オダッシュ山、ペケレベツ山、ウエンザル岳、パンケヌーシ山、芽室岳
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- GPS
- 200:00
- 距離
- 50.3km
- 登り
- 3,608m
- 下り
- 3,545m
コースタイム
- 山行
- 5:35
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 5:35
- 山行
- 4:55
- 休憩
- 0:05
- 合計
- 5:00
- 山行
- 0:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 0:00
- 山行
- 0:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 0:00
- 山行
- 3:15
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 3:15
- 山行
- 0:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 0:00
- 山行
- 1:40
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 1:40
- 山行
- 0:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 0:00
- 山行
- 11:20
- 休憩
- 0:40
- 合計
- 12:00
アクセス | |
---|---|
コース状況/ 危険箇所等 |
冬の日高の最初の計画は、オダッシュ山から芽室岳の11日間の山行だ。白い日高に憧れてはるばる北海道までやってきた僕は、出来ればいきなりカムエクやペテガリに行きたかった。でもこの冬の2年班で技術的に高度なパーティーに、僕は加わるきっかけが無かった。十分なリーダースタッフの経験不足の松木さんと小僧さんとだったが、稜線にカンバが所々残り、標高が低く、技術的には易しい日高の北端の計画を手作りで作った。ここはこれまで山岳部で記録の少ない山域の上、誰も行かない貴重な山頂を北の端から順序よく踏む機会になった。山岳部通して余さず日高の稜線を歩くことになった僕にとって、結果的に日高を順序よく訪れるスタートになった。 年の暮れ、うらぶれた新得の町を早朝に発ち、畜産試験場の広大な雪原を横切り、取りついたオダッシュ山の尾根は、急な上に雪が落ち着いていない。笹の上にのった新雪が、その上にスキーで乗るとずるりと滑り落ちることもしばしば。2週間分の重荷も肩にこたえ、尾根の途中で残念ながら日が暮れて、冬テンを張った。 翌日は元旦、地平線に登る太陽を山頂で眺めた。この山は足元からすぐに十勝平野が始まるのだ。南をみれぱ樹氷に飾られたカンバの疎林。北には黒々としたタンネの森をしたがえた狩振山、沙流岳など未知の山岳地帯が広がっていた。 オダッシュ山から南への稜線は厳冬期のパウダースノーを乗せ、マイナス20℃の朝には朝日を受けて金色の羽毛布団のようになった。熊見山という名のポコを越え、日勝峠を跨ぐと、藪だらけのペケレベツ北面を木登りする。途中のコルで悪天で2泊停滞する。天気が悪く、ペケレベツ山頂付近だけ吹雪。こんな地味な山にも頂の看板があった。きっと地元の人たちが愛しているのだろう。南斜面の下りは左側が切れ落ちているが、右側のタンネの森をぬって滑る。新雪の深い愉快な斜面だった。ウエンザルの手前のコルにテン卜を張る。夜になると天空に星。地上の十勝平野のあちこちにも星。 ウエンザルを越えるのに、3日待った。寒い冬で、標高1000メートル前後とはいえ日高の主稜線上は昼も夜も、寒さがこたえた。3人とも貧乏で、安物のシユラフは、ばりばりに凍った。シュラフカバーも薄いナイロン一枚だった。横たわりながら何を考えていたのか。眠ったり、覚めたりしても想像や夢を空想して暇をつぶしていた。4日目、テントをたたんでウエンザルを越えた。ここにきて初めて、尖ったパンケヌウシの後ろに真っ白なピパイロ、l940峰の連峰が見えた。遥か遥か、憧れの白い日高。あの白いピパイロにたどりつくのに、次の年にはこの長い稜線をすべてトレースしていくことになろうとは、この時は思いもよらなかったが。 ウエンザルをこえ、最低コルから400メートル登り返して尖ったパンケヌーシ山頂に立つ。この山の写真を一原有徳氏の古い写真集で知っていた。山頂では沙流川源頭から登ってきていた1年班の沢柿や愛宕たちと会った。やはりむこうのパーティーも停滞を重ねていて、人にあうのは久しぶりとのこと。我々は今日中に里まで降りるつもりなので、残り少ないタバコを数本残して、あとを寄付して喜ばれる。ズボズボに潜るハイマツの斜面を下って芽室岳にむかう。 パンケヌーシから芽室岳への稜線は、骨のように枯れたハイマツの枝が所々突き出た広い雪原。その東の端、丸い丘の上が芽室岳の頂だった。9日間に及んだ山行の最後にして最高のピーク。里の近いのが極北日高の特徴。十勝平野にひかれた無数の畑の碁盤の目が雪に縁どられ、広大を見せしめていた。中間尾根をスキー滑降中、松木さんが,急な谷側に14メートル程転倒滑落したが、幸いにも止まって事なきを得る。そのまま落ちたら加速度がつくような急な硬い雪面に迷い込んでしまったのだ。それ以外には何事もなく下り、最終人家までの長い林道を、星をみながらスキーで歩いた。腹を空かせて、カツ丼を夢見て、ひたすら歩いた。ジルブレッ夕がパタパ夕と寒空に響いた。最終人家の明かり、犬の鳴き声。電話を借りてお茶を飲んでタクシーを呼んで下山。 今回最終点になったこの林道が、翌年の北日高への出発点となった。予定していたわけではないけれど、この後学生時代を通じて僕は日高の主稜線を南下していくことになる。 |
写真
感想
冬の日高の最初の計画は、オダッシュ山から芽室岳の11日間の山行だ。白い日高に憧れてはるばる北海道までやってきた僕は、出来ればいきなりカムエクやペテガリに行きたかった。でもこの冬の2年班で技術的に高度なパーティーに、僕は加わるきっかけが無かった。十分なリーダースタッフの経験不足の松木さんと小僧さんとだったが、稜線にカンバが所々残り、標高が低く、技術的には易しい日高の北端の計画を手作りで作った。ここはこれまで山岳部で記録の少ない山域の上、誰も行かない貴重な山頂を北の端から順序よく踏む機会になった。山岳部通して余さず日高の稜線を歩くことになった僕にとって、結果的に日高を順序よく訪れるスタートになった。
年の暮れ、うらぶれた新得の町を早朝に発ち、畜産試験場の広大な雪原を横切り、取りついたオダッシュ山の尾根は、急な上に雪が落ち着いていない。笹の上にのった新雪が、その上にスキーで乗るとずるりと滑り落ちることもしばしば。2週間分の重荷も肩にこたえ、尾根の途中で残念ながら日が暮れて、冬テンを張った。
翌日は元旦、地平線に登る太陽を山頂で眺めた。この山は足元からすぐに十勝平野が始まるのだ。南をみれぱ樹氷に飾られたカンバの疎林。北には黒々としたタンネの森をしたがえた狩振山、沙流岳など未知の山岳地帯が広がっていた。
オダッシュ山から南への稜線は厳冬期のパウダースノーを乗せ、マイナス20℃の朝には朝日を受けて金色の羽毛布団のようになった。熊見山という名のポコを越え、日勝峠を跨ぐと、藪だらけのペケレベツ北面を木登りする。途中のコルで悪天で2泊停滞する。天気が悪く、ペケレベツ山頂付近だけ吹雪。こんな地味な山にも頂の看板があった。きっと地元の人たちが愛しているのだろう。南斜面の下りは左側が切れ落ちているが、右側のタンネの森をぬって滑る。新雪の深い愉快な斜面だった。ウエンザルの手前のコルにテン卜を張る。夜になると天空に星。地上の十勝平野のあちこちにも星。
ウエンザルを越えるのに、3日待った。寒い冬で、標高1000メートル前後とはいえ日高の主稜線上は昼も夜も、寒さがこたえた。3人とも貧乏で、安物のシユラフは、ばりばりに凍った。シュラフカバーも薄いナイロン一枚だった。横たわりながら何を考えていたのか。眠ったり、覚めたりしても想像や夢を空想して暇をつぶしていた。4日目、テントをたたんでウエンザルを越えた。ここにきて初めて、尖ったパンケヌウシの後ろに真っ白なピパイロ、l940峰の連峰が見えた。遥か遥か、憧れの白い日高。あの白いピパイロにたどりつくのに、次の年にはこの長い稜線をすべてトレースしていくことになろうとは、この時は思いもよらなかったが。
ウエンザルをこえ、最低コルから400メートル登り返して尖ったパンケヌーシ山頂に立つ。この山の写真を一原有徳氏の古い写真集で知っていた。山頂では沙流川源頭から登ってきていた1年班の沢柿や愛宕たちと会った。やはりむこうのパーティーも停滞を重ねていて、人にあうのは久しぶりとのこと。我々は今日中に里まで降りるつもりなので、残り少ないタバコを数本残して、あとを寄付して喜ばれる。ズボズボに潜るハイマツの斜面を下って芽室岳にむかう。
パンケヌーシから芽室岳への稜線は、骨のように枯れたハイマツの枝が所々突き出た広い雪原。その東の端、丸い丘の上が芽室岳の頂だった。9日間に及んだ山行の最後にして最高のピーク。里の近いのが極北日高の特徴。十勝平野にひかれた無数の畑の碁盤の目が雪に縁どられ、広大を見せしめていた。中間尾根をスキー滑降中、松木さんが,急な谷側に14メートル程転倒滑落したが、幸いにも止まって事なきを得る。そのまま落ちたら加速度がつくような急な硬い雪面に迷い込んでしまったのだ。それ以外には何事もなく下り、最終人家までの長い林道を、星をみながらスキーで歩いた。腹を空かせて、カツ丼を夢見て、ひたすら歩いた。ジルブレッ夕がパタパ夕と寒空に響いた。最終人家の明かり、犬の鳴き声。電話を借りてお茶を飲んでタクシーを呼んで下山。
今回最終点になったこの林道が、翌年の北日高への出発点となった。予定していたわけではないけれど、この後学生時代を通じて僕は日高の主稜線を南下していくことになる。
コメント
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日高主稜への前段として、力量不足を逆手に取ったこれはイイ山行イイラインです。わっちもトレースしたかった。
経験不足なリーダースタッフの地味な山域計画パーティーに入ることになってしまって、はじめは少しくさった。でもあとから見るとメンバーのうちから自分の力量でもないのに中部日高に行くような育ち方しなくてよかったかもしれない。松木さん、こぞーさんの計画、力量のウチで美しいラインを描くこのセンスには、あとから感心しました。当時この山域、地味すぎて誰も知らなかったと思いました。
人生、ツいてねえ、と思ってもまんざらそうでもないよ、という話の例で、この前子供にこの山行の話をしたところ。
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