(はじめに)
この章では中国地方の山々のうち、主に日本海側に並んでいる火山性の山々について、
その形成史を中心に説明します。
大山など中国地方を代表するような山々は、火山性の山々が多く、この章で説明します。
その形成史を中心に説明します。
大山など中国地方を代表するような山々は、火山性の山々が多く、この章で説明します。
1)中国地方における「火山帯」について
中国山地には、中国地方最高峰の大山(だいせん)を始めとする火山がいくつか分布していますが、それほど火山活動が活発な地域とは言えません。活火山もわずか2つ(2か所)です。
また第四紀火山の位置は、中国山地の主稜線部ではなく、日本海側に偏って分布しています。
具体的な火山性の山としては、東側から順に、氷ノ山(ひょうのせん;1510m)、扇ノ山(おおぎのせん;1310m)、大山(1729m)、蒜山(ひるぜん;1202m)、三瓶山(さんべさん;1126m)、阿武(あぶ)単成火山群が挙げられますが、いずれも日本海側に点在しています(文献1−a)、(文献2−a)、(図1)。
これらのうち活火山として認定されているのは、島根県の三瓶山と、山口県の萩市周辺にある阿武火山群という小規模単成火山群のみです(文献1−a)、(文献3)。
一方で、活動はやや低調とはいえど、火山列があるということは、なんらかな仕組みで地下深くではマグマが形成されていることを示しています。
一般論ですが、日本列島のような島弧では、海洋プレート沈み込み帯において沈み込むプレート(スラブ)が地下深くでマグマ形成の原因となり、火山列を形成します。
中国地方の場合、関連する海洋プレートとしては、四国沖の南海トラフから北西へと沈み込んでいる「フィリピン海プレート」が最も関連が深いプレートといえます。
ただし、西南日本弧でのフィリピン海プレート(スラブ)が地下で、どこまで延びているのかや、その深さについては、迫りくる「南海トラフ大地震」との関連もあって色々な研究がなされていますが、以下のように諸説あり、明確な定説がないようです。
まず、スラブ上面やスラブ内で生じる微小地震(深発地震面)に基づく検討によると、中国ー四国地方での(地震性)スラブの北端は瀬戸内海辺りにあり、中国地方の地下ではスラブ地震が起きていないようです。それを根拠として、スラブ先端は中国地方の地下には達しておらず、瀬戸内海付近から四国東部であり、先端部上面深さは約50kmという研究(文献6)や、スラブ先端は中国地方の瀬戸内側(広島市、岡山市付近)にあり、先端部上面深さは約40kmという研究(文献7)があります。
一方、「地震波トモグラフィー法」という方法で地下構造を調べる研究では、中国地方の地下でのスラブ先端は、瀬戸内海沿岸(広島市、岡山市付近)で、そこでのスラブ先端上面深さ約50kmにあるという研究(文献8)や、フィリピン海スラブは途中で断裂しつつ高角度で中国地方から日本海の地下へと深く沈み込んでいる、という研究もあります(文献9)。
これらの研究とは別角度の研究では、中国地方では地下かなり深いところ(数百km)からの高温のマントル上昇流があり、それによって中国地方日本海側の火山列が形成、維持されていると推定した研究もあります(文献10)、(文献11)。
いずれにしろ、いくつかの研究論文を読むと、南海トラフから(東海、近畿、四国、九州へと)沈み込んでいるフィリピン海プレート(スラブ)の地下での形状は、折れ曲がったり、断裂したりと、非常に複雑な構造になっている、という見解が多いようで、そのために、解析結果の違いに影響しているようです。
個人的見解ですが、実際に中国地方の日本海側に火山フロントが存在していることから考え、その地下にはマグマが発生する場所が必ずあり、そのマグマは、沈み込んでいるフィリピン海プレート(スラブ)起因と考えるのが最も合理的だと思います(この段落は私見です)。
また第四紀火山の位置は、中国山地の主稜線部ではなく、日本海側に偏って分布しています。
具体的な火山性の山としては、東側から順に、氷ノ山(ひょうのせん;1510m)、扇ノ山(おおぎのせん;1310m)、大山(1729m)、蒜山(ひるぜん;1202m)、三瓶山(さんべさん;1126m)、阿武(あぶ)単成火山群が挙げられますが、いずれも日本海側に点在しています(文献1−a)、(文献2−a)、(図1)。
これらのうち活火山として認定されているのは、島根県の三瓶山と、山口県の萩市周辺にある阿武火山群という小規模単成火山群のみです(文献1−a)、(文献3)。
一方で、活動はやや低調とはいえど、火山列があるということは、なんらかな仕組みで地下深くではマグマが形成されていることを示しています。
一般論ですが、日本列島のような島弧では、海洋プレート沈み込み帯において沈み込むプレート(スラブ)が地下深くでマグマ形成の原因となり、火山列を形成します。
中国地方の場合、関連する海洋プレートとしては、四国沖の南海トラフから北西へと沈み込んでいる「フィリピン海プレート」が最も関連が深いプレートといえます。
ただし、西南日本弧でのフィリピン海プレート(スラブ)が地下で、どこまで延びているのかや、その深さについては、迫りくる「南海トラフ大地震」との関連もあって色々な研究がなされていますが、以下のように諸説あり、明確な定説がないようです。
まず、スラブ上面やスラブ内で生じる微小地震(深発地震面)に基づく検討によると、中国ー四国地方での(地震性)スラブの北端は瀬戸内海辺りにあり、中国地方の地下ではスラブ地震が起きていないようです。それを根拠として、スラブ先端は中国地方の地下には達しておらず、瀬戸内海付近から四国東部であり、先端部上面深さは約50kmという研究(文献6)や、スラブ先端は中国地方の瀬戸内側(広島市、岡山市付近)にあり、先端部上面深さは約40kmという研究(文献7)があります。
一方、「地震波トモグラフィー法」という方法で地下構造を調べる研究では、中国地方の地下でのスラブ先端は、瀬戸内海沿岸(広島市、岡山市付近)で、そこでのスラブ先端上面深さ約50kmにあるという研究(文献8)や、フィリピン海スラブは途中で断裂しつつ高角度で中国地方から日本海の地下へと深く沈み込んでいる、という研究もあります(文献9)。
これらの研究とは別角度の研究では、中国地方では地下かなり深いところ(数百km)からの高温のマントル上昇流があり、それによって中国地方日本海側の火山列が形成、維持されていると推定した研究もあります(文献10)、(文献11)。
いずれにしろ、いくつかの研究論文を読むと、南海トラフから(東海、近畿、四国、九州へと)沈み込んでいるフィリピン海プレート(スラブ)の地下での形状は、折れ曲がったり、断裂したりと、非常に複雑な構造になっている、という見解が多いようで、そのために、解析結果の違いに影響しているようです。
個人的見解ですが、実際に中国地方の日本海側に火山フロントが存在していることから考え、その地下にはマグマが発生する場所が必ずあり、そのマグマは、沈み込んでいるフィリピン海プレート(スラブ)起因と考えるのが最も合理的だと思います(この段落は私見です)。
2)氷ノ山(ひょうのせん)
これ以降、中国地方の主な火山性の山々について、その形成史を中心に述べます。
まずは兵庫県と鳥取県との県境にそびえ、中国地方第二位の標高を誇る氷ノ山(ひょうのせん;1501m)です。
この山は名前のとおり冬場は積雪が多く、山麓から山腹にかけスキー場もあります。古くは「孤高の人」で有名な加藤文太郎も登った山としても知られています。
さて氷ノ山は、第四紀後半に活動した火山ですが、産総研「シームレス地質図v2」で氷ノ山付近の地質をよくよく確認すると、氷ノ山由来の火山岩の分布範囲は以外と狭く、中腹の標高 約800−900m辺りまで、基盤岩(基盤地質)が広がっています。基盤地質としては、「舞鶴帯」に属する斑レイ岩や玄武岩(ペルム紀)、花崗岩類(白亜紀)、「周防帯」に属する高圧型変成岩(トリアス紀)などが、氷ノ山を囲むように分布しています。
このように、じつは氷ノ山は基盤地質が隆起した部分に噴出した火山であり、いわば上げ底式の火山です。従って火山体としてのサイズは標高差で500−600m程度しかありません。
ただし、氷ノ山の火山活動は後述のとおりかなり古い時代なので、隆起が先に起こってから火山活動が起きたのか、火山活動が起きたのちにこの一帯が隆起したのかは不明です。
さて火山としての氷ノ山の活動史は、理由は解りませんが、地質学の専門書(文献1)、(文献4)、地形学の専門書(文献2)にもしっかりした説明がありませんでした。
なので、(文献5;ウイキペディア)の記載を元に説明します。
(文献5)によると、氷ノ山の火山としての活動開始時期はかなり古く、約258〜255万年前に噴出した安山岩質溶岩(氷ノ山火山岩)からなります
この火山活動は、さらに広範囲な、約310〜220万年前(新第三紀 鮮新世末〜第四紀ジェラシアン期)に形成された火山の一部で、その火山は「照来(てらぎ)火山」と呼ばれています((文献4−a)にも記載あり)。
照来火山の活動の最初期(約310万年前)には、現在の氷ノ山の北、約10kmあたりを中心としたカルデラ火山が形成され、大規模火砕流噴出を伴いました。のち、そのカルデラ地形は浸食により失われ、現在では地質的に確認できるだけとなっています。
約260万年前頃からは、氷ノ山付近で安山岩質の火山活動が活発となり、氷ノ山のうち前述の火山岩で覆われた標高 約900m以上の部分は、その時代の安山岩質溶岩でできています。
その後の火山活動は確認されておらず、形成当時の火山体は徐々に浸食されて現在の氷ノ山を形成しているものと思われます。
まずは兵庫県と鳥取県との県境にそびえ、中国地方第二位の標高を誇る氷ノ山(ひょうのせん;1501m)です。
この山は名前のとおり冬場は積雪が多く、山麓から山腹にかけスキー場もあります。古くは「孤高の人」で有名な加藤文太郎も登った山としても知られています。
さて氷ノ山は、第四紀後半に活動した火山ですが、産総研「シームレス地質図v2」で氷ノ山付近の地質をよくよく確認すると、氷ノ山由来の火山岩の分布範囲は以外と狭く、中腹の標高 約800−900m辺りまで、基盤岩(基盤地質)が広がっています。基盤地質としては、「舞鶴帯」に属する斑レイ岩や玄武岩(ペルム紀)、花崗岩類(白亜紀)、「周防帯」に属する高圧型変成岩(トリアス紀)などが、氷ノ山を囲むように分布しています。
このように、じつは氷ノ山は基盤地質が隆起した部分に噴出した火山であり、いわば上げ底式の火山です。従って火山体としてのサイズは標高差で500−600m程度しかありません。
ただし、氷ノ山の火山活動は後述のとおりかなり古い時代なので、隆起が先に起こってから火山活動が起きたのか、火山活動が起きたのちにこの一帯が隆起したのかは不明です。
さて火山としての氷ノ山の活動史は、理由は解りませんが、地質学の専門書(文献1)、(文献4)、地形学の専門書(文献2)にもしっかりした説明がありませんでした。
なので、(文献5;ウイキペディア)の記載を元に説明します。
(文献5)によると、氷ノ山の火山としての活動開始時期はかなり古く、約258〜255万年前に噴出した安山岩質溶岩(氷ノ山火山岩)からなります
この火山活動は、さらに広範囲な、約310〜220万年前(新第三紀 鮮新世末〜第四紀ジェラシアン期)に形成された火山の一部で、その火山は「照来(てらぎ)火山」と呼ばれています((文献4−a)にも記載あり)。
照来火山の活動の最初期(約310万年前)には、現在の氷ノ山の北、約10kmあたりを中心としたカルデラ火山が形成され、大規模火砕流噴出を伴いました。のち、そのカルデラ地形は浸食により失われ、現在では地質的に確認できるだけとなっています。
約260万年前頃からは、氷ノ山付近で安山岩質の火山活動が活発となり、氷ノ山のうち前述の火山岩で覆われた標高 約900m以上の部分は、その時代の安山岩質溶岩でできています。
その後の火山活動は確認されておらず、形成当時の火山体は徐々に浸食されて現在の氷ノ山を形成しているものと思われます。
3)扇ノ山(おうぎのせん)
扇ノ山(おうぎのせん:1310m)は、氷ノ山の北側 約10kmにある火山性の山です。氷ノ山と同じく、兵庫県と鳥取県との県境にあります。
扇ノ山については、(文献2−b)、(文献4−a)に説明があります。
それによると扇ノ山は、第四紀中期(約120―40万年前)に活動した20個前後の単成火山(玄武岩質〜安山岩質)の集合体でできた火山性台地であり、周辺部からの浸食が進み、現在のような山容になったと推定されています。
山頂部付近は最も若い(約40万年前)単成火山による安山岩質溶岩でできているようです。
扇ノ山については、(文献2−b)、(文献4−a)に説明があります。
それによると扇ノ山は、第四紀中期(約120―40万年前)に活動した20個前後の単成火山(玄武岩質〜安山岩質)の集合体でできた火山性台地であり、周辺部からの浸食が進み、現在のような山容になったと推定されています。
山頂部付近は最も若い(約40万年前)単成火山による安山岩質溶岩でできているようです。
4)大山(だいせん)
大山(だいせん;1729m)は中国地方の最高峰で、中国地方唯一の百名山でもあり、中国地方を代表する山と言えます。
なお関東地方の丹沢山系にある大山(おおやま;1252m)と区別するため(・・という理由だけではありませんが、、)「伯耆大山(ほうきだいせん)」とも呼ばれます。
中国地方の他の山々が、あまり独立性がなくて山体が小さいのに比べ、大山は日本海沿岸からすっくと標高差1700mをもってそびえており、まさに「大きな山」という名前の通りです。
また大山は、西側から見ると「伯耆富士(ほうきふじ)」の別名のとおり、成層火山型の端正な姿を見せますが、北側、南側は、(おそらく山体崩壊によって)絶壁状となっており、見る方向によって、アルペン的な険しい山容と、穏やかな山容の2面性を持っています。特に冬季(積雪期)の大山北壁は、日本アルプスの山々のような厳しい表情を見せます。日本海に近い場所に独立峰としてそびえているため、北側山麓から山頂部にかけ冬季の積雪量も多く、山麓部には古くからスキー場があります。
さて火山としての大山の形成史を、(文献1−b)、(文献2―c)によって説明します。
大山は南隣の蒜山(ひるぜん)を含めた火山群の一つで「大山―蒜山火山群」と呼ばれます。このうち大山は約100〜90万年前から始まり、ごく直近(1.7万年前)まで活動していた火山です。
大山の火山活動は、「古期火山活動」と、「新期火山活動」の大きく2つの時期に分けられており、「古期火山活動」では蒜山と同じ時期に活動が起こりました。この時代の活動の痕跡は大山中腹部から山麓部の溶岩流として残っているだけです。
「新期火山活動」では、複数の溶岩ドームが形成され、現在の山頂部の一角である、弥山(みせん;1709m)を中心とした溶岩ドームができました。他に三鈷峰(さんぽこう;1516m)、烏ヶ山(からすがせん;1448m)もこの時期の火山活動で形成された溶岩ドームです。このうち、烏ヶ山(溶岩ドーム)は、約2.6万年前の形成、弥山(溶岩ドーム)は形成時代が最も若く、約1.7万年前と推定されています。
また、5.5−6万年前にはかなり大規模な火山活動が起こったようで、日本列島のうち、中国はもとより近畿、中部、関東、東北南部までの広い範囲に火山灰や軽石が降り注ぎました。その火山灰、軽石層(テフラ)は、「大山倉吉テフラ」(DKP)と呼ばれ、各地の地層の年代測定の指標の一つとなっています。
なお、大山の山容を特徴づける、北側(北壁)、南側(南壁)の山体崩壊面ですが、いつ頃に崩壊したのかは、各文献でも明記されておらず不明です。一度にごそっと山体崩壊したのではなく、徐々に何度も中小規模の崩壊が起きて現在の地形になっているのかもしれません(この段落は私見を含みます)。
また、火山岩の性質としては、ほとんどの時期でデイサイト質の火山活動です。
なお関東地方の丹沢山系にある大山(おおやま;1252m)と区別するため(・・という理由だけではありませんが、、)「伯耆大山(ほうきだいせん)」とも呼ばれます。
中国地方の他の山々が、あまり独立性がなくて山体が小さいのに比べ、大山は日本海沿岸からすっくと標高差1700mをもってそびえており、まさに「大きな山」という名前の通りです。
また大山は、西側から見ると「伯耆富士(ほうきふじ)」の別名のとおり、成層火山型の端正な姿を見せますが、北側、南側は、(おそらく山体崩壊によって)絶壁状となっており、見る方向によって、アルペン的な険しい山容と、穏やかな山容の2面性を持っています。特に冬季(積雪期)の大山北壁は、日本アルプスの山々のような厳しい表情を見せます。日本海に近い場所に独立峰としてそびえているため、北側山麓から山頂部にかけ冬季の積雪量も多く、山麓部には古くからスキー場があります。
さて火山としての大山の形成史を、(文献1−b)、(文献2―c)によって説明します。
大山は南隣の蒜山(ひるぜん)を含めた火山群の一つで「大山―蒜山火山群」と呼ばれます。このうち大山は約100〜90万年前から始まり、ごく直近(1.7万年前)まで活動していた火山です。
大山の火山活動は、「古期火山活動」と、「新期火山活動」の大きく2つの時期に分けられており、「古期火山活動」では蒜山と同じ時期に活動が起こりました。この時代の活動の痕跡は大山中腹部から山麓部の溶岩流として残っているだけです。
「新期火山活動」では、複数の溶岩ドームが形成され、現在の山頂部の一角である、弥山(みせん;1709m)を中心とした溶岩ドームができました。他に三鈷峰(さんぽこう;1516m)、烏ヶ山(からすがせん;1448m)もこの時期の火山活動で形成された溶岩ドームです。このうち、烏ヶ山(溶岩ドーム)は、約2.6万年前の形成、弥山(溶岩ドーム)は形成時代が最も若く、約1.7万年前と推定されています。
また、5.5−6万年前にはかなり大規模な火山活動が起こったようで、日本列島のうち、中国はもとより近畿、中部、関東、東北南部までの広い範囲に火山灰や軽石が降り注ぎました。その火山灰、軽石層(テフラ)は、「大山倉吉テフラ」(DKP)と呼ばれ、各地の地層の年代測定の指標の一つとなっています。
なお、大山の山容を特徴づける、北側(北壁)、南側(南壁)の山体崩壊面ですが、いつ頃に崩壊したのかは、各文献でも明記されておらず不明です。一度にごそっと山体崩壊したのではなく、徐々に何度も中小規模の崩壊が起きて現在の地形になっているのかもしれません(この段落は私見を含みます)。
また、火山岩の性質としては、ほとんどの時期でデイサイト質の火山活動です。
4)蒜山(ひるぜん)
蒜山(ひるぜん;1202m)は、大山の南東方向 約15−20kmにある火山群で、3つのピークからなり、上蒜山(1202m)、中蒜山(1123m)、下蒜山(1100m)の3つの山からなります。
標高はさほど高くはありせんが、山列の南側が「蒜山高原」と呼ばれる高原状となっており、キャンプやハイキングに適した、感じの良い山です。
さてこの蒜山は、前節で述べた大山を含めた「大山―蒜山火山群」の一部です。
(文献1−b)、(文献2―c)によると、この火山群では最初に蒜山付近で約100万年前に火山活動が始まったと推定されています。蒜山火山群の詳しい活動は良く解っていないようですが、3山とも山体は、「蒜山溶岩」というデイサイト質の溶岩でできている溶岩ドームです(ただし、産総研「シームレス地質図v2」では、安山岩質という説明あり)。また約50万年前にはほぼ活動が終わったとされています。
それにしては、見た目的には、あまり浸食、開析されておらず、3山とも丸っこい山容をしているのは、やや不思議ですが、、(この段落は私見です)。
さて、蒜山の魅力は山だけでなく、山麓に広がる「蒜山高原」だと思います。
ここは、地形学上は「蒜山盆地」と呼ばれます(文献2−d)。
「蒜山盆地」について、(文献2−d)に基づいて説明します。
「蒜山盆地」の形成は以外なことに、(火山群としての)蒜山の影響は少ないようです。
まず、時代は不明ですが((文献2−d)では、「中期更新世」とのみ)、大山の「古期」火山活動によって、この盆地から流れていた川の下流部が大山から流れ出た溶岩流によって堰き止められ、「古蒜山原湖(こ ひるぜんばらこ)」という湖ができました。この時期の湖からの排水流路は盆地の西側から日本海側へ流出していたと推定されています。
この湖には周辺からの土砂が堆積し、「蒜山原層」という約100m厚の堆積層が形成されました。この層から、杉、ブナなどの植物化石や、昆虫、トウヨウゾウなどの動物化石が発見されています。それ以外に、湖に珪藻(プランクトンの一種)が大量に繁殖したため、現在ではそれを元とした「珪藻土」として採掘、利用されているようです。
その後(これも時代は不明)、更に大山からの火山性堆積物が湖の西側周辺に堆積して、湖から西側(日本海側)への流路が堰き止められてしまいました。その後、盆地の東側からの流路が形成され、瀬戸内海側(旭川水系)へと変わりました。
そしてそのあとは、周辺の山地からの土砂の流入により、湖は埋め立てられ、現在見られるようななだらかな盆地状(あるいは高原状)の地形が形成されました。
確かに、蒜山の山稜部から見下ろすと、この「蒜山高原(蒜山盆地)」は、非常になだらかな地形となっていることが良く解り、以前は湖だったということもうなづけます。
標高はさほど高くはありせんが、山列の南側が「蒜山高原」と呼ばれる高原状となっており、キャンプやハイキングに適した、感じの良い山です。
さてこの蒜山は、前節で述べた大山を含めた「大山―蒜山火山群」の一部です。
(文献1−b)、(文献2―c)によると、この火山群では最初に蒜山付近で約100万年前に火山活動が始まったと推定されています。蒜山火山群の詳しい活動は良く解っていないようですが、3山とも山体は、「蒜山溶岩」というデイサイト質の溶岩でできている溶岩ドームです(ただし、産総研「シームレス地質図v2」では、安山岩質という説明あり)。また約50万年前にはほぼ活動が終わったとされています。
それにしては、見た目的には、あまり浸食、開析されておらず、3山とも丸っこい山容をしているのは、やや不思議ですが、、(この段落は私見です)。
さて、蒜山の魅力は山だけでなく、山麓に広がる「蒜山高原」だと思います。
ここは、地形学上は「蒜山盆地」と呼ばれます(文献2−d)。
「蒜山盆地」について、(文献2−d)に基づいて説明します。
「蒜山盆地」の形成は以外なことに、(火山群としての)蒜山の影響は少ないようです。
まず、時代は不明ですが((文献2−d)では、「中期更新世」とのみ)、大山の「古期」火山活動によって、この盆地から流れていた川の下流部が大山から流れ出た溶岩流によって堰き止められ、「古蒜山原湖(こ ひるぜんばらこ)」という湖ができました。この時期の湖からの排水流路は盆地の西側から日本海側へ流出していたと推定されています。
この湖には周辺からの土砂が堆積し、「蒜山原層」という約100m厚の堆積層が形成されました。この層から、杉、ブナなどの植物化石や、昆虫、トウヨウゾウなどの動物化石が発見されています。それ以外に、湖に珪藻(プランクトンの一種)が大量に繁殖したため、現在ではそれを元とした「珪藻土」として採掘、利用されているようです。
その後(これも時代は不明)、更に大山からの火山性堆積物が湖の西側周辺に堆積して、湖から西側(日本海側)への流路が堰き止められてしまいました。その後、盆地の東側からの流路が形成され、瀬戸内海側(旭川水系)へと変わりました。
そしてそのあとは、周辺の山地からの土砂の流入により、湖は埋め立てられ、現在見られるようななだらかな盆地状(あるいは高原状)の地形が形成されました。
確かに、蒜山の山稜部から見下ろすと、この「蒜山高原(蒜山盆地)」は、非常になだらかな地形となっていることが良く解り、以前は湖だったということもうなづけます。
5)三瓶山
三瓶山(さんべさん:1126m)は島根県の南西部にある小規模な火山です。
標高があまりないのが残念ですが、比較的新しい火山地形を示し、ハイキングにも適した山です。
三瓶山の火山史について、(文献1−c)、(文献2−e)に基づき説明します。
三瓶山は、約11万年前から活動を開始した火山で、現在解っている最新の火山活動が約3600年前であることから、「活火山」に認定されています。
三瓶山の火山活動は割と詳しく研究されており、細かく見ると6回の活動期に分けられています。このうち約11〜4万年前の第1〜第3活動期に、流紋岩質マグマによる爆発的な火山活動が起き、現在の山体全体を含むカルデラ(直径 約5km)を形成したと推定されています。
後半の第4−第6活動期は溶岩流出/溶岩ドーム形成型の、前半よりは穏やか目な火山活動と変化しています。
三瓶山は、中心部の火山性凹地を囲むように、男三瓶、女三瓶、子三瓶などの小ピークが取り巻いていますが、これらのピークはカルデラ形成より後、第5期(約4500前)〜第6期(約3600年前)に形成された小規模な溶岩ドームだと推定されています(これらの溶岩ドームの形成時期については、諸説あるもよう)。
また三瓶山中心部にある火山性凹地は「室の内(むろのうち)」と呼ばれますが、これはカルデラの跡ではなく、爆裂火口の跡です。現在、この部分での火山活動は起こっておらず、登山道や小さい池もあります。
標高があまりないのが残念ですが、比較的新しい火山地形を示し、ハイキングにも適した山です。
三瓶山の火山史について、(文献1−c)、(文献2−e)に基づき説明します。
三瓶山は、約11万年前から活動を開始した火山で、現在解っている最新の火山活動が約3600年前であることから、「活火山」に認定されています。
三瓶山の火山活動は割と詳しく研究されており、細かく見ると6回の活動期に分けられています。このうち約11〜4万年前の第1〜第3活動期に、流紋岩質マグマによる爆発的な火山活動が起き、現在の山体全体を含むカルデラ(直径 約5km)を形成したと推定されています。
後半の第4−第6活動期は溶岩流出/溶岩ドーム形成型の、前半よりは穏やか目な火山活動と変化しています。
三瓶山は、中心部の火山性凹地を囲むように、男三瓶、女三瓶、子三瓶などの小ピークが取り巻いていますが、これらのピークはカルデラ形成より後、第5期(約4500前)〜第6期(約3600年前)に形成された小規模な溶岩ドームだと推定されています(これらの溶岩ドームの形成時期については、諸説あるもよう)。
また三瓶山中心部にある火山性凹地は「室の内(むろのうち)」と呼ばれますが、これはカルデラの跡ではなく、爆裂火口の跡です。現在、この部分での火山活動は起こっておらず、登山道や小さい池もあります。
(参考文献)
文献1)日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第6巻 中国地方」 朝倉書店 刊 (2009)
文献1―a) 文献1)のうち、
6−3章「(中国地方の)第四紀の火山岩」の項
文献1−b) 文献1)のうち、
6−3−3節 「大山―蒜山(ひるぜん)火山岩」の項
文献1−c) 文献1)のうち、
6−3−4節 「三瓶火山岩」の項
文献2)太田、成瀬、田中、岡田 編
「日本の地形 第6巻 近畿・中国・四国」 東京大学出版会 刊 (2004)
文献2−a) 文献2)のうち、
3−6章「中国地方の火山」の項
文献2−b) 文献2)のうち、
3−6−(4)項 「近畿地方北部と中国地方西部の単成火山」の項
文献2−c) 文献2)のうち、
3−6−(2)節 「大山火山」の項
文献2−d) 文献2)のうち、
3−3−(2)―1)項 「蒜山盆地の形成と火山活動」の項
文献2−e) 文献2)のうち、
3−6−(3)節 「三瓶火山」の項
文献3) 気象庁ホームページより、
「日本活火山総覧(第4版)」
(2022年2月 閲覧)
https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/souran/menu_jma_hp.html
文献4) 日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第5巻 近畿地方」 朝倉書店 刊 (2009)
文献4−a) 文献4)のうち、
4−3―2節「近畿地方北部の(新生代)火成活動」の項のうち、
4−3−2−(2)―2項「扇の山単成火山群」の項、及び
図4.3.6 「扇の山単成火山群地質図」
文献5) ウイキペディア 「氷ノ山」の項
(2022年3月 閲覧)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B7%E3%83%8E%E5%B1%B1
文献6) 石川
「フィリピン海スラブの形状」
地学雑誌、第110巻 p592−601 (2001)
https://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_8766634_po_p592-601.pdf?contentNo=1&alternativeNo=
文献7) 三好、石橋
「震源分布からみた伊勢湾から四国西部にかけての
フィリピン海スラブの形状」
地震(誌) 第57巻 p139−152 (2004)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/zisin1948/57/2/57_2_139/_article/-char/ja/
文献8) 弘瀬、中島、長谷川
「Double-Difference Tomography 法による、
西南日本の3次元地震波速度構造およびフィリピン海プレートの形状の推定」
地震(誌)、第60巻 p1−20 (2007)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/zisin/60/1/60_1/_article/-char/ja/
文献9) Koichi Asamori, Dapeng Zhao
"Teleseismic shear wave tomography of the Japan subduction zone"
Geophysical Journal International, Volume 203, Pages 1752?1772
https://jopss.jaea.go.jp/search/servlet/search?5049051
文献10)T. T.Nguyen, H. Kitagawa, I. P. Valasco, E. Nakamura
” Feedback of Slab Distortion on Volcanic Arc Evolution: Geochemical Perspective
From Late Cenozoic Volcanism in SW Japan ”
Journal of Geophysical Research: Solid Earth 125(10) (2020)
https://www.researchgate.net/publication/344553511_Feedback_of_Slab_Distortion_on_Volcanic_Arc_Evolution_Geochemical_Perspective_From_Late_Cenozoic_Volcanism_in_SW_Japan
文献11) T.グエン、北川、P.イバン、中村
「中国地方の火山 ーその活動の歴史とメカニズム」
(文献10の論文(研究)を元に学会発表した要旨;日本語)
https://pml.misasa.okayama-u.ac.jp/pages/projects/feedbackslabdistorwjapan-ja.php
「日本地方地質誌 第6巻 中国地方」 朝倉書店 刊 (2009)
文献1―a) 文献1)のうち、
6−3章「(中国地方の)第四紀の火山岩」の項
文献1−b) 文献1)のうち、
6−3−3節 「大山―蒜山(ひるぜん)火山岩」の項
文献1−c) 文献1)のうち、
6−3−4節 「三瓶火山岩」の項
文献2)太田、成瀬、田中、岡田 編
「日本の地形 第6巻 近畿・中国・四国」 東京大学出版会 刊 (2004)
文献2−a) 文献2)のうち、
3−6章「中国地方の火山」の項
文献2−b) 文献2)のうち、
3−6−(4)項 「近畿地方北部と中国地方西部の単成火山」の項
文献2−c) 文献2)のうち、
3−6−(2)節 「大山火山」の項
文献2−d) 文献2)のうち、
3−3−(2)―1)項 「蒜山盆地の形成と火山活動」の項
文献2−e) 文献2)のうち、
3−6−(3)節 「三瓶火山」の項
文献3) 気象庁ホームページより、
「日本活火山総覧(第4版)」
(2022年2月 閲覧)
https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/souran/menu_jma_hp.html
文献4) 日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第5巻 近畿地方」 朝倉書店 刊 (2009)
文献4−a) 文献4)のうち、
4−3―2節「近畿地方北部の(新生代)火成活動」の項のうち、
4−3−2−(2)―2項「扇の山単成火山群」の項、及び
図4.3.6 「扇の山単成火山群地質図」
文献5) ウイキペディア 「氷ノ山」の項
(2022年3月 閲覧)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B7%E3%83%8E%E5%B1%B1
文献6) 石川
「フィリピン海スラブの形状」
地学雑誌、第110巻 p592−601 (2001)
https://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_8766634_po_p592-601.pdf?contentNo=1&alternativeNo=
文献7) 三好、石橋
「震源分布からみた伊勢湾から四国西部にかけての
フィリピン海スラブの形状」
地震(誌) 第57巻 p139−152 (2004)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/zisin1948/57/2/57_2_139/_article/-char/ja/
文献8) 弘瀬、中島、長谷川
「Double-Difference Tomography 法による、
西南日本の3次元地震波速度構造およびフィリピン海プレートの形状の推定」
地震(誌)、第60巻 p1−20 (2007)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/zisin/60/1/60_1/_article/-char/ja/
文献9) Koichi Asamori, Dapeng Zhao
"Teleseismic shear wave tomography of the Japan subduction zone"
Geophysical Journal International, Volume 203, Pages 1752?1772
https://jopss.jaea.go.jp/search/servlet/search?5049051
文献10)T. T.Nguyen, H. Kitagawa, I. P. Valasco, E. Nakamura
” Feedback of Slab Distortion on Volcanic Arc Evolution: Geochemical Perspective
From Late Cenozoic Volcanism in SW Japan ”
Journal of Geophysical Research: Solid Earth 125(10) (2020)
https://www.researchgate.net/publication/344553511_Feedback_of_Slab_Distortion_on_Volcanic_Arc_Evolution_Geochemical_Perspective_From_Late_Cenozoic_Volcanism_in_SW_Japan
文献11) T.グエン、北川、P.イバン、中村
「中国地方の火山 ーその活動の歴史とメカニズム」
(文献10の論文(研究)を元に学会発表した要旨;日本語)
https://pml.misasa.okayama-u.ac.jp/pages/projects/feedbackslabdistorwjapan-ja.php
このリンク先の、11−1章の文末には、第11部「中国地方の山々の地質」の各章へのリンク、及び、「序章―1」へのリンク(序章―1には、本連載の各部へのリンクあり)を付けています。
第11部の他の章や、他の部をご覧になりたい方は、どうぞご利用ください。
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【書記事項】
初版リリース;2022年3月5日
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