デナリ6190m山頂単独スキー滑降
過去天気図(気象庁) | 2019年05月の天気図 |
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アクセス |
利用交通機関:
飛行機
アンレッジ〜タルキートナ(鉄道) タルキートナ〜ベースキャンプ(セスナ) |
写真
感想
6月5日僕は、デナリ山頂に立った。
2転3転する天候にふりまわされ、誰もいない山頂にたったのは、夜の11時30分位で夕焼けがとにかくきれいで、山頂から景色は、情景深く、大好きな植村さんが手を振って「おおぴょん太郎君っ、、やっと会えたね」っていらっしゃっいそうなあたたかなひとときでした。
日が落ちても日本ほど暗くならないので、稜線に入る急斜面はスキーでおりてすぐの広め平地でビバークしました。
死ぬかもしれないという恐怖と味わった事のない猛烈な寒さで発狂しそうになりそうになり、正常な感覚を保つのに必死でした。
体が冷えて思考力が低下してて、動こうと思っても思いどおり動けず、天候が崩れたら間違いなく本当に死んでしまうと焦りましたが、日が出てきてあたたく感じはじめ8:30位〜9:00にちゃん動けるようになり、日が高くなりハイキャンプ戻るまで快晴でした。今となっては「きっとデナリの山の神様と植村さんが僕を助け導いてくれたんだ」..そう勝手に解釈しております。
日本に帰って心地よい日差しをあびながら、歩いていると生きてるってこんなに素晴らしい事なんだって自然と涙が止めどなく溢れてきました。
デナリの神様が生かしてくださった命..
今度は大切に使いたいです。
でもデナリ登って良かったです。僕今年は46ですが、人生観変わりました。
凍傷の件は、僕が好んでやった事で一切の後悔はありません。皆様に支えられ僕の志が完成した。感謝です。
志が達成できこの世に思い残す事はない的な時世の句をよんだ大石内蔵助の気持ちが今はよくわかります。
指切断したとしても、後悔はなくそれ以上の心の財産を得たような気がします。デナリへの畏敬の念は今も変わりません。
この度僕を支援応援してくださった、すべての方に感謝致します。本当にありがとうございました。
それから国旗に応援メッセージ書いてくださった子供達...この度は応援メッセージありがとーねー❗
君たちの未来はきっと明るいし、可能性は無限大だ。でも、君たちが大人になって万が一社会でつまずいた時に、「そういえばあの時のオッサンは、45才の時にデナリの山頂からスキー滑降したんだよな。僕も私も負けないで頑張ろう」って一人でも思って頂ければ、労力やお金をかけてデナリ遠征をやった価値や僕の存在意義もあるかなとも思います。
今度は僕が君たちを応援する番だよ〜。
では長くなりましたが、以上は報告でした。また落ち着いたら少し写真を追加したりそれにコメントいれたりし、コース詳細日程等々いれたりしてリアップします。
私のブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/junjisugoizo
デナリスキー遠征の映像をYouTubeにアップロードしたのでご紹介したい。
デナリ登山キャンプ4にて愚痴る。
デナリキャンプ5(5240m)にて愚痴る
デナリ山頂直下の稜線にて
デナリ山頂直下
デナリ山頂にて
デナリ山頂にて
何がやばかったかと言えば、このあと(登頂後)のビバークだ。低酸素に風に−30度以下の暗闇。やばすぎて映像や写真をとる事も忘れる位にやばかった(笑)
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