堺から伸びる竹ノ内街道の延長上にある横大路の宿場町「桜井」。しばらくは重複して進んでいきます。
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12/1 9:42
堺から伸びる竹ノ内街道の延長上にある横大路の宿場町「桜井」。しばらくは重複して進んでいきます。
桜井町の道路元標。ここは紅葉の名所の談山神社へも続く多武峰街道との分岐点。
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12/1 9:53
桜井町の道路元標。ここは紅葉の名所の談山神社へも続く多武峰街道との分岐点。
道中では所々で街道名の標識を見かけますが半坂峠より西側に集中しています。
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12/1 9:57
道中では所々で街道名の標識を見かけますが半坂峠より西側に集中しています。
古い家並みが残っています。
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12/1 9:57
古い家並みが残っています。
ここは左へ。枡形になっていたようです。
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12/1 10:08
ここは左へ。枡形になっていたようです。
すぐに右に曲がります。
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12/1 10:09
すぐに右に曲がります。
その角には大きな銀杏がある小さな神社があります。宿場の出入り口には神様が祀ってあることが多いですね。
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12/1 10:09
その角には大きな銀杏がある小さな神社があります。宿場の出入り口には神様が祀ってあることが多いですね。
関西では珍しい庚申塔と双体道祖伸。
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12/1 10:14
関西では珍しい庚申塔と双体道祖伸。
この左側のスペースは旧道の痕跡でしょう。
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12/1 10:19
この左側のスペースは旧道の痕跡でしょう。
川沿いを進みます。
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12/1 10:21
川沿いを進みます。
昭和13年製の指差し道標。紀元2600年を記念する道標は沿道で何度も見かけることができました。「磯城邑傳稱地道」と書かれています。
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12/1 10:32
昭和13年製の指差し道標。紀元2600年を記念する道標は沿道で何度も見かけることができました。「磯城邑傳稱地道」と書かれています。
宇陀ヶ辻の手前では道路の改良がされていて建物を見ると左に広げられたのがわかります。
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12/1 10:36
宇陀ヶ辻の手前では道路の改良がされていて建物を見ると左に広げられたのがわかります。
宇陀ヶ辻。ここは横大路と忍坂街道との分岐点。横大路(初瀬街道)は伊勢本街道と合流して長谷寺を経由して伊勢方面へ伸びています。右手の旧道を進みます。
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12/1 10:42
宇陀ヶ辻。ここは横大路と忍坂街道との分岐点。横大路(初瀬街道)は伊勢本街道と合流して長谷寺を経由して伊勢方面へ伸びています。右手の旧道を進みます。
「舒明天皇御陵道、従是、南へ八丁」「明治廿七年五月」忍坂地区に天皇陵がありその案内道標です。
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12/1 10:44
「舒明天皇御陵道、従是、南へ八丁」「明治廿七年五月」忍坂地区に天皇陵がありその案内道標です。
静かな川沿いを進みます。遠くの紅葉が美しい。
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12/1 10:50
静かな川沿いを進みます。遠くの紅葉が美しい。
国道と交差します。
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12/1 10:53
国道と交差します。
国道の右手に旧道の痕跡。
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12/1 10:54
国道の右手に旧道の痕跡。
銀杏が綺麗ですね。
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12/1 10:55
銀杏が綺麗ですね。
ここは国道沿いではなく川沿いを進みます。
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12/1 10:57
ここは国道沿いではなく川沿いを進みます。
本来はまだ真っすぐ川沿いですが消滅しているので左に曲がって国道に合流します。
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12/1 10:59
本来はまだ真っすぐ川沿いですが消滅しているので左に曲がって国道に合流します。
「忍阪」と書かれた標識。坂ではなく阪なのは大阪が江戸時代は大坂と多用されていたのと同様なニュアンスなのでしょう。
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12/1 11:01
「忍阪」と書かれた標識。坂ではなく阪なのは大阪が江戸時代は大坂と多用されていたのと同様なニュアンスなのでしょう。
この先で左への旧道に入ります。
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12/1 11:04
この先で左への旧道に入ります。
「忍坂」の読み方は「おっさか」ですが由来を調べると古くは「押坂」とも呼ばれていて刑部省(司法全般)を意味する刑部(おさかべ)が関連するという説。もう一つは忍坂大中姫が住んでいたという説があります。
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12/1 11:06
「忍坂」の読み方は「おっさか」ですが由来を調べると古くは「押坂」とも呼ばれていて刑部省(司法全般)を意味する刑部(おさかべ)が関連するという説。もう一つは忍坂大中姫が住んでいたという説があります。
アスファルトの下に残る古くからの石積み。
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12/1 11:25
アスファルトの下に残る古くからの石積み。
ここは左へ。右に曲がると指差し道標がありますが昭和15年のものです。
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12/1 11:27
ここは左へ。右に曲がると指差し道標がありますが昭和15年のものです。
国道を左へ。
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12/1 11:33
国道を左へ。
その角に立つ忍坂道の道標。これも昭和15年もの。忍坂道は松山街道とも呼ばれますが忍坂道と呼ばれるほうが古くからのものです。歴史的に深い道でもあるので文化庁の「大和の古道紀行」として山の辺の道と共に選定されています。
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12/1 11:34
その角に立つ忍坂道の道標。これも昭和15年もの。忍坂道は松山街道とも呼ばれますが忍坂道と呼ばれるほうが古くからのものです。歴史的に深い道でもあるので文化庁の「大和の古道紀行」として山の辺の道と共に選定されています。
交差した先にある国道脇の古道らしき道筋。
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12/1 11:38
交差した先にある国道脇の古道らしき道筋。
この付近の国道は山を削って拡幅されているおかげで右横に旧道がそのまま残っていたりします。ここの歩道部分は旧道です。
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12/1 11:54
この付近の国道は山を削って拡幅されているおかげで右横に旧道がそのまま残っていたりします。ここの歩道部分は旧道です。
右横に残る旧道。旧道は国道より若干レベルが低い位置にあります。
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12/1 11:58
右横に残る旧道。旧道は国道より若干レベルが低い位置にあります。
昔の山肌の一部がそのまま残っているのは貴重ですね。
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12/1 11:59
昔の山肌の一部がそのまま残っているのは貴重ですね。
粟原集落は女寄峠と半坂峠への道の追分になるのですが分岐点の確定に悩みました。自然歩道はここを右に曲がるよう指示されています。
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12/1 12:15
粟原集落は女寄峠と半坂峠への道の追分になるのですが分岐点の確定に悩みました。自然歩道はここを右に曲がるよう指示されています。
ところがこの先には道標のある分岐点も存在しています。ガードレールがある場所がそうです。
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12/1 12:23
ところがこの先には道標のある分岐点も存在しています。ガードレールがある場所がそうです。
「男坂傳稱地道」昭和15年ものです。江戸時代のものでないのが非常に悩ましいところです。
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12/1 12:23
「男坂傳稱地道」昭和15年ものです。江戸時代のものでないのが非常に悩ましいところです。
この交点には明治時代は学校があり今は公民館になっています。
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12/1 12:23
この交点には明治時代は学校があり今は公民館になっています。
女寄峠への道と分岐すると坂が始まります。この坂の上には粟原寺跡付近の粟原集落があるのですが学校と集落を結ぶ近道として明治初期に作られた道という説も否定できません。とはいえ川の流れや地形を勘案するとこちらが古くからの道と考えるのが妥当でしょう。
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12/1 12:25
女寄峠への道と分岐すると坂が始まります。この坂の上には粟原寺跡付近の粟原集落があるのですが学校と集落を結ぶ近道として明治初期に作られた道という説も否定できません。とはいえ川の流れや地形を勘案するとこちらが古くからの道と考えるのが妥当でしょう。
坂を上ると先ほどの自然歩道が右から合流してきます。左へ。川は暗渠になっていて流れは急です。道筋的にも川の流れに沿ったものであったように思えます。
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12/1 12:33
坂を上ると先ほどの自然歩道が右から合流してきます。左へ。川は暗渠になっていて流れは急です。道筋的にも川の流れに沿ったものであったように思えます。
ちなみに自然歩道側は光景がこちら。明治の地図には載っている道ですが坂道の勾配は似たようなものでした。
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12/1 12:48
ちなみに自然歩道側は光景がこちら。明治の地図には載っている道ですが坂道の勾配は似たようなものでした。
ここにも「男坂傳稱地道」昭和15年ものの道標が立ちます。
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12/1 12:33
ここにも「男坂傳稱地道」昭和15年ものの道標が立ちます。
右下のコンクリ状の敷石の下に川が流れています。
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12/1 12:34
右下のコンクリ状の敷石の下に川が流れています。
この先で左に分岐しますがここは川の左側を進んでから曲がるのが正解のように思います。
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12/1 13:07
この先で左に分岐しますがここは川の左側を進んでから曲がるのが正解のように思います。
ここを左ですね。
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12/1 13:09
ここを左ですね。
ここからは山道になります。
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12/1 13:10
ここからは山道になります。
太神宮常夜燈。伊勢神宮関連のものですね。
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12/1 13:11
太神宮常夜燈。伊勢神宮関連のものですね。
この自然石の道標は古いものです。「うだ道」の文字があります。
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12/1 13:11
この自然石の道標は古いものです。「うだ道」の文字があります。
獣除けのゲートを越えると最初は舗装路であった道は次第にコンクリ道、土道へと変わっていきます。
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12/1 13:12
獣除けのゲートを越えると最初は舗装路であった道は次第にコンクリ道、土道へと変わっていきます。
なかなか歩きやすい道です。
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12/1 13:17
なかなか歩きやすい道です。
これは先日の台風被害の影響でしょう。
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12/1 13:21
これは先日の台風被害の影響でしょう。
石を割った切通し。
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12/1 13:31
石を割った切通し。
屋根が架かっているただの石と思いきや・・・
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12/1 13:33
屋根が架かっているただの石と思いきや・・・
側面に石仏が彫られていました。
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12/1 13:34
側面に石仏が彫られていました。
峠手前は若干急ですが登山道と比べると大したものではありません。
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12/1 13:49
峠手前は若干急ですが登山道と比べると大したものではありません。
半坂峠。忍坂道は片峠になっているので峠から少し下るだけで集落があります。
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12/1 13:55
半坂峠。忍坂道は片峠になっているので峠から少し下るだけで集落があります。
峠には常夜灯と広い平場があります。おそらくこの平場に茶屋があったと思われます。周辺には瓦や茶わんの破片が散乱していました。
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12/1 13:55
峠には常夜灯と広い平場があります。おそらくこの平場に茶屋があったと思われます。周辺には瓦や茶わんの破片が散乱していました。
男坂傳稱地道。ここにもあった昭和15年もの。
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12/1 13:55
男坂傳稱地道。ここにもあった昭和15年もの。
大宇陀側は緩やかですが若干荒れている感じでした。
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12/1 14:03
大宇陀側は緩やかですが若干荒れている感じでした。
夏場は藪になっているかもしれませんね。
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12/1 14:06
夏場は藪になっているかもしれませんね。
男坂傳稱地道の場所で右に曲がります。
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12/1 14:08
男坂傳稱地道の場所で右に曲がります。
半分消滅しているような感じです。
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12/1 14:09
半分消滅しているような感じです。
田んぼの横を進みます。
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12/1 14:10
田んぼの横を進みます。
ロープが張っている右横に旧道の痕跡が残っています。
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12/1 14:11
ロープが張っている右横に旧道の痕跡が残っています。
この先で右に曲がって舗装路へ。
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12/1 14:12
この先で右に曲がって舗装路へ。
半阪集落。
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12/1 14:14
半阪集落。
少し上ると「小峠」。半坂峠を大峠とするならば対をなしている峠と思われます。
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12/1 14:17
少し上ると「小峠」。半坂峠を大峠とするならば対をなしている峠と思われます。
山の中ながらも歩きやすい道が続きます。
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12/1 14:25
山の中ながらも歩きやすい道が続きます。
道路改修碑。昭和20年代のもので昔は険しい道だったことが想像できます。
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12/1 14:31
道路改修碑。昭和20年代のもので昔は険しい道だったことが想像できます。
芝生集落。古絵図にも描かれている集落です。この辺りから道が複雑な様相になっていきますが明治の地図を見れば街道はどこだったかの推測は容易です。
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12/1 14:40
芝生集落。古絵図にも描かれている集落です。この辺りから道が複雑な様相になっていきますが明治の地図を見れば街道はどこだったかの推測は容易です。
ここは左の民家脇に残る路地が古道でしょう。
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12/1 14:42
ここは左の民家脇に残る路地が古道でしょう。
平行してある右側の車道とは若干段差があります。この先で車道と合流します。
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12/1 14:44
平行してある右側の車道とは若干段差があります。この先で車道と合流します。
ここは右へ。
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12/1 14:58
ここは右へ。
古い風情が残ります。
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12/1 15:04
古い風情が残ります。
宇陀松山城が見えます。その奥に雪が積もった高見山も見えます。
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12/1 15:07
宇陀松山城が見えます。その奥に雪が積もった高見山も見えます。
ここを右へ。国道に合流します。この左手のローソンで休憩しました。
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12/1 15:16
ここを右へ。国道に合流します。この左手のローソンで休憩しました。
ここを左へ。
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12/1 15:32
ここを左へ。
旧道風情。この付近は川沿いの旧国道が旧街道と思われがちですが古絵図を見る限りこのルートが正しいようです。
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12/1 15:39
旧道風情。この付近は川沿いの旧国道が旧街道と思われがちですが古絵図を見る限りこのルートが正しいようです。
その証拠に立派な道標。嘉永年間のもので左、みわさん、右、はせでらと書かれています。
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12/1 15:40
その証拠に立派な道標。嘉永年間のもので左、みわさん、右、はせでらと書かれています。
宇陀の城下町を進みます。
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12/1 15:43
宇陀の城下町を進みます。
この右側のスペースは枡形の痕跡かもしれません。
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12/1 15:54
この右側のスペースは枡形の痕跡かもしれません。
ここを左に曲がります。直進は古い時代の「伊勢道」。後年は城下の中を通っていたと思いますが時代によってのルート変更があったようです。
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12/1 15:55
ここを左に曲がります。直進は古い時代の「伊勢道」。後年は城下の中を通っていたと思いますが時代によってのルート変更があったようです。
この先が宇陀松山の城下町。橋を渡った先には西門が残っていて枡形もあります。忍坂街道としてはここがゴールとなります。
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12/1 15:55
この先が宇陀松山の城下町。橋を渡った先には西門が残っていて枡形もあります。忍坂街道としてはここがゴールとなります。
脇にあった道路元標は神戸村のもの。大宇陀町は松山町、神戸村など周辺の集落と合併して生まれています。
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12/1 15:55
脇にあった道路元標は神戸村のもの。大宇陀町は松山町、神戸村など周辺の集落と合併して生まれています。
立派な城門。
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12/1 15:56
立派な城門。
宇陀松山といえば薬が有名ですね。薬草園があるほか吉野葛や宇陀紙の集散地としての商家町の側面もあります。
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12/1 16:08
宇陀松山といえば薬が有名ですね。薬草園があるほか吉野葛や宇陀紙の集散地としての商家町の側面もあります。
切妻・桟瓦葺・平入の伝統的な建物が連なっています。
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12/1 16:14
切妻・桟瓦葺・平入の伝統的な建物が連なっています。
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