記録ID: 104388
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キャンプ等、その他
東北
津波被害者の捜索(南相馬市原町区)
2011年03月30日(水) ~
2011年03月31日(木)
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- GPS
- 06:46
- 距離
- 7.8km
- 登り
- 6m
- 下り
- 6m
天候 | 晴れ一時雨 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2011年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
いわきから南相馬までは、通常時なら国道6号を北上するだけなのですが、福島第一原発事故の影響で、福島県の中通りを迂回して向かいました。 南相馬市は大部分が、いわゆる自主避難エリアの30キロ圏内にあり、随所で検問が実施されています。 3月30日現在、一部のコンビニ以外に営業している店舗はありません。 |
写真
30km圏内に入ったことを示す看板。
ルートによっては、ゲートで封鎖されています。
このルートでは検問があり、これから先は30キロ圏内で、20キロ圏内は立ち入り禁止である旨説明を受けます。
ルートによっては、ゲートで封鎖されています。
このルートでは検問があり、これから先は30キロ圏内で、20キロ圏内は立ち入り禁止である旨説明を受けます。
押す波と引き波により瓦礫だまりがあちこちに出来ています。
遺体はこのような瓦礫の下に埋もれていることがあります。バックホーでていねいにかき分けていくのですが、台数も少なく遅々として進みません。
遺体はこのような瓦礫の下に埋もれていることがあります。バックホーでていねいにかき分けていくのですが、台数も少なく遅々として進みません。
撮影機器:
感想
南相馬市に住む親戚が津波に流され、3週間近くたった30日に捜索に出かけてきました。
このエリアは、30匏内の自主避難区域になっており、公的な捜索活動は全く行われていない地域です。地元の消防団(彼らも被災者で、多くの人たちが家族が被害に遭っています)を中心に細々と捜索活動が続けられています。
この地域には自衛隊も入っていますが捜索活動には参加していません。30km圏から避難するように個別訪問するのが彼らの役目のようです。
テレビの画像でくり返し津波の映像を見てきましたが、現地に立ってあらためて今回の津波のエネルギーが桁外れであったことを思い知らされました。
このエリアは、上空から見ると一面の平野に見えますが、海岸線付近の水田面で3m以上の標高があります。さらに、一段高い段丘上に主な集落があり、通常の津波の常識では、一番下の段ですら津波の影響なく、ましては段丘上は「津波が絶対に来ない」ことが自慢だったようです。そのせいか、比較的時間に余裕があったにもかかわらず、ほとんどの人が避難しないままに津波にのまれてしまいました。
3月末で、1000人以上の行方不明者の中、3割程度しか発見されていません。
遺体安置所では、3週間経過して痛みの進む遺体の身元確認に警察関係者が尽力されていましたが、遺体発見のペースは上がっていません。
4月1日には米軍も含めた大々的な捜索が行われたようですが、原発から30キロ圏内はその対象ではなく、見捨てられた状況であることを感じました。
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コメント
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本当に恐ろしいものですね。
トラクターのシャフトが折れたり電柱が“くの字”になったり、あと、道路の舗装が剥がれる?!わけのわからない状態になってるんですね…(>_<)
御親戚の方はまだ行方わからないんですね…
現状を見てショックもまた大きくなられたことでしょうけどmarunaさん達よく捜索に行って来られました。できること少しでも行うことが本当に価値ある大切なことだと感じました。様々な思いが交錯してその心労がいかばかりか測り知れませんが、どうか持ち前の粘り強さで乗り切られますように…。
marunaさんお疲れ様です。
テレビで何度もみていますがあらためて
すごいですね!
実際に現地で見るのが怖いですね。
私の友人も岩手県の宮古市で被災しています。
被災した方達に心からお見舞い申し上げます。
yamatyan
minkistさん、yamatyanさん
ありがとうございます。
震災後から捜索を続けている地元消防団の人たちの多くが家族を失っています。
両親と2人の子ども―下の子は今年小学校に入学予定だった―が津波にのまれながらも、消防団の主力として捜索活動を続けています。その彼が、30日付の地元紙で、「捜索する人手が足りない」と訴えていました。
われわれも捜索の中で子どもたちの写真や持ち物を数多く見つけ、胸が締め付けられる思いでした。
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