昭和46年3月22日没 深田久弥氏終焉の地 茅ヶ岳 昭和46年3月23日産まれ46歳がゆく
- GPS
- 05:08
- 距離
- 7.4km
- 登り
- 827m
- 下り
- 825m
コースタイム
天候 | はれ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2017年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
装備
個人装備 |
27Lザック
サングラス
ゲイター
ダブルストック
雨具
昼ご飯
ガスカートリッジ
コンロ
ライター
地図(地形図)
コンパス
ヘッドランプ
ロールペーパー
携帯
ストック
ナイフ
一眼レフ
18-55mm
ザーマクッション
プラティパス ハイドレ1.5
GPS
|
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感想
今日はむすこ君のスポ鬼の遠征先が山梨ということで、クラブのバス利用と自家用車利用が選べるなかで、どこか近くの山登りと合わせ技が効かないかということで茅ヶ岳になりました。この日はもともと甲武信をねらっていたが、集合と解散時間からして毛家平から上ったとしても移動と往復時間から計算してちょっと厳しいぞとなりました。地図をみていると200名山のこちらが近くにあるということで下調べしていくといろいろとわかってきました。まずはあの深田久弥氏の終焉の地と知られており(これ自体はしっていましたが)、この茅が岳登山の途中で脳卒中でたおられたとのことでした。またお亡くなりになられたのが3月22日ということ。1971年3月22日 そう この私が生まれる前日だったのです(1971年没ということは知っておりましたが)。すごく感慨深くなりましたね。今回の山行もそうですが深田久弥さんに今まで以上に興味がわいたというかいろいろな作品を読んでみたいと思いました。さて 山行をふりかえりたいと思います。今日は最高の天気に恵まれました。朝から雲一つなくさわやかな青空が広がり中央道からはまだ雪がたっぷりの白根三山が飛び込んできてテンションも上がります。むすこ君とおかさんを敷島総合帯区間におろし深田公園(茅ヶ岳登山口)をめざします。この敷島というところは新しい住宅が結構ある地区でなんといっても中央道を挟んだ向こうにはどっしりとした富士山がほぼ全容をみせており、しかもこの角度からもすばらしいとおもった。この富士山をみながら暮らす人たちがうらやましかった。
登山口は好天のせいか駐車場は満車状態です。さっそく準備をしてスタートしていくとすぐに深田氏の名前を冠した公園がありますがそこを右方向に進んでいきます。しばらくなだらかな道をまっすぐ進むと道路を横切りまた樹林帯の中を進んでいきます。徐々に斜度をます登山道を進み女岩に到着。ここからは急登がはじまります。ずっと展望がない道が続きますがしばらくいくと尾根筋にぶつかり右手にすこしいった岩の上からは奥秩父方面の展望が眺められ右から甲武信岳、金峰山、瑞牆山と100名山トリオがそろい分でいました。そこからものの5分もたたないうちに深田氏の終焉の地があります。ここから頂上は20分ほどでしたでしょうか。途中手も使う箇所もありますがそれほど期間箇所もなくまもなく頂上に到着します。ひとが多かったですね。たしかに天気がいいので富士山から、南アルプス、八ヶ岳、奥秩父と360度の眺望が山好きをワクワクさせていましたからね。少し霞んだ感じはしょうがないですがそれでもこれほどの眺望は素晴らしいの一言でした。二人の回収までは時間がたっぷりあるので頂上で写真撮影と昼食にたっぷりと時間をとることができました。鳳凰三山を真正面から眺められる場所に陣を取り私服の昼食タイムをとりました。
帰りは尾根コースをくだりましたがこちらも、危険個所はほぼなく上りに使っても樹木が茂るまえは南アルプスをみながら登れそうなのでいいのではないかな。
日本200名山の選定には深田氏の家族があたったと聞いておりましたが、この茅ヶ岳は真っ先に候補に上ったことと思われます。もちろん山容、眺望などもよいですが、深田氏がその生涯を終えた場所であるということが日本の山岳文化において遠い未来まで記憶されることになると思います。
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