大糸線沿線〜長峰山
- GPS
- 64:00
- 距離
- 26.2km
- 登り
- 366m
- 下り
- 417m
過去天気図(気象庁) | 2007年03月の天気図 |
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アクセス |
利用交通機関:
電車 自家用車
|
感想
穂高駅集合〜大糸線沿線ナイトハイキング&ピース・ウォーク
3月21日の春分の日を山のあしおと小学校の新しい活動の出発点とするピースウォーク&ナイトハイキングの3年目。今年は、松本駅から大糸線に沿って穂高駅まで歩き、そこから長峰荘経由,長峰山に登って日の出を迎える全長約26km(沿線部分16.2km)のコース。
参加者はYukihoとMasaharu兄妹とKosiさん,nobouの4名。直前になってコースを決めたので、この日にやると言うことを知らせてあったわずかな人達にしか案内が行き渡らず、4名のみの参加となった。それでも1人だけで歩いた昨年に比べれば複数の参加者があって心強く、また楽しんで歩ける予感がする。兄妹のお母さんが車で伴走して下さることになり、100万の味方を得た心持ちだ。
22:20出発,北松本駅へ
穂高発21:34の電車で出発点の松本駅へ向かう・・,つもりが間違えて8分前に来た電車に乗ったらしい。Kosiさんが明科駅から篠ノ井線で松本へ向かうことになっており、相前後して松本駅西口につくはずのところ姿がなく、時計を見てこちらの間違いに気づく。
22:20松本駅発,同40,最初の駅である北松本駅着。この駅は大糸線だけの駅で、篠ノ井線を走る電車は止まらない。おまけに道路が駅の下を掘ってつけられているので、地元の人でないとそこに駅があることを気づかれないような目立たない駅だ。そんな訳なので立ち寄るのはもちろん初めて。
梓橋駅。
島内駅と島高松駅を混同し、島高松駅に寄ったと勘違いして通過。R197の新橋から梓橋の区間は申しわけ程度の歩道しかなくて嫌な道なので早く通り抜けたかった。梓橋の上で日づけが変わり、0:10,予定より10分遅れで梓橋駅着。
元気いっぱいだった2人だが0時を過ぎる頃から1人が『眠い・・・』と言い、歩き通すつもりだったらしい1人も急に寡黙になった。2人には最後の山登りを頑張ってもらうことにしてここで車に収容してもらう。
田園地ガヤガヤとうるさい市街地から静かな田園地帯に入る。昼間,市内に買い物に行った帰りに今回のコースの距離を測ろうとここまで来てから慌てた。大糸線は梓橋から国道を大きく離れて西山(アルプス)寄りを走っていたのだ。わざわざ鉄道に沿って走ることはあまりないから『大糸線ハイク』と言いながらその道を知らず、頭ではR147を歩くくらいのつもりでコースの確認をしていなかったのだ。
それから2時間あまり,駅と線路に沿った道を探して行きつ戻りつ走りまわる。調査のために走った距離は15〜6kmのつもりが55kmもなっていた。
そうやって昼間見ておいた景色も夜になると見えないものが多くて、何かを目じるしにするより、むしろ行動した記憶を手がかりにする部分が多くなる。
一日市場の駅はとりわけごちゃごちゃと込み入った所にあったが、下見のお陰で案外スムーズにたどり着くことが出来た。夜陰に乗じて畦道を通らせてもらったり、時には線路脇を歩いてワープすることもある。0:50一日市場駅着。
中萱駅〜義民の里
珍しく線路に沿ってまっすぐな道が続く。こう言う道が最後まで続いていることは滅多になく、調子に乗っていると袋小路に入ってしまうことしばしばで、車の場合は大きく迂回するか引き返す羽目になる。
そういう道にも、小さな耕運機ぐらいが通れるほどの踏み切りや小道があるもので、それは付近の田畑への出入りに配慮したものと思われ、そんな道のお陰で昼間右往左往した所を簡単に通り抜けられることもある。1:15中萱駅着。
義民,中萱加助
多田加助は中萱の人。人情厚く学を好み、武芸も修め、特に陽明学も学んで『知行合一』の精神を会得していたと伝えられている。寛文4(1664)年,26才で父を継いで中萱村の庄屋となり、よく村内を治めると共に近隣村々の敬慕の的となったと言われているが、天和元(1681)年10月,藩命によって庄屋を辞めさせられた。
貞享3(1686)年10月,藩の年貢増徴に苦しむ農民を見るに忍びず、これを救おうと同志の中心になって五ヶ条の訴状を認め越訴に出た。
一時はそれが成功したかに見えたが、藩の奸計にあって実らず、加助をはじめ、首謀者はその子弟諸とも28名が極刑に処せられた。
南豊科・豊科駅へ
中萱駅を出て、駅周辺のちょっとごみごみした住宅地を抜けると線路沿いのまっすぐに伸びる道に出る。両側は田んぼで人家はまばら。線路のはるか向こうにオレンジ色のランプが微かに見えているのが、2km先の南豊科駅であろうと思われた。田畑以外に何もない,これが安曇野であり、まさにそのど真ん中を歩いているのだろう。
長い直線道路もやがて行き止まりになるのがわかっていいたので一旦左折して生活道路に出て北進する。道は緩やかに線路に近づき、交差して線路の東側に出
ると少し先で明るい道路にぶつかる。左折するとすぐに踏み切りがあり、そこが南豊科駅で、先刻来遠くから見えていたランプが、今来た方にオレンジ色の光を放っているのが見えた。
2;00着。ここまでで3時間40分,電車の距離にして10.4kmを歩いた。
南豊科駅付近は新興団地が広がる住宅地で、線路の東側には南安農高のグランドのフェンスが見えている。線路沿いにその団地を通り抜けると堀金村(旧)へつながる道路の陸橋下に出る。陸橋に上がる階段を通って線路の東側に出ると豊科駅に通じる飲み屋街の小路があり、足早に歩いて20分ほどで豊科駅に着く。
豊科駅〜柏矢町駅間は今回の駅間では最も長くて2.8kmもあるので大休止して腹ごしらえしたかったが、駅舎に鍵がかけられていたので早々に発って柏矢町に向かう。
柏矢町駅へ
豊科駅まで来ると国道に近いのだが、あくまでも線路沿いにこだわって小道を歩く。合同庁舎のある広い道路の踏み切りを渡り、線路の西に出て北進するとまもなく万水川(よろずいがわ)の放水路に出る。水路に沿って進むと万水川の本流にぶつかる。その辺りは改修工事中だったが、セメントの臭い混じってそれよりも強く川藻の臭い漂い、鼻の奥がすっとする。
出来たばかりの橋を渡ると踏み切りがあり、一旦左折して線路から離れるもののすぐにまた線路沿いの道に戻り、その道が4〜500mばかりつづく。ここもやがては行き止まりになり、車なら最後はごちゃごちゃと家並みの中を通らなければならないところだが、小さな踏切りのおかげでまわり道することなく見慣れた通りに出て程なく駅に着く。
時刻3:15。計画では穂高駅についている時刻だが、途中で駅に寄ったり買い物をしたのと、距離計算が鉄道距離だったこともあって計画より遅れている。
大休止して駅舎で弁当を食べる。両脚のつけ根が痛くなってきた。昨年は力にまかせてぐいぐい歩いたために後半足のつけ根が痛くなり、最後の登山で苦労したので、今年はあまりペースを上げないことにした。急いだところで時速4kmを5kmにする程度で6Km/時で歩き通すのはきつい。
穂高駅から走る
柏矢町は柏原と矢原の2つの地域を合わせた地名。柏原の踏み切りを西に渡って一旦は線路からかなり離れるが、最初の小道を右折すると後は道なりにゆっくり歩いて穂高神社の西側に出る。そのまま進めば駅前通に出てすぐに駅であるが、市役所の駐車場に廻ってKosiさんに車を運んでもらい1人で穂高駅に向かう。
穂高駅着4:15。日の出に間に合わせるためには長峰山の登山口を5時に出なくてはならない。これは変えられないので、穂高駅から長峰荘までを歩き通すことはこの時点で断念。
ここからは古志さんに車を運転してもらい、身軽になって時間が許す範囲で走れる所まで走ることにする。
4:45高瀬川にかかる安曇橋でタイムリミットとなり、Kosiさんを明科駅に送って長峰荘へ向かう
夜明けの登山
5:05,しっかり寝て元気回復の兄妹が登山口で待っており、ここから一緒に長峰山に登る。出発時はまだ暗く、足元の霜がヘッドランプに照らされてキラキラと光る。予報では今朝の気温は松本で-7℃。雪が残っている所もあり、ここはもっと冷えているはずだ。
少し登るとYukihoが『夜景がきれい!』と下界をふり返る。5:10過ぎからほんのり白み始めたと思うと、わずか10分ほどの間に一気に明るくなる。
山頂下の参道の直下がすごい急登で、その坂を前にしてYukihoが動けなくなり、Masaharuを先に行かせる。時刻6:10前。もうちょっとなのだが、日の出に間に合わなくてもそれはそれでよしとすることと決め、せかすのをやめて『もうすぐ空がバラ色になるよ〜』などと元気の出る話しをしながら自分で歩き出すのを待つ。
6:01登頂。幸い日の出はまだで、反対側のアルプスの銀嶺がピンクに染まり始めたところだった。
この日は天の赤道と黄道が交差する日なので太陽は黄経0度,つまり赤道上にある。なので、標準子午線上では日の出が6時で日没が18時と考えてよい。これは水平線付近でのことで、山の上では日の出はこれより若干遅れる。その分だけ遅くなって間に合ったのかもしれない。
6:10分頃、けつだし山のお尻の間から太陽が登り、歓声が上がって終了となる。
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