奈良県側は断層がなく緩やかなので、山腹にも宅地開発がされているほどであり、傾動山地の典型的な地形を示しています。
生駒山地の地質的な面を見ると、産総研「シームレス地質図v2」や、(文献2−e)によると、生駒山地の中腹以上の部分は、ハンレイ岩という深成岩でできています。ハンレイ岩は主に海洋地殻の下部を形成している岩石ですが、日本列島では地表に出ている場所が限られており、関東の筑波山および、新潟の越後三山のひとつの、中の岳に、まとまって分布している程度です。
(文献2−e)によると、この岩体は「生駒山岩体」あるいは「生駒山ハンレイ岩」と呼ばれ、岩石の放射年代測定結果(約192Ma、約169Maの2つの値が、文献2−eに記載されている)より、ジュラ紀の苦鉄質マグマの活動によって形成されたと推定されています。一方、産総研「シームレス地質図v2」での説明では、形成年代を白亜紀(セノマニアン期〜サントニアン期;約100〜84Ma)としています。(文献2−e)では、このハンレイ岩体の年代値が一部で白亜紀の形成年代を示すのは、その時期の花崗岩質マグマの活動によって年代値がリセットされたためとしていますが、詳しいことは解っていないようです。
※ ”Ma”は、百万年前を意味する単位
まず生駒山地の地形についてですが、生駒山地と大阪平野との間には、「生駒断層系」と呼ばれる南北走向の逆断層群(一部は活断層)があって、その逆断層群により生駒山側が隆起(大阪平野側が沈降)してできた傾動山地です(文献1−b)。そのため、標高のわりには大阪平野側は急峻な斜面となっています。一方で奈良県側は断層がなく緩やかなので、山腹にも宅地開発がされているほどであり、傾動山地の典型的な地形を示しています。
生駒山地の地質的な面を見ると、産総研「シームレス地質図v2」や、(文献2−e)によると、生駒山地の中腹以上の部分は、ハンレイ岩という深成岩でできています。ハンレイ岩は主に海洋地殻の下部を形成している岩石ですが、日本列島では地表に出ている場所が限られており、関東の筑波山および、新潟の越後三山のひとつの、中の岳に、まとまって分布している程度です。
(文献2−e)によると、この岩体は「生駒山岩体」あるいは「生駒山ハンレイ岩」と呼ばれ、岩石の放射年代測定結果(約192Ma、約169Maの2つの値が、文献2−eに記載されている)より、ジュラ紀の苦鉄質マグマの活動によって形成されたと推定されています。一方、産総研「シームレス地質図v2」での説明では、形成年代を白亜紀(セノマニアン期〜サントニアン期;約100〜84Ma)としています。(文献2−e)では、このハンレイ岩体の年代値が一部で白亜紀の形成年代を示すのは、その時期の花崗岩質マグマの活動によって年代値がリセットされたためとしていますが、詳しいことは解っていないようです。
※ ”Ma”は、百万年前を意味する単位
3−2)金剛山地
金剛山地は、大阪平野側には明確な断層は認められませんが、大阪側から見ると裏手にあたる奈良盆地側と紀ノ川側に、中央構造線とその派生断層が走っています。このうち奈良盆地側の断層群(金剛断層、山田断層など)は、金剛山地側が隆起、奈良盆地側が沈降する活動センスを持つ逆断層であり、これらの活断層により形成された山地と言えます。なお、隆起スピードは、約0.1―0.6cm/1000年と推定されており、六甲断層系(六甲山地)よりは隆起スピードは遅いようです。
金剛山地の地質は、産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、ほとんどが花崗岩類(花崗岩、花崗閃緑岩、トーナル岩)であり、このうち金剛山、(大和)葛城山の山頂部付近は花崗岩でできています。これらの花崗岩類の形成時期は後期白亜紀であり、六甲山地を形成している花崗岩類とほぼ同じころに活動したマグマ溜り由来の岩石と言えます。この花崗岩類は奈良盆地の南部(明日香村あたり)にも広がっており、その時代には大きなマグマ溜りがあったことを示唆しています。
金剛山地の地質は、産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、ほとんどが花崗岩類(花崗岩、花崗閃緑岩、トーナル岩)であり、このうち金剛山、(大和)葛城山の山頂部付近は花崗岩でできています。これらの花崗岩類の形成時期は後期白亜紀であり、六甲山地を形成している花崗岩類とほぼ同じころに活動したマグマ溜り由来の岩石と言えます。この花崗岩類は奈良盆地の南部(明日香村あたり)にも広がっており、その時代には大きなマグマ溜りがあったことを示唆しています。
4)和泉山脈
大阪平野の南側には和泉山脈(いずみさんみゃく)が東西に並んでおり、和歌山県との県境ともなっています。東西約50km、幅が約10―15kmの細長い山脈です。標高は東部で約900m(最高峰は東部にある岩湧山;897m)で、東が高く西に向かって徐々に低くなって、西端は紀伊水道に没しています。
この山地は前述の金剛山地と東部では接続しており、地形的には明確な境目はありませんが、地質学的には金剛山地とは異なった地質で形成されているので、この節で説明します。
この山地は前述の金剛山地と東部では接続しており、地形的には明確な境目はありませんが、地質学的には金剛山地とは異なった地質で形成されているので、この節で説明します。
4−1)和泉山脈の地質(和泉層群)
和泉山脈を形成している地質を産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、砂岩層を中心とし、一部に泥岩層、礫岩層含む堆積岩層であり、形成時代は白亜紀末(カンパニアン期(84−72Ma)〜マーストリヒチアン期(72−66Ma))です。
(図4もご参照ください)
(文献2―f)によると、この山脈を形成している、砂岩主体の堆積層は、その名もこの山地名(かつ 地域名)を取って「和泉層群(いずみそうぐん)」と、古くから呼ばれています。
その地質の成り立ちは、和泉山地の南側に東西方向に並走する「中央構造線」と深い関わりあいがあります。
白亜紀末(約84―66Ma)の頃、「中央構造線」が大規模な左横ずれ型の活動を起こしたと推定されています。その際、その北側にはその横ずれによって、深い凹地が次々に西側から東側へと形成されたと考えられています。(断層の横ずれに伴って形成される盆地で、「プルアパート型堆積盆」と呼ばれるタイプの凹地)。
その深い凹地群に、おそらくより北方にあった陸地から砂や泥が大量に流入し、それらの凹地群は形成される一方で、急速に流入する砂質堆積物で埋め立てられたと推定されています。
「和泉層群」の分布域は、この和泉山脈だけでなく、四国の香川県から愛媛県にかけて細長く延びており、香川/徳島県境の阿讃山地(「讃岐山地」とも言う)も同じ和泉層群で形成されています。
これらのことから、中央構造線は白亜紀末に、少なくとも現在の愛媛県西部(さらにおそらくは大分県東部(九州では「大野川層群」と呼ばれる)から、現在の和泉山地の東部までの約300kmにわたって左横ずれ断層として活動し、それに伴う凹地(堆積盆)は、西側から順に形成されては堆積物で埋め立てられるということを繰り返しつつ、約300kmにわたる細長い「和泉層群」分布域を形成したということになります。
なお「和泉層群」は、恐竜時代の末期である白亜紀末の堆積層ですが、全般に化石の産出は少な目で、アンモナイト化石や二枚貝化石は発見されていますが、残念ながら恐竜の化石はでてきていません(文献2−f)。
※ ”Ma”は、百万年前を意味する単位
(図4もご参照ください)
(文献2―f)によると、この山脈を形成している、砂岩主体の堆積層は、その名もこの山地名(かつ 地域名)を取って「和泉層群(いずみそうぐん)」と、古くから呼ばれています。
その地質の成り立ちは、和泉山地の南側に東西方向に並走する「中央構造線」と深い関わりあいがあります。
白亜紀末(約84―66Ma)の頃、「中央構造線」が大規模な左横ずれ型の活動を起こしたと推定されています。その際、その北側にはその横ずれによって、深い凹地が次々に西側から東側へと形成されたと考えられています。(断層の横ずれに伴って形成される盆地で、「プルアパート型堆積盆」と呼ばれるタイプの凹地)。
その深い凹地群に、おそらくより北方にあった陸地から砂や泥が大量に流入し、それらの凹地群は形成される一方で、急速に流入する砂質堆積物で埋め立てられたと推定されています。
「和泉層群」の分布域は、この和泉山脈だけでなく、四国の香川県から愛媛県にかけて細長く延びており、香川/徳島県境の阿讃山地(「讃岐山地」とも言う)も同じ和泉層群で形成されています。
これらのことから、中央構造線は白亜紀末に、少なくとも現在の愛媛県西部(さらにおそらくは大分県東部(九州では「大野川層群」と呼ばれる)から、現在の和泉山地の東部までの約300kmにわたって左横ずれ断層として活動し、それに伴う凹地(堆積盆)は、西側から順に形成されては堆積物で埋め立てられるということを繰り返しつつ、約300kmにわたる細長い「和泉層群」分布域を形成したということになります。
なお「和泉層群」は、恐竜時代の末期である白亜紀末の堆積層ですが、全般に化石の産出は少な目で、アンモナイト化石や二枚貝化石は発見されていますが、残念ながら恐竜の化石はでてきていません(文献2−f)。
※ ”Ma”は、百万年前を意味する単位
4−2)和泉山脈の山脈形成プロセス
続いて和泉山脈の地形的な面について説明します。
和泉山脈は東西に約50km延びている細長い山脈です。その南側には前の項でも述べた「中央構造線」が並走しています。和泉山脈を構成している地質である「和泉層群」は白亜紀の中央構造線の活動によって形成された地質でしたが、実は活動の時代は異なるものの、地形的にも中央構造線の活動が関与して形成された山脈です。
以下、(文献1−c)、(文献1−d)、(文献2−g)などをベースに説明します。
和泉山脈の形成プロセスに関与した中央構造線の活動は、第四紀後後半、恐らく100万年前頃からの活動で、主活動センスは、白亜紀末の活動とは逆方向の、「右横ずれ」型です。現在も和泉山脈南側の中央構造線は「活断層」とされており、活動は継続中です(文献1−c)、(文献1―d)。
この中央構造線の「右横ずれ」型活動は、四国内でも起こっていますが、その原動力としては、これら地域の南側、南海トラフにて沈み込んでいるフィリピン海プレートの進行方向が北西方向であり、沈み込み帯(南海トラフ)に対して斜め方向に沈み込んでいること(「斜め沈み込み」)が重要な因子、だと考えられています(文献2−g)。
つまり、フィリピン海プレートが陸地側からみると、やや西向きベクトルを持って沈み込んでいるため、中央構造線より南側の部分(「南海スリバー」とも呼ばれる)が、それに引きずられるように西側へと動いており、それが断層線である中央構造線での「右横ずれ断層」としての動きになっているわけです(文献2−g)。
しかし、この領域の中央構造線の活動は、右横ずれが主な活動センスですが、部分的に上下方向の活動センスも伴っています。和泉山脈付近では、中央構造線より北側にあたる和泉山脈側が隆起、南側にあたる紀ノ川流域が沈降、という活動センスも伴っており、そのために和泉山脈が隆起してきたと考えられています(文献1−c)、(文献1−d)。
このような中央構造線の、第四紀後期における「右横ずれ活動」に伴う山地(山脈)形成メカニズムは、四国の阿讃山地(讃岐山地)、石鎚山地の形成にも、同様に働いていると考えられています。注1)
注1) 四国での各山脈の形成メカニズムは、第1部で細かく述べますが、四国のやや西部にあたる石鎚山地では、中央構造線の南側が隆起する活動センス、四国のやや東側にあたる阿讃山地(讃岐山地)では、中央構造線の北側が隆起する活動センスをもっています(文献1−d)。
和泉山脈は東西に約50km延びている細長い山脈です。その南側には前の項でも述べた「中央構造線」が並走しています。和泉山脈を構成している地質である「和泉層群」は白亜紀の中央構造線の活動によって形成された地質でしたが、実は活動の時代は異なるものの、地形的にも中央構造線の活動が関与して形成された山脈です。
以下、(文献1−c)、(文献1−d)、(文献2−g)などをベースに説明します。
和泉山脈の形成プロセスに関与した中央構造線の活動は、第四紀後後半、恐らく100万年前頃からの活動で、主活動センスは、白亜紀末の活動とは逆方向の、「右横ずれ」型です。現在も和泉山脈南側の中央構造線は「活断層」とされており、活動は継続中です(文献1−c)、(文献1―d)。
この中央構造線の「右横ずれ」型活動は、四国内でも起こっていますが、その原動力としては、これら地域の南側、南海トラフにて沈み込んでいるフィリピン海プレートの進行方向が北西方向であり、沈み込み帯(南海トラフ)に対して斜め方向に沈み込んでいること(「斜め沈み込み」)が重要な因子、だと考えられています(文献2−g)。
つまり、フィリピン海プレートが陸地側からみると、やや西向きベクトルを持って沈み込んでいるため、中央構造線より南側の部分(「南海スリバー」とも呼ばれる)が、それに引きずられるように西側へと動いており、それが断層線である中央構造線での「右横ずれ断層」としての動きになっているわけです(文献2−g)。
しかし、この領域の中央構造線の活動は、右横ずれが主な活動センスですが、部分的に上下方向の活動センスも伴っています。和泉山脈付近では、中央構造線より北側にあたる和泉山脈側が隆起、南側にあたる紀ノ川流域が沈降、という活動センスも伴っており、そのために和泉山脈が隆起してきたと考えられています(文献1−c)、(文献1−d)。
このような中央構造線の、第四紀後期における「右横ずれ活動」に伴う山地(山脈)形成メカニズムは、四国の阿讃山地(讃岐山地)、石鎚山地の形成にも、同様に働いていると考えられています。注1)
注1) 四国での各山脈の形成メカニズムは、第1部で細かく述べますが、四国のやや西部にあたる石鎚山地では、中央構造線の南側が隆起する活動センス、四国のやや東側にあたる阿讃山地(讃岐山地)では、中央構造線の北側が隆起する活動センスをもっています(文献1−d)。
(参考文献)
文献1)太田、成瀬、田中、岡田 編
「日本の地形 第6巻 近畿・中国・四国」東京大学出版会 刊 (2004)
文献1−a) 文献1)のうち、2−4章―(1)節
「六甲山地」の項
文献1−b) 文献1)のうち、2−3章−(1)節
「(京都盆地、奈良盆地、大阪平野、大阪湾の)地質概説と活断層」の項、及び
図2.3.1「大阪平野周辺の活断層と伏見地震の痕跡」
文献1―c) 文献1)のうち、第6部「中央構造線とその周辺」の、
6−1章「和泉山脈・金剛山地と中央構造線」の項
文献1−d) 文献1)のうち、第6部「中央構造線とその周辺」の、
「概説」の項
文献2) 日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第5巻 近畿地方」朝倉書店 刊 (2009)
文献2−a) 文献2)のうち3−4章「(近畿地方の)白亜紀〜古第三紀火成岩類」の、
3−4−1節「概説」の項、及び
図3.4.1「近畿地方における白亜紀〜古第三紀火成岩類の分布」
文献2−b) 文献2)のうち3−4章「(近畿地方の)白亜紀〜古第三紀火成岩類」の
3−4−4節「山陽帯の火成岩類」の項、
図3.4.11「京阪神地区の山陽帯火成岩類の放射年代」 及び、
図3.4.12「山陽帯・山陰帯の花崗岩類のRb―Sr全岩アイソクロン年代と
87Sr/86Sr同位体比 初生値の分布図」
文献2−c) 文献2)のうち、3−2章「(近畿地方の)各地体の中・古生界」の、
3−2−5節「超丹波帯」の項、
図3.2.11「北摂山地周辺の中・古生代地質体区分図」及び、
図3.2.9「超丹波帯の地質概略図」
文献2−d) 文献2)のうち、3−2章「(近畿地方の)各地体の中・古生界」の、
3−2−6節「丹波帯」の項、及び、
図3.2.13「丹波帯の地体区分」
文献2−e) 文献2)のうち、3−2−7節「領家変成帯」の、
3−2−7−d−(1)項「斑れい岩体」の項
文献2−f) 文献2)のうち、3−3章「浅海成白亜系」の、
3−3−2節 「和泉層群」の項、及び
図3.3.3 「和泉山脈および淡路島・友ヶ島の和泉層群の地質区分図」
文献2−g) 文献2)のうち、第2部「近畿地方の地質構造発達史」の、
2−4−2節「近畿地方の大地形・地体構造」の項、及び
図2.4.1「西南日本の活構造図」
文献3)榎並 著 (大谷、長谷川、花輪 編)
「現代地球科学入門シリーズ 第16巻 岩石学」共立出版 刊 (2013)のうち、
第6章「火成岩(マグマ)の化学組成の多様性」の項 及び、
第7章「花崗岩質岩」の項
「日本の地形 第6巻 近畿・中国・四国」東京大学出版会 刊 (2004)
文献1−a) 文献1)のうち、2−4章―(1)節
「六甲山地」の項
文献1−b) 文献1)のうち、2−3章−(1)節
「(京都盆地、奈良盆地、大阪平野、大阪湾の)地質概説と活断層」の項、及び
図2.3.1「大阪平野周辺の活断層と伏見地震の痕跡」
文献1―c) 文献1)のうち、第6部「中央構造線とその周辺」の、
6−1章「和泉山脈・金剛山地と中央構造線」の項
文献1−d) 文献1)のうち、第6部「中央構造線とその周辺」の、
「概説」の項
文献2) 日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第5巻 近畿地方」朝倉書店 刊 (2009)
文献2−a) 文献2)のうち3−4章「(近畿地方の)白亜紀〜古第三紀火成岩類」の、
3−4−1節「概説」の項、及び
図3.4.1「近畿地方における白亜紀〜古第三紀火成岩類の分布」
文献2−b) 文献2)のうち3−4章「(近畿地方の)白亜紀〜古第三紀火成岩類」の
3−4−4節「山陽帯の火成岩類」の項、
図3.4.11「京阪神地区の山陽帯火成岩類の放射年代」 及び、
図3.4.12「山陽帯・山陰帯の花崗岩類のRb―Sr全岩アイソクロン年代と
87Sr/86Sr同位体比 初生値の分布図」
文献2−c) 文献2)のうち、3−2章「(近畿地方の)各地体の中・古生界」の、
3−2−5節「超丹波帯」の項、
図3.2.11「北摂山地周辺の中・古生代地質体区分図」及び、
図3.2.9「超丹波帯の地質概略図」
文献2−d) 文献2)のうち、3−2章「(近畿地方の)各地体の中・古生界」の、
3−2−6節「丹波帯」の項、及び、
図3.2.13「丹波帯の地体区分」
文献2−e) 文献2)のうち、3−2−7節「領家変成帯」の、
3−2−7−d−(1)項「斑れい岩体」の項
文献2−f) 文献2)のうち、3−3章「浅海成白亜系」の、
3−3−2節 「和泉層群」の項、及び
図3.3.3 「和泉山脈および淡路島・友ヶ島の和泉層群の地質区分図」
文献2−g) 文献2)のうち、第2部「近畿地方の地質構造発達史」の、
2−4−2節「近畿地方の大地形・地体構造」の項、及び
図2.4.1「西南日本の活構造図」
文献3)榎並 著 (大谷、長谷川、花輪 編)
「現代地球科学入門シリーズ 第16巻 岩石学」共立出版 刊 (2013)のうち、
第6章「火成岩(マグマ)の化学組成の多様性」の項 及び、
第7章「花崗岩質岩」の項
このリンク先の、10−1章の文末には、第10部「近畿地方の山々の地質」の各章へのリンク、及び、「序章―1」へのリンク(序章―1には、本連載の各部へのリンクあり)を付けています。
第10部の他の章や、他の部をご覧になりたい方は、どうぞご利用ください。
第10部の他の章や、他の部をご覧になりたい方は、どうぞご利用ください。
【書記事項】
初版リリース;2022年1月30日
お気に入りした人
人
拍手で応援
拍手した人
拍手
ベルクハイルさんの記事一覧
- 日本の山々の地質;第7部 東北地方の山々の地質;7−9章 奥羽山脈(3)奥羽山脈の非火山の山々、及び奥羽山脈の隆起について 11 更新日:2024年01月27日
- 日本の山々の地質;第7部 東北地方の山々の地質、7−8章 奥羽山脈(2) 奥羽山脈南半分の火山群 11 更新日:2024年01月15日
- 日本の山々の地質 第1部 四国地方の山々の地質、 1−10章 香川県の山々;讃岐山地、香川県の山々の地質と地形 20 更新日:2023年03月18日
※この記事はヤマレコの「ヤマノート」機能を利用して作られています。
どなたでも、山に関する知識や技術などのノウハウを簡単に残して共有できます。
ぜひご協力ください!
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する