「小谷山」麓の「清水(きよみず)谷」にある、「小谷城 戦国歴史資料館」前に、やって来ました。
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「小谷山」麓の「清水(きよみず)谷」にある、「小谷城 戦国歴史資料館」前に、やって来ました。
「小谷城 戦国歴史資料館」から少し離れた、登山者用・無料駐車場を利用させて頂きました。資料館見学者用の駐車場は、入口ゲート前に設けられていました。
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4/30 10:43
「小谷城 戦国歴史資料館」から少し離れた、登山者用・無料駐車場を利用させて頂きました。資料館見学者用の駐車場は、入口ゲート前に設けられていました。
入口のゲートをくぐり、構内をひと回りします。歴史資料館への入館は、以前に訪れたことがあるので、今回はパスします。
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4/30 10:44
入口のゲートをくぐり、構内をひと回りします。歴史資料館への入館は、以前に訪れたことがあるので、今回はパスします。
歴史資料館前の様子です。
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歴史資料館前の様子です。
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「小谷城跡 清水谷絵図」の、大看板がありました。
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「小谷城跡 清水谷絵図」の、大看板がありました。
「小谷城の曲輪復元図」も、ありました。
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「小谷城の曲輪復元図」も、ありました。
「小谷城跡 安全標識」の案内板がありました。見学者用・登山者用のルート沿いに、ほぼ100m間隔で設置されていました。
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4/30 10:46
「小谷城跡 安全標識」の案内板がありました。見学者用・登山者用のルート沿いに、ほぼ100m間隔で設置されていました。
「小谷山」登山への、もう一つの基地「戦国ガイドステーション」への、案内板がありました。ここより南東方向にあり、約500mです。尾根末端の山裾を回る道で、結ばれています。
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4/30 10:44
「小谷山」登山への、もう一つの基地「戦国ガイドステーション」への、案内板がありました。ここより南東方向にあり、約500mです。尾根末端の山裾を回る道で、結ばれています。
トイレの案内が、ありました。この「追手道登山道」登山口近くに、簡易トイレがありますが、気持ち良く済ませるには、「戦国歴史資料館(入館料 大人 300円)」か「戦国ガイドステーション」の無料トイレが、お薦めです。
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4/30 10:47
トイレの案内が、ありました。この「追手道登山道」登山口近くに、簡易トイレがありますが、気持ち良く済ませるには、「戦国歴史資料館(入館料 大人 300円)」か「戦国ガイドステーション」の無料トイレが、お薦めです。
「戦国歴史資料館」から、登山口に向かいます。前面道路には、バス停がありました。
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4/30 10:47
「戦国歴史資料館」から、登山口に向かいます。前面道路には、バス停がありました。
登山口前まで、歩いてきました。
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4/30 10:47
登山口前まで、歩いてきました。
「追手(おって)道」登山道と、呼ばれています。
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4/30 10:47
「追手(おって)道」登山道と、呼ばれています。
たくさんの、案内板・説明板がありました。
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4/30 10:48
たくさんの、案内板・説明板がありました。
「追手道」登山道に、入ります。左手には、「協力金箱」が設置されています。
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「追手道」登山道に、入ります。左手には、「協力金箱」が設置されています。
左手に、浅井家の重臣「磯野氏」の屋敷跡がありました。
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4/30 10:55
左手に、浅井家の重臣「磯野氏」の屋敷跡がありました。
同上、説明板。
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同上、説明板。
タンポポに、送られて!
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4/30 10:55
タンポポに、送られて!
尾根の裾まで来ると、獣害防止用の門扉がありました。出入り毎に、備え付けの針金でロックします。
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尾根の裾まで来ると、獣害防止用の門扉がありました。出入り毎に、備え付けの針金でロックします。
右手に、「登山道入口」の標識がありました。
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4/30 10:56
右手に、「登山道入口」の標識がありました。
尾根に向って、登って行きます。
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4/30 10:57
尾根に向って、登って行きます。
「小谷山・小谷城跡」の見学者・登山者用ルート沿いに設置された、「安全標識 2」が出て来ました。山頂の「大嶽(おおづく)城跡」まで、2,600mです。
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4/30 10:58
「小谷山・小谷城跡」の見学者・登山者用ルート沿いに設置された、「安全標識 2」が出て来ました。山頂の「大嶽(おおづく)城跡」まで、2,600mです。
階段の後は、つづら折れに登って行きます。
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4/30 11:00
階段の後は、つづら折れに登って行きます。
登山口から約5分、そこそこの勾配を登って来ました。尾根上の、「小谷山林道」との分岐が見えます。
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4/30 11:02
登山口から約5分、そこそこの勾配を登って来ました。尾根上の、「小谷山林道」との分岐が見えます。
尾根南端の、小高い場所にある「出丸」跡に向かいます。右折して林道に出て、少し下ります。
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4/30 11:02
尾根南端の、小高い場所にある「出丸」跡に向かいます。右折して林道に出て、少し下ります。
すぐ左手の小高い場所に、登って行く道がありました。
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すぐ左手の小高い場所に、登って行く道がありました。
登り口に「出丸」跡の、説明板がありました。
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登り口に「出丸」跡の、説明板がありました。
「出丸」跡に向けて、登って行きます。
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「出丸」跡に向けて、登って行きます。
「出丸」跡に、登って来ました。
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「出丸」跡に、登って来ました。
「出丸」跡の、想像「復元図」がありました。。
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「出丸」跡の、想像「復元図」がありました。。
「出丸」跡からは、展望がききました。先に行ってみます。
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「出丸」跡からは、展望がききました。先に行ってみます。
南方向の眺めです。「戦国ガイドステーション」の駐車場が、下に見えます。
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南方向の眺めです。「戦国ガイドステーション」の駐車場が、下に見えます。
西方向の眺めです。
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西方向の眺めです。
「出丸」跡から「小谷山林道」に出て、「追手道」登山道との分岐まで、戻ってきました。
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4/30 11:10
「出丸」跡から「小谷山林道」に出て、「追手道」登山道との分岐まで、戻ってきました。
「追手道」登山道を、登って行きます。山頂の「大嶽城跡」まで、あと2,446mです。登山道は、尾根筋直登の、結構な勾配が続きます。降雨により道床が洗われて、掘れたり段差が出来たりと、結構荒れた箇所もあります。
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4/30 11:10
「追手道」登山道を、登って行きます。山頂の「大嶽城跡」まで、あと2,446mです。登山道は、尾根筋直登の、結構な勾配が続きます。降雨により道床が洗われて、掘れたり段差が出来たりと、結構荒れた箇所もあります。
この辺りは、荒れも少なく、比較的歩き易い箇所でした。
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4/30 11:12
この辺りは、荒れも少なく、比較的歩き易い箇所でした。
右カーブ地点に、標識が見えます。
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右カーブ地点に、標識が見えます。
「間柄峠址」まで、登って来ました。
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4/30 11:19
「間柄峠址」まで、登って来ました。
「間柄峠」の説明板。字が薄くなって、読み取れません。
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「間柄峠」の説明板。字が薄くなって、読み取れません。
「間柄峠」から暫らく登ると、右上が開けてきました。標識も、見えます。
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4/30 11:22
「間柄峠」から暫らく登ると、右上が開けてきました。標識も、見えます。
登ってみると「小谷山林道」との合流点で、ちょっとした広場になっており、ベンチが設置されていました。
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4/30 11:22
登ってみると「小谷山林道」との合流点で、ちょっとした広場になっており、ベンチが設置されていました。
「望笙(ぼうしよう)峠」です。琵琶湖側が、開けていました。竹生島が見えます。
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4/30 11:22
「望笙(ぼうしよう)峠」です。琵琶湖側が、開けていました。竹生島が見えます。
右手の「小谷山林道」は、「小谷城」の「番所」跡まで、通じています。観光シーズンには、麓の「戦国ガイドステーション」前から「番所」跡まで、シャトルバスが運行されます。
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右手の「小谷山林道」は、「小谷城」の「番所」跡まで、通じています。観光シーズンには、麓の「戦国ガイドステーション」前から「番所」跡まで、シャトルバスが運行されます。
「追手道」登山道に戻り、登って行きます。
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「追手道」登山道に戻り、登って行きます。
「金吾丸」跡への分岐まで、登って来ました。「金吾丸」跡は、尾根上の小ピークにあり、右手の階段を登って行きます。左の道は、「金吾丸」跡の左下を巻いて、「番所」跡に登る巻き道です。
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「金吾丸」跡への分岐まで、登って来ました。「金吾丸」跡は、尾根上の小ピークにあり、右手の階段を登って行きます。左の道は、「金吾丸」跡の左下を巻いて、「番所」跡に登る巻き道です。
右手の「金吾丸」跡に、登ります。
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右手の「金吾丸」跡に、登ります。
左右に、花を見ながら登って行きます。
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左右に、花を見ながら登って行きます。
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結構、登りが続きます。
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結構、登りが続きます。
花に癒されながら、登って行きます。
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花に癒されながら、登って行きます。
約5分かかって、登って来ました。「金吾丸」跡は、小ピークの頂上部にありました。珍しく、ここには「金吾丸」の想像「復元図」は、見あたりませんでした。
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4/30 11:35
約5分かかって、登って来ました。「金吾丸」跡は、小ピークの頂上部にありました。珍しく、ここには「金吾丸」の想像「復元図」は、見あたりませんでした。
「金吾丸」跡から、降りて来ました。下は、「番所」跡前で、「小谷山林道」の終点です。観光用のシャトルバスは、ここまで登って来ます。
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4/30 11:36
「金吾丸」跡から、降りて来ました。下は、「番所」跡前で、「小谷山林道」の終点です。観光用のシャトルバスは、ここまで登って来ます。
林道終点まで、降りて来ました。「金吾丸」跡に登らない巻き道とも、ここで合流します。
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4/30 11:37
林道終点まで、降りて来ました。「金吾丸」跡に登らない巻き道とも、ここで合流します。
大きな「小谷城絵図」が、ありました。
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4/30 11:37
大きな「小谷城絵図」が、ありました。
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「番所」跡です。
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「番所」跡です。
「番所」の説明板。
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「番所」の説明板。
「番所」跡の、想像「復元図」。
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4/30 11:38
「番所」跡の、想像「復元図」。
「本丸」跡に向けて、登って行きます。
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「本丸」跡に向けて、登って行きます。
左手(南側)が開けている場所まで、登って来ました。「虎御前山展望所」です。正面奥に「織田信長」軍が陣取った、「虎御前山」が見えます。
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4/30 11:41
左手(南側)が開けている場所まで、登って来ました。「虎御前山展望所」です。正面奥に「織田信長」軍が陣取った、「虎御前山」が見えます。
見下ろす形で、よく見えます。
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4/30 11:41
見下ろす形で、よく見えます。
「御茶屋」跡まで、登って来ました。
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「御茶屋」跡まで、登って来ました。
右手の木立の間から、「伊吹山」が見えました。
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右手の木立の間から、「伊吹山」が見えました。
「御茶屋」跡です。
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4/30 11:44
「御茶屋」跡です。
「御茶屋」付近の、「復元図」です。
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「御茶屋」付近の、「復元図」です。
「御茶屋」付近は、広場になっていました。散策します。大小の石が、ゴロゴロしています。
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「御茶屋」付近は、広場になっていました。散策します。大小の石が、ゴロゴロしています。
北側は、一段高くなっています。石積みがあったようです。
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北側は、一段高くなっています。石積みがあったようです。
登山道に、戻ります。
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4/30 11:46
登山道に、戻ります。
上に、何かありそうです。
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上に、何かありそうです。
「馬洗池」と「御馬屋」の説明板が、ありました。
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「馬洗池」と「御馬屋」の説明板が、ありました。
「馬洗池」跡です。
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「馬洗池」跡です。
「馬洗池」の左手には、「御馬屋」跡が広がっていました。散策します。
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「馬洗池」の左手には、「御馬屋」跡が広がっていました。散策します。
「御馬屋」跡の説明です。
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「御馬屋」跡の説明です。
「馬洗池」「御馬屋」跡付近の、「復元図」です。
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「馬洗池」「御馬屋」跡付近の、「復元図」です。
奥に、歩いて行きます。
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奥に、歩いて行きます。
西端まで行くと、展望がありました。
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西端まで行くと、展望がありました。
登山道に、戻ってきました。右手に、「首据石」がありました。
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登山道に、戻ってきました。右手に、「首据石」がありました。
「首据石」の説明板。
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「首据石」の説明板。
先に、案内標識と分岐が見えます。
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先に、案内標識と分岐が見えます。
分岐の角には、「赤尾屋敷」の説明板がありました。
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分岐の角には、「赤尾屋敷」の説明板がありました。
右手の「赤尾屋敷」跡に、向かいます。
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右手の「赤尾屋敷」跡に、向かいます。
左手は尾根の斜面、右手は谷です。細い道を歩いて行きます。
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左手は尾根の斜面、右手は谷です。細い道を歩いて行きます。
以前は樹木が生い茂り、薄暗く寂しい感じでしたが、整備されて明るくなっていました。
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4/30 11:56
以前は樹木が生い茂り、薄暗く寂しい感じでしたが、整備されて明るくなっていました。
「赤尾屋敷」跡まで、歩いてきました。
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4/30 11:57
「赤尾屋敷」跡まで、歩いてきました。
「赤尾屋敷」付近の、「復元図」です。
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4/30 11:57
「赤尾屋敷」付近の、「復元図」です。
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4/30 11:58
「浅井長政公、自刃の地」です。以前に訪れた時は、草茫々でしたが、ここも良く整備されていました。
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4/30 11:58
「浅井長政公、自刃の地」です。以前に訪れた時は、草茫々でしたが、ここも良く整備されていました。
登山道との分岐まで、戻ってきました。復路で発見! 「赤尾屋敷」まで、160mでした。
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4/30 12:02
登山道との分岐まで、戻ってきました。復路で発見! 「赤尾屋敷」まで、160mでした。
登山道に戻り前を向くと、「黒金門」跡でした。「黒金門」跡の手前には、「桜馬場」跡の広場です。散策します。
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4/30 12:03
登山道に戻り前を向くと、「黒金門」跡でした。「黒金門」跡の手前には、「桜馬場」跡の広場です。散策します。
「桜馬場」跡の説明板です。
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4/30 12:03
「桜馬場」跡の説明板です。
右手に、石造の柵で囲まれた石碑が見えます。「浅井家及家臣慰霊塔(五輪塔)」でした。 右上の一段高い所にも、「大きな石碑(注ー1)」がありました。
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4/30 12:04
右手に、石造の柵で囲まれた石碑が見えます。「浅井家及家臣慰霊塔(五輪塔)」でした。 右上の一段高い所にも、「大きな石碑(注ー1)」がありました。
「桜馬場」付近の、「復元図」。
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4/30 12:04
「桜馬場」付近の、「復元図」。
「桜馬場」跡を、西方向に歩いて行きます。
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「桜馬場」跡を、西方向に歩いて行きます。
NHKの大河ドラマ「江〜姫たちの戦国」の、ロケ現場でした。
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4/30 12:04
NHKの大河ドラマ「江〜姫たちの戦国」の、ロケ現場でした。
西端まで、行って見ました。見晴らしがききます。霞んでいるのが、残念です!
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4/30 12:05
西端まで、行って見ました。見晴らしがききます。霞んでいるのが、残念です!
「展望ガイドのパネル(左側)」。
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4/30 12:05
「展望ガイドのパネル(左側)」。
当時、前記の「ガイドパネル用写真」は脚立利用等、少し高い位置から写された様に想われます。現在、現地での写真は手前の樹木に遮られて写せず、右寄りになってしまいました。
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4/30 12:06
当時、前記の「ガイドパネル用写真」は脚立利用等、少し高い位置から写された様に想われます。現在、現地での写真は手前の樹木に遮られて写せず、右寄りになってしまいました。
「パネル(中央)」。
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4/30 12:06
「パネル(中央)」。
(現在)やや左寄りに、写してしまいました。。
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4/30 12:06
(現在)やや左寄りに、写してしまいました。。
「パネル(右側)」。
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4/30 12:06
「パネル(右側)」。
(現在)ほぼ同じ、竹生島が見えます。
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4/30 12:06
(現在)ほぼ同じ、竹生島が見えます。
「桜馬場」跡、北方向の様子です。
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4/30 12:07
「桜馬場」跡、北方向の様子です。
奥の一段高い場所が、「大広間」跡です。登山道に、戻ります。
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4/30 12:08
奥の一段高い場所が、「大広間」跡です。登山道に、戻ります。
「黒金門」跡を越えて、「大広間」跡に、登ります。
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4/30 12:09
「黒金門」跡を越えて、「大広間」跡に、登ります。
「大広間」跡です。ソフトボールなら、十分に出来る広さです。先行の団体グループが、ガイドさんの説明を受けていました。
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4/30 12:09
「大広間」跡です。ソフトボールなら、十分に出来る広さです。先行の団体グループが、ガイドさんの説明を受けていました。
「大広間」跡の南端(「浅井家及び家臣慰霊塔」北側の一段高い場所)に、「大きな石碑(先述の、注ー1)」がありました。(慰霊の顕彰碑に見えますが、読みにくくて、確認出来ず!)
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4/30 12:11
「大広間」跡の南端(「浅井家及び家臣慰霊塔」北側の一段高い場所)に、「大きな石碑(先述の、注ー1)」がありました。(慰霊の顕彰碑に見えますが、読みにくくて、確認出来ず!)
「大広間」跡の隅で、昼食休憩としました。
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4/30 12:12
「大広間」跡の隅で、昼食休憩としました。
昼食後、「大広間」跡を歩いて、北隣りの「本丸」跡に向かいます。
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4/30 12:26
昼食後、「大広間」跡を歩いて、北隣りの「本丸」跡に向かいます。
「大広間」「本丸」跡付近の、「復元図」です。
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4/30 12:26
「大広間」「本丸」跡付近の、「復元図」です。
「本丸」跡の説明板。
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「本丸」跡の説明板。
ここから、「本丸」跡に登ります。
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4/30 12:27
ここから、「本丸」跡に登ります。
「本丸」跡は、平坦な広場になっていました。
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4/30 12:28
「本丸」跡は、平坦な広場になっていました。
「本丸」or「鐘丸」とも、呼ばれていたようです。
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4/30 12:28
「本丸」or「鐘丸」とも、呼ばれていたようです。
北側の端まで、歩いてきました。本来なら北に続いていた尾根が、大きく削り取られて、深い空堀(「大堀切」)となっていました。
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4/30 12:29
北側の端まで、歩いてきました。本来なら北に続いていた尾根が、大きく削り取られて、深い空堀(「大堀切」)となっていました。
「空堀(大堀切)」を覗いて見ました。急傾斜で落ち込んでいます。
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4/30 12:29
「空堀(大堀切)」を覗いて見ました。急傾斜で落ち込んでいます。
「本丸」跡から、降りて来ました。手前には、石垣が残っています。
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4/30 12:32
「本丸」跡から、降りて来ました。手前には、石垣が残っています。
「本丸」下の石垣沿いに歩いて、「大堀切」跡を見に行きます。
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「本丸」下の石垣沿いに歩いて、「大堀切」跡を見に行きます。
「本丸」の石垣は、自然石を積み重ねた「野面(のづら)積み」です。
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4/30 12:32
「本丸」の石垣は、自然石を積み重ねた「野面(のづら)積み」です。
石垣の南西角にも、「本丸」の碑がありました。
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4/30 12:33
石垣の南西角にも、「本丸」の碑がありました。
同所。南西角から、「本丸」石垣の南面を見ています。崩れていますが、当時の様子を偲ぶことが出来ます。
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4/30 12:33
同所。南西角から、「本丸」石垣の南面を見ています。崩れていますが、当時の様子を偲ぶことが出来ます。
「本丸」跡の、西側に回って来ました。土手の右上は「本丸」です。
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4/30 12:33
「本丸」跡の、西側に回って来ました。土手の右上は「本丸」です。
「本丸」西側の下には、「御局屋敷」跡があったようです。
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「本丸」西側の下には、「御局屋敷」跡があったようです。
「本丸」跡を、見上げながら歩いています。
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「本丸」跡を、見上げながら歩いています。
「本丸」跡の北西角まで、来ました。「本丸」跡の北側で、尾根が大きく削り取られていました。防御用の「大堀切」跡です。
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4/30 12:34
「本丸」跡の北西角まで、来ました。「本丸」跡の北側で、尾根が大きく削り取られていました。防御用の「大堀切」跡です。
「大堀切」跡の「説明板」。
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「大堀切」跡の「説明板」。
「大堀切」跡から、「中丸」跡に向かいます。先述の「御局屋敷」跡は、この付近の左手(西側斜面の一段低い場所)に、ありました。
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4/30 12:35
「大堀切」跡から、「中丸」跡に向かいます。先述の「御局屋敷」跡は、この付近の左手(西側斜面の一段低い場所)に、ありました。
「中丸」跡まで、登って来ました。
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「中丸」跡まで、登って来ました。
「中丸」跡の説明板。
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4/30 12:37
「中丸」跡の説明板。
「中丸」跡の「復元図」です。画面の下部に、「御局屋敷」跡が見えます。「中丸」の地形は、三段になっていました。
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4/30 12:37
「中丸」跡の「復元図」です。画面の下部に、「御局屋敷」跡が見えます。「中丸」の地形は、三段になっていました。
「中丸」跡を、歩いて行きます。先に、段差が見えます。
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「中丸」跡を、歩いて行きます。先に、段差が見えます。
また、段差が見えます。
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また、段差が見えます。
「中丸」跡を北端まで、歩いてきました。登山道の左手に、「刀洗池」跡がありました。
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「中丸」跡を北端まで、歩いてきました。登山道の左手に、「刀洗池」跡がありました。
右手に回って、登って行きます。
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右手に回って、登って行きます。
上に、標識が見えます。
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上に、標識が見えます。
登ってみると、「京極丸」跡でした。
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登ってみると、「京極丸」跡でした。
「京極丸」跡の説明板。
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4/30 12:42
「京極丸」跡の説明板。
「京極丸」「小丸」跡の「復元図」。 画面下側の「京極丸」の虎口には、「清水谷道」の途中から右手に分岐して登る、激坂の「水の手道」が通じていました。合戦時に、秀吉が夜襲を懸けて、勝利に結びつけたことで有名なルートです。
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4/30 12:42
「京極丸」「小丸」跡の「復元図」。 画面下側の「京極丸」の虎口には、「清水谷道」の途中から右手に分岐して登る、激坂の「水の手道」が通じていました。合戦時に、秀吉が夜襲を懸けて、勝利に結びつけたことで有名なルートです。
「京極丸」跡の広い平坦地を、歩いて行きます。
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4/30 12:43
「京極丸」跡の広い平坦地を、歩いて行きます。
また、一段登ります。
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4/30 12:43
また、一段登ります。
「小丸」跡に、登って来ました。
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4/30 12:44
「小丸」跡に、登って来ました。
「小丸」跡に、登って来ました。
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4/30 12:44
「小丸」跡に、登って来ました。
「小丸」跡を、歩いて行きます。
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4/30 12:44
「小丸」跡を、歩いて行きます。
「小丸」跡の北端に、「大石垣 50m →」の標識がありました。見に行きます。
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4/30 12:45
「小丸」跡の北端に、「大石垣 50m →」の標識がありました。見に行きます。
案内標識に従い、右手(東方向)の石垣沿いに進みます。
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4/30 12:46
案内標識に従い、右手(東方向)の石垣沿いに進みます。
石垣の東南角まで、来ました。石垣の東面が見えます。
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4/30 12:47
石垣の東南角まで、来ました。石垣の東面が見えます。
「大石垣」の説明板。
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4/30 12:47
「大石垣」の説明板。
東面の石垣です。見学します。
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4/30 12:47
東面の石垣です。見学します。
「野面積み」の石垣です。高さは、約5mあったそうです。
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4/30 12:47
「野面積み」の石垣です。高さは、約5mあったそうです。
「大石垣」の北東角まで、歩いてきました。ここで折り返して、登山道に戻ります。
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4/30 12:47
「大石垣」の北東角まで、歩いてきました。ここで折り返して、登山道に戻ります。
次は、「山王丸」跡、「六坊」跡の順に、回ります。
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4/30 12:49
次は、「山王丸」跡、「六坊」跡の順に、回ります。
崩れた石垣跡(落城後、小谷城の遺構が破壊された痕跡との事です。)を、登って行きます。
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4/30 12:50
崩れた石垣跡(落城後、小谷城の遺構が破壊された痕跡との事です。)を、登って行きます。
また、一段登ります。
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4/30 12:51
また、一段登ります。
平坦地に、登って来ました。
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4/30 12:51
平坦地に、登って来ました。
「山王丸」跡です。
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4/30 12:52
「山王丸」跡です。
「山王丸」跡の説明板。
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4/30 12:52
「山王丸」跡の説明板。
「山王丸」跡の「復元図」。
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4/30 12:52
「山王丸」跡の「復元図」。
「山王丸」跡の、様子です。
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4/30 12:53
「山王丸」跡の、様子です。
西側は、開けています。
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4/30 12:53
西側は、開けています。
北側は、土塁跡の様です。土塁を越えて、北方向に歩きます。
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4/30 12:53
北側は、土塁跡の様です。土塁を越えて、北方向に歩きます。
土塁を越えると、一段低くなっていました。
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4/30 12:54
土塁を越えると、一段低くなっていました。
ここから先は、細尾根となり、急勾配の下りとなりました。
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4/30 12:55
ここから先は、細尾根となり、急勾配の下りとなりました。
段差もあり、足元に注意しながら下って行きます。
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4/30 12:59
段差もあり、足元に注意しながら下って行きます。
急勾配の登山道を下り、平坦地に降りて来ました。
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4/30 13:00
急勾配の登山道を下り、平坦地に降りて来ました。
「六坊」跡です。
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4/30 13:01
「六坊」跡です。
「六坊」跡の説明板。
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4/30 13:01
「六坊」跡の説明板。
「六坊」跡の「復元図」。領国内にあった、六つの有力寺院の出張所が、置かれていました。
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4/30 13:02
「六坊」跡の「復元図」。領国内にあった、六つの有力寺院の出張所が、置かれていました。
「六坊」跡から、北に歩いて来ました。「小谷山」山頂の「大嶽城」跡まで、あと600mです。
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4/30 13:03
「六坊」跡から、北に歩いて来ました。「小谷山」山頂の「大嶽城」跡まで、あと600mです。
左手に下る道との、分岐に出て来ました。本日のスタート地点の、「小谷城戦国歴史資料館」前から登って来る「清水谷道」と、ここで合流します。 「清水谷道」分岐です。
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4/30 13:04
左手に下る道との、分岐に出て来ました。本日のスタート地点の、「小谷城戦国歴史資料館」前から登って来る「清水谷道」と、ここで合流します。 「清水谷道」分岐です。
「小谷山」山頂の「大嶽城」跡へは、直進して階段を登って行きまが、左折して「清水谷道」を下り、「大野木屋敷」「三田村屋敷」跡を、見に行きます。
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4/30 13:04
「小谷山」山頂の「大嶽城」跡へは、直進して階段を登って行きまが、左折して「清水谷道」を下り、「大野木屋敷」「三田村屋敷」跡を、見に行きます。
左折して、「清水谷道」を下って行きます。途中からは
、階段交じりの急坂に変わりました。細い道で結構段差もあり、下る時には足元に注意が必要です。
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4/30 13:04
左折して、「清水谷道」を下って行きます。途中からは
、階段交じりの急坂に変わりました。細い道で結構段差もあり、下る時には足元に注意が必要です。
約8分かけて、急坂を下って来ました。
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4/30 13:12
約8分かけて、急坂を下って来ました。
浅井家重臣の「大野木屋敷」跡まで、降りて来ました。「大野木土佐守」の名前から、「土佐屋敷」跡とも呼ばれているようです。次の目的地「三田村屋敷」跡に向けて、「清水谷道」を下ります。
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4/30 13:12
浅井家重臣の「大野木屋敷」跡まで、降りて来ました。「大野木土佐守」の名前から、「土佐屋敷」跡とも呼ばれているようです。次の目的地「三田村屋敷」跡に向けて、「清水谷道」を下ります。
下に見えて来ました。
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4/30 13:14
下に見えて来ました。
上の分岐から、約10分かけて下って来ました。浅井家重臣の「三田村屋敷」跡です。
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4/30 13:14
上の分岐から、約10分かけて下って来ました。浅井家重臣の「三田村屋敷」跡です。
見上げると、西側斜面に石垣が見えます。この様な急傾斜の谷間を整地して屋敷を構え、どの様に暮らしていたのでしょうか? 想像がつきません!
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4/30 13:15
見上げると、西側斜面に石垣が見えます。この様な急傾斜の谷間を整地して屋敷を構え、どの様に暮らしていたのでしょうか? 想像がつきません!
暗いですが、石垣をアップしてみました。ここで折り返して、尾根上の分岐まで登り返します。
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4/30 13:14
暗いですが、石垣をアップしてみました。ここで折り返して、尾根上の分岐まで登り返します。
「清水谷道」にも、「安全標識」が立てられています。山頂の「大嶽城まで、900m」です。 気合を入れて! 急勾配を登って行きます。
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4/30 13:15
「清水谷道」にも、「安全標識」が立てられています。山頂の「大嶽城まで、900m」です。 気合を入れて! 急勾配を登って行きます。
「清水谷道」沿いには、枯れた谷が続いていました。雨が降れば、谷川となります。
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4/30 13:16
「清水谷道」沿いには、枯れた谷が続いていました。雨が降れば、谷川となります。
これは、何の跡でしょうか? 「鹿か?、熊か?」
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4/30 13:17
これは、何の跡でしょうか? 「鹿か?、熊か?」
右手の谷には、大きな岩も見られます。
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4/30 13:24
右手の谷には、大きな岩も見られます。
「布袋岩」です。
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4/30 13:24
「布袋岩」です。
尾根上の「清水谷道」分岐まで、戻ってきました。復路は、15分かかりました。
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4/30 13:29
尾根上の「清水谷道」分岐まで、戻ってきました。復路は、15分かかりました。
分岐に戻り「大嶽城」方面を向くと、右手にも分岐して行く道がありました。標識があり、「月所丸 100m」の表示です。見に行きます。
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4/30 13:30
分岐に戻り「大嶽城」方面を向くと、右手にも分岐して行く道がありました。標識があり、「月所丸 100m」の表示です。見に行きます。
右手の道に入り、「月所丸」跡に向かいます。
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4/30 13:30
右手の道に入り、「月所丸」跡に向かいます。
左手斜面、右手は谷の、細い道です。
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4/30 13:32
左手斜面、右手は谷の、細い道です。
左手の斜面を、アップダウンしながら、巻いて行きます。
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4/30 13:32
左手の斜面を、アップダウンしながら、巻いて行きます。
右手は、深い谷です。足元に注意しながら、歩いて行きます。
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4/30 13:34
右手は、深い谷です。足元に注意しながら、歩いて行きます。
先が、開けてきました。
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4/30 13:34
先が、開けてきました。
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4/30 13:35
「月所丸」跡の説明板。
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4/30 13:35
「月所丸」跡の説明板。
「月所丸」跡の「復元図」です。
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4/30 13:36
「月所丸」跡の「復元図」です。
「月所丸」跡の、様子です。ここで折り返して、分岐まで戻ります。
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4/30 13:37
「月所丸」跡の、様子です。ここで折り返して、分岐まで戻ります。
尾根上の分岐まで、戻ってきました。(※結論 「清水谷道」分岐。 直進は「小谷山」山頂の「大嶽城」跡へ。 鋭角に左折は、「清水谷道」へ。 右折は、「月所丸」跡へ。) 次の目的地「大嶽城」跡に、向かいます。
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4/30 13:41
尾根上の分岐まで、戻ってきました。(※結論 「清水谷道」分岐。 直進は「小谷山」山頂の「大嶽城」跡へ。 鋭角に左折は、「清水谷道」へ。 右折は、「月所丸」跡へ。) 次の目的地「大嶽城」跡に、向かいます。
直進して、階段を登って行きます。
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4/30 13:42
直進して、階段を登って行きます。
ここから、「階段地獄」の始まりです。
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4/30 13:42
ここから、「階段地獄」の始まりです。
結構な、傾斜です。
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4/30 13:45
結構な、傾斜です。
話には聞いていましたが、長い階段です。
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4/30 13:48
話には聞いていましたが、長い階段です。
一旦、階段は途切れました。
0
4/30 13:50
一旦、階段は途切れました。
「大嶽城」跡まで、400mです。前記の古い標識と距離の表示が異なっています。作成時期に、何処を基準にしたかによって異なるので、どちらが正しいとも言えません!
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4/30 13:52
「大嶽城」跡まで、400mです。前記の古い標識と距離の表示が異なっています。作成時期に、何処を基準にしたかによって異なるので、どちらが正しいとも言えません!
また、階段登りです。
0
4/30 13:53
また、階段登りです。
「岩尾」の案内標識が、見えます。登山道脇の見晴らしの良い、展望場所です。
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4/30 13:55
「岩尾」の案内標識が、見えます。登山道脇の見晴らしの良い、展望場所です。
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4/30 13:56
「岩尾」の標識前まで、登ってきました。
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4/30 13:56
「岩尾」の標識前まで、登ってきました。
前に5m程、進んでみます。
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4/30 13:56
前に5m程、進んでみます。
前は絶壁で、遮るものがありません! 左手に、伊吹山が見えます。
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4/30 13:56
前は絶壁で、遮るものがありません! 左手に、伊吹山が見えます。
琵琶湖も、見えます
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4/30 13:56
琵琶湖も、見えます
歩いて来た「本丸」跡等、主郭の連なる尾根が見えます。ここは、「岩尾展望所」と名付けた方が、良さそうです。
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4/30 13:57
歩いて来た「本丸」跡等、主郭の連なる尾根が見えます。ここは、「岩尾展望所」と名付けた方が、良さそうです。
「岩尾」の展望所から、「大嶽城」跡に向けて登って行きます。
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4/30 13:57
「岩尾」の展望所から、「大嶽城」跡に向けて登って行きます。
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4/30 13:58
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4/30 14:05
「大嶽城」跡の説明板。
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4/30 14:05
「大嶽城」跡の説明板。
「大嶽城」跡の「復元図」。
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4/30 14:05
「大嶽城」跡の「復元図」。
山頂部、三角点付近の様子です。この画面を中心に、「大嶽城」が、築かれていました。
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4/30 14:09
山頂部、三角点付近の様子です。この画面を中心に、「大嶽城」が、築かれていました。
「小谷山(494.6m)三等三角点」です。
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4/30 14:13
「小谷山(494.6m)三等三角点」です。
「三角点」の奥まで、歩いてきました。山頂部を、散策します。
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4/30 14:13
「三角点」の奥まで、歩いてきました。山頂部を、散策します。
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4/30 14:14
奥には、平坦地がありました。
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4/30 14:14
奥には、平坦地がありました。
「下山田に至る・・・」の案内標識が、置かれていました。ここから、JR「高月駅」に降りる道があるようです。
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4/30 14:15
「下山田に至る・・・」の案内標識が、置かれていました。ここから、JR「高月駅」に降りる道があるようです。
西側の様子です。
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4/30 14:15
西側の様子です。
西側から見た、山頂部の様子です。
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4/30 14:16
西側から見た、山頂部の様子です。
「竹生島」と「山本山」方面が、開けていました。
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4/30 14:17
「竹生島」と「山本山」方面が、開けていました。
この先に、「甚内屋敷」がある様です。
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4/30 14:17
この先に、「甚内屋敷」がある様です。
「福寿丸・山崎丸」方面への、下山口まで歩いて来ました。
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4/30 14:18
「福寿丸・山崎丸」方面への、下山口まで歩いて来ました。
先述の、「甚内屋敷」は登山道の途中にあるようです。
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4/30 14:18
先述の、「甚内屋敷」は登山道の途中にあるようです。
次の目的地「福寿丸」跡に向けて、下って行きます。
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4/30 14:19
次の目的地「福寿丸」跡に向けて、下って行きます。
土塁跡を越えて、下って行きます。
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土塁跡を越えて、下って行きます。
土塁の下には、曲輪跡が見えます。曲輪跡に向けて急坂を下ります。
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4/30 14:21
土塁の下には、曲輪跡が見えます。曲輪跡に向けて急坂を下ります。
最初から急坂下りが、続きます。
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4/30 14:22
最初から急坂下りが、続きます。
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4/30 14:24
ここは、登山道が「U」の字になっており、Uターンして下って行きます。
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ここは、登山道が「U」の字になっており、Uターンして下って行きます。
「大嶽城」跡から、300m下って来ました。
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「大嶽城」跡から、300m下って来ました。
この辺りは、見晴らしがききました。
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この辺りは、見晴らしがききました。
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4/30 14:32
右手に、何かが見えます。
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右手に、何かが見えます。
「甚内屋敷」の案内標識が、ありました。右折して、見に行きます。
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4/30 14:36
「甚内屋敷」の案内標識が、ありました。右折して、見に行きます。
道なりに進むと、林道に降りて来ました。「甚内屋敷」跡は、どこでしょうか? 不明です。 仕方がありません、登山道に戻ります。
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道なりに進むと、林道に降りて来ました。「甚内屋敷」跡は、どこでしょうか? 不明です。 仕方がありません、登山道に戻ります。
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「福寿丸」跡まで、降りて来ました。
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「福寿丸」跡まで、降りて来ました。
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「福寿丸」跡の説明板。
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「福寿丸」跡の説明板。
「福寿丸」跡の「復元図」。
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「福寿丸」跡の「復元図」。
「福寿丸」跡を、散策します。
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4/30 14:44
「福寿丸」跡を、散策します。
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西端まで行くと、展望がありました。
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西端まで行くと、展望がありました。
登山道に戻って、下って行きます。
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登山道に戻って、下って行きます。
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山頂の「大嶽城」跡から、1,000m下って来ました。
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山頂の「大嶽城」跡から、1,000m下って来ました。
この辺りは緩いアップダウンの、歩き易い道が続きます。
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4/30 14:54
この辺りは緩いアップダウンの、歩き易い道が続きます。
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4/30 14:55
緩く、登って行きます。
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4/30 14:56
緩く、登って行きます。
「山崎丸」跡です。
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「山崎丸」跡です。
「山崎丸」跡の説明板。
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4/30 14:58
「山崎丸」跡の説明板。
「山崎丸」跡の「復元図」。
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4/30 14:58
「山崎丸」跡の「復元図」。
右折して、「山崎丸」跡を散策します。
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右折して、「山崎丸」跡を散策します。
西方向に、入って行きます。
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4/30 15:00
西方向に、入って行きます。
「山崎丸」跡の様子です。ここから、登山道に戻ります。
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「山崎丸」跡の様子です。ここから、登山道に戻ります。
登山道に、戻ってきました。
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4/30 15:02
登山道に、戻ってきました。
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4/30 15:05
麓の「←郡上(ぐじょう)」、山頂の「大嶽(おおづく)→」方面を示す標識も、時々ありました。
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4/30 15:05
麓の「←郡上(ぐじょう)」、山頂の「大嶽(おおづく)→」方面を示す標識も、時々ありました。
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4/30 15:07
左下に、フェンスが見えてきました。
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4/30 15:09
左下に、フェンスが見えてきました。
獣害防止の門扉も、見えます。
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4/30 15:10
獣害防止の門扉も、見えます。
獣害防止用の門扉を閉めて、上水道施設の横を下って来ました。
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4/30 15:14
獣害防止用の門扉を閉めて、上水道施設の横を下って来ました。
左手に、小さな神社がありました。
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左手に、小さな神社がありました。
「清水神社」でした。
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4/30 15:15
「清水神社」でした。
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正面に、「虎御前山」が見えます。
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正面に、「虎御前山」が見えます。
「郡上(ぐじょう)」地区に、降りて来ました。
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「郡上(ぐじょう)」地区に、降りて来ました。
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4/30 15:20
「清水神社」の鳥居をくぐって、市道に出て来ました。
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4/30 15:20
「清水神社」の鳥居をくぐって、市道に出て来ました。
「小谷城戦国歴史資料館」前の、駐車場まで戻ります。
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「小谷城戦国歴史資料館」前の、駐車場まで戻ります。
満開です!
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満開です!
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右手に、この尾根の向こう側にある、「戦国ガイドステーション」への連絡通路がありました。距離は、約500mです。
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右手に、この尾根の向こう側にある、「戦国ガイドステーション」への連絡通路がありました。距離は、約500mです。
「小谷城跡」への正門、清水谷の「大手道」に戻ってきました。橋を渡ります。
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「小谷城跡」への正門、清水谷の「大手道」に戻ってきました。橋を渡ります。
「大手門」をくぐり、「登山者用駐車場」に戻ってきました。
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「大手門」をくぐり、「登山者用駐車場」に戻ってきました。
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