銚子から大洗のはずが ★チャリレコ 銚子・犬吠崎周回 風力4
- GPS
- --:--
- 距離
- 36.9km
- 登り
- 28m
- 下り
- 22m
コースタイム
10:30銚子駅ー11:00犬吠崎11:15ー13:00利根かもめ大橋ー13:30松岸駅
帰り:JR東日本総武本線・松岸駅から輪行
天候 | 冬晴れ 南西の風10m超 |
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過去天気図(気象庁) | 2017年11月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
帰り:JR東日本・総武本線松岸駅から輪行 |
写真
装備
個人装備 |
ロードレーサー
|
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感想
今回のミッションは
■海岸線サイクリングして茨城のガルヲタと合流
※ガルヲタ=アニメ・ガールズ&パンツァーのヲタク。聖地は大洗
海岸線サイクリングして茨城のガルヲタと合流
という、おおよそ80kmの銚子ー大洗サイクリングだ!!
ミッションに先立ち、前日さくっと真鶴半島&湯河原サイクリングを決行w
何回来ても伊豆はいい。。
冬うらら湯河原の丘ひかる海 ほの香
寒風の止まれば碧く遠い海 ほの香
蜜柑山のふもと借りたる駅舎かな ほの香
蜜柑食う伊豆七島を指差して ほの香
緩やかなブイに傾げて冬鷗 ほの香
半島の三崎を見つめ野水仙 ほの香
紐ほどく輪行袋に波郷の忌 ほの香
銚子にて
冬海は木枯し受けるどつしりと ほの香
今回の銚子では、体調不良につき俳句を詠んでいる余裕がなかったので、以下の小話を紹介することにします。
明治二十九年 病中雪
雪ふるよ障子の穴を見てあれば 正岡子規
いくたびも雪の深さを尋ねけり
雪の家に寝てゐると思ふばかりにて
障子開けよ上野の雪を一目見ん
1.2.3の句は俳号がなければ見過ごしてしまうような、雪と現実(病気)を”淡く”客観的に捉えた句です。※雪の家(ゆきのや)
障子開けよ!! 病人の命令形は”看護する立場からすれば”ありがちな光景で面倒な気がしますが、病人にしてみれば今日の上野の雪は珍しいことだったのでしょう
”いくたびも”の句について、山本健吉氏は
(前略)
病中の子規の境涯(きょうがい)のにじみ出ている句である。不治という自覚はあったとしても病気はまだ中期であって、諦念(ていねん)に達するまでにいたらず、起きて外の風景を眺められないもどかしさもあったであろう。「障子の穴」から雪の降るさまはちらちら見えるのだが、家人の言葉から想像してもよほどの大雪らしい。何度も雪の深さを家人にしつこく尋ねるのである。そしてそのたびに深さを増す積雪量を想像し、わずかに心をなぐさめている。
(中略)
病気の子規の気持ちは、いわば少年の愚に還っているのである。刻々と降り積もる雪に、少年のように子規の心は逸る(はやる)のである。「いくたびも」と言い、「尋ねけり」といったところに、それははっきり表現されている。その心逸りを、病人の気短さからじっと押えていることができない。それが雪の深さについての幾度もの質問となって現れる。もちろん看病に忙しい母や妹は、こんな他愛もないことにかかずらっていられるはずがない。だが、仕方がないとこぼしながらも、一々病人に報告していたのだろう。そういう子規と家族たちとのユーモラスな情景も浮かんでくる。だが子規の気持ちはユーモラスどころではない。このような一見無意味なことに執着せざるをえないところの充たされない心の翳(かげ)が、ちらとこの句には顔を出しているのである。
日常生活の一記録としての淡々たる表現でありながら、このような病床吟に、子規はもはや芭蕉でも蕪村でもない独特の詩境を開いて行ったのである。
(後略)
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思うように動けない体調不良の中でもそれ(病気)を受け入れて(乗り越えて、”都内の雪”という珍しい景物に集中する詩人。。
私も蝉の羽化、鷹の渡り、という珍しい景物に興奮して数句詠んだことがある。
同じく、”珍しい都内の雪”というピキピキという”刺激”を子規の中に感じるのです。
恐らく子規は、色々大胆で、死に行く病人の中では家族が苦笑しながら面倒かなと思う部類かなと思う。
子規の句は
いくたびも〜 という現病人への励み、尋ねる〜 勇気でもある
今回のミッションは失敗
茨城のガルヲタには午前中に電話を入れ作戦中止を告げました(キリッ
コメント
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Honoca 姐さん 深夜の訪問お許しを。
海風の強さは半端ないですものね。
無理せず賢明な撤退と拍手👏
子規の小話 なんてタイムリー。沁みますズラ。(T ^ T)
介護する側される側 ♪何度でも何度でも♫気長に振り回される心の余裕を今一度ですね。
勝手に 「応援どうも」です m(._.)m
おばばさま。深夜のコメントありがとうですよ
※ってタイムスタンプは気にしていないのでw
撤退は、、
西伊豆とかではムリな選択。エスケープがない山でもおんなじです
近くに電車があって良かったですよ。
明治二十九年 病中雪
いくたびも雪の深さを尋ねけり 正岡子規
明治三十五年に結核に伴う脊椎カリエスで逝去した子規ですが、
そんな病気の中にあっても家族との会話、寒い雪の中での看病を思い起こさせます。
※仰せの何がタイムリーなのだかは置いといて(^^;
味わい深い句だと思います。
いわゆる俳人は己の死ですら客観的に詠む傾向があり
それはそれで潔いと思います
そんな客観も家族あってのキャッチボールなのでしょう
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