筑波山
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天候 | 晴れ |
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アクセス |
利用交通機関:
電車
|
感想
毎年、夏休みには母の実家である筑波に行くのを私と弟は楽しみにしていた。
東京には無い自然があり、何よりも私と同い年のいとこと遊ぶことが無性に楽し
かった。まるで、井上陽水の「少年時代」か、プレステの「ぼくの夏休み」の
世界だった。
そんなある年の夏休み、いとこが夏休みの宿題に植物採集をすると言い出した。
それも近所ではなくて、筑波山が良いと言う。
母の実家は、筑波町(現在はつくば市)とは言っても、山からは少し離れていた
ので、登山口のあるところまで、バスか鉄道で行く必要があった。
(鉄道というのは、今は廃線となってしまった関東鉄道筑波線のことで、母の実家
へ行く時も利用する、その当時は地元の足として親しまれた鉄道であった。)
そうなると子供たちだけという訳にはいかないので、母が同行することになった。
母の実家は商売をしており、伯父、伯母は忙しく、暇な大人は母だけだったし、
母もその昔は登った経験もあったので、そういうことになったのだった。
そんな訳で、母、私、弟といとこの4人で登ることになった。
筑波山は昔から開発が進んでいて、ロープウェイ、ケーブルカーを使えば、簡単
に登れるので、山というよりは観光地という感覚だったから、装備も何もなく、
近所の裏山に出かけるのと同じで、お弁当におやつ、水筒、それに携帯ラジオと
いう格好で出かけた。
筑波山神社裏手の登山口から登り出し、真夏の暑いさなか、途中で植物採集をし
つつ、高校野球中継を聞きながら、ゆっくりと登って山頂。(まで行ったと思う)
遠い昔の少年の日の思い出なので、思い出せないところもあるが、日付だけはこ
の日とはっきり特定できる。
この日1969年8月18日は、東北勢としては戦後初の決勝進出を果たした青森三沢
高校と松山商業の決勝戦で、後にプロとなって人気を博した太田幸司投手が、
一人で延長18回を投げ抜いて0-0で引き分けた試合の日だった。
山行の行程は覚えていなくても、ラジオから流れる中継放送の太田幸司という
名前だけは記憶に残っていたのである。
(2011/9/27記)
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