記録ID: 21529
全員に公開
積雪期ピークハント/縦走
アジア
Chomolhari(7326m)
1996年08月09日(金) ~
1996年10月09日(水)

- GPS
- 1472:00
- 距離
- 23.0km
- 登り
- 2,395m
- 下り
- 2,395m
コースタイム
8/9 成田(10:40)→北京(13:00)NH905
撮影隊の荷物は800キロ 夜は中国登山協会と日本隊とシャブシャブ百楽飯店
8/10 起床(5:30)→北京(9:50)→成都(11:20)拉薩大酒店泊 ボーイング737は小さいので100キロのVTRを乗せるか否かでモメる。結局解決。梶田合流。
8/11 宿発(5:00)→成都(6:50)→ラサ(8:40)→ラサ西蔵ホテル(11:30) 午後荷物点検。チベット登山協会を訪ね、タンチェンドルジとターチミの家でビール夜、梶田と食事
8/12 午前機材チェックカメラテスト昼、登山隊と外で午後、荷物をトラックへ 晩飯「山東青年水餃」で梶田らと餃子
8/13 午前梶田ギャンツェへラサ大橋の対岸の丘標高4000mを登ってトレーニング 午後町パルコルやポタラ宮を歩く。本、地図、孫の手を買い求める。夜、11日の店に行く。
8/14 午前腹をこわす。餃子を2時間かけて食べる。夜壮行会 雨のため高所順応ハイクを中止
8/15 ラサ(9:30)→シガツェ(昼頃)→ギャンツェ(18:00) 昼過ぎシガツェ手前の渡し場で昼飯シガツェで梶田さんとすれ違う。
8/16 ギャンツェ取材。朝の市場・ギャンツェ城・ロング・昼飯・麦畑 東野腹痛で休み。夜、登山隊合流鮎沢39度の熱、田中高所障害
8/17
晴れ→ガス ギャンツェ(9:00)→インド街道南へ→分岐点(13:00-15:00)→B.C.(16:00) 田中、王は高所障害ひどく標高低い亜東(ヤートン)へ
8/18 荷物整理、荷分け梱包、隊員インタ
8/19雨時々晴れ 午前荷分け隊員出発撮影・午後標高5000mの氷河湖目指すが途中でケルン作って帰る 夜、張建軍と飲む
8/20曇り時々晴れ 休み
東野斉藤はパーリへ
8/21
晴れ→曇り BC(8:34)→C1標高5270m(15:30)途中隊を2時間待ち
快晴、ミゾレ降る
撮影隊テントはC1に6人テント×2、9人テント×1
8/22
快晴 米山、高橋アイスフォール工作撮影加藤、松谷、氷のトンネルをくぐってルートを開く 東野らはC1からハイビジョン望遠撮影
8/23快晴 C1→B.C.米山、高橋は直接下る。その他は5610mまでのぼってB.C.へ下る
8/24快晴 日本にファックス洗濯、洗髪、玉子ナベ
8/25晴れ→みぞれ B.C.(8:40)→C1(11:40)米山、斉藤、高橋上へ。セラック帯のロケ田中、加藤、松谷インタ 東野、村田、伊賀上はトーチンツォ湖畔の故老の取材
EC浜野がBC訪問
8/26
晴れ時々ガス C1(9:20)→C2(13:30-16:00)標高5870m臨時C2→C1(17:00)
BVW700(疑似HVカメラ)で荷揚げの取材 アイスフォール帯の上の雪原の上に仮デポ地を作る。天気待ちをするが回復せず。下りは早い。700カメラもデポ。村田、伊賀上C1入り。
明日の荷揚げ撮影隊5人→6人でもめる。
8/27
晴れ→ガス C1(9:00)→C2(11:30)日本人隊員のほとんど遅れて到着。臨時C2はガスが晴れてみればほとんどコルだった。 米山、斉藤、高橋C2に泊。テントを張りC2建設。午後2時は酷暑。村田、伊賀上は引き返す。
8/28晴れ→ガス C2→標高6230mまで固定ロープ工作羅新、カイズン、タンチェンドルジ、加藤、山田平塚、松谷、米山、高橋いけどもいけども急斜面 撮影隊6人C2にそろう。フィックスは10本使い果たす。期待の緩斜面に達せず。
8/29ガス時々雪 停滞C2
荷揚げの様子を撮る
8/30ガス時々雪 停滞C2 悪天は9月2日まで続くとの情報,日本気象協会よりあり
8/31
晴れ→ガス時々雨 C2→BC
朝、腹具合悪し 6000m前後に長時間良すぎたので一回全員下って仕切直す事にする。BCで野菜や玉子を食べ、生き返る。
9/1晴れ→ガス 休み洗濯読書 パウル・バウワーのカンチェンジュンガを読む
9/2曇り時々雨 休み
白テント仕切直し作戦会議撮影
9/3曇り時々晴れ BC(11:10)→C1(13:50)東野、米山、斉藤、高橋
村田、伊賀上はC1往復で帰る 第二ステージ開始。
9/4晴れ→ガス C1(10:00)→C2(13:00)
到着すると降雪。かなり埋まっている。重荷で疲れる。 登山隊は例の4人C2入り。
9/5晴れ→ガス雪 C2→C3→C2東野ら
米山斉藤高橋はC2停滞でのんびりする 午後、2次隊C2入り
朝晴れる。このところで一番良い天気
撮影点のテント裏雪稜はワルく、引き返す。
9/6晴れ→ガス雪 C2停滞
高橋、斉藤C3を往復
米山、東野はのんびりする 二次隊はC3の途中を往復
9/7晴れ→ガス雪 C2(8:30)→C3(15:00)
米山、高橋C3入り
途中で無線、山田きれる 山田、加藤、平塚、松谷、鮎沢、羅申、カイズン、タンチェンドルジェC3入り
C3の夕焼けは美しい。
9/8ガス→晴れ C3(8:00)→山頂7326m(13:30-14:15)→C3(16:00) 加藤以外皆登頂
くたびれた。
9/9晴れ→ガス C3(11:00)→C2(13:00) 米山、高橋下る。疲労で飯が食えない。 東野、斉藤、二次隊C3へ
9/10快晴 C2留まる
二次隊全員登頂(6:30)発→(8:40)ナイフリッジから東野連絡。東野は一気にC1へ下る
9/11 C2(14:00)→C1(15:00-16:00)→B.C.(18:10)東野はC1→BCへ C2テントたたむ。荷下げ開始。高橋はC1に残る。C1→BC腹が減って時間がかかる。王先生とゆっくり下る。
9/12 休み
ヤギを殺して食べる タンチェンドルジェの手料理
王先生と茶飲んで話し
9/13 休み。行水、読書「中国の赤い星」
9/14 荷物C1→BCへBCテント片づけ
山頂アタック映像緑信号欠落が発覚。
東野は亜東(ヤートン)へ
9/15 片づけ 東野、亜東(ヤートン)から帰る
9/16 米山、伊賀上以外亜東ロケ 加藤さんとうどんを作る
鮎沢にRETURN TO TIBET(H。ハーラー)を借りる
9/17 大掃除 蜘蛛女のキス読了
9/18 片道2時間で温泉に行く。帰りはチュチャ→BCは歩き二時間
9/19 ヤートン見学・中国人バスで行く
タンチェンドルジの友人の家、パサンの家を訪ねる。母親と会う。 漢族の店でドジョウと豆腐を買い夜はベースで柳川鍋をやる。
9/20 BCテントをたたむ・良く晴れ
9/21 BCを去る(7:30)→ギャンツェ→シガツェ ギャンツェで昼ご飯
9/22 シガツェ→ラサ シガツェのタシルンポ寺見学、昼飯抜き。
夜は部屋で飲む
9/23 午後パルコル 夜歓迎会
9/24 朝荷物積み出し午後床屋 夜、登山隊と食事
9/25 ラサ→成都・ラサ大酒店 成都天気悪く降りれず一度重慶に降りて行く
9/26 成都→北京・前門飯店 瑠璃チャンで毛沢東皿を買う。夜、北京清水さんと「五人百姓」
9/27 午前、立体地図を買う
9/28 午前、書店で地図帳を買う 午後湖南省の辛い料理(東単公園向かい)
9/29 北京→長城→(小又)桑県
9/30 (小又)桑県→空港→東京 NH906渋谷で飲む
撮影隊の荷物は800キロ 夜は中国登山協会と日本隊とシャブシャブ百楽飯店
8/10 起床(5:30)→北京(9:50)→成都(11:20)拉薩大酒店泊 ボーイング737は小さいので100キロのVTRを乗せるか否かでモメる。結局解決。梶田合流。
8/11 宿発(5:00)→成都(6:50)→ラサ(8:40)→ラサ西蔵ホテル(11:30) 午後荷物点検。チベット登山協会を訪ね、タンチェンドルジとターチミの家でビール夜、梶田と食事
8/12 午前機材チェックカメラテスト昼、登山隊と外で午後、荷物をトラックへ 晩飯「山東青年水餃」で梶田らと餃子
8/13 午前梶田ギャンツェへラサ大橋の対岸の丘標高4000mを登ってトレーニング 午後町パルコルやポタラ宮を歩く。本、地図、孫の手を買い求める。夜、11日の店に行く。
8/14 午前腹をこわす。餃子を2時間かけて食べる。夜壮行会 雨のため高所順応ハイクを中止
8/15 ラサ(9:30)→シガツェ(昼頃)→ギャンツェ(18:00) 昼過ぎシガツェ手前の渡し場で昼飯シガツェで梶田さんとすれ違う。
8/16 ギャンツェ取材。朝の市場・ギャンツェ城・ロング・昼飯・麦畑 東野腹痛で休み。夜、登山隊合流鮎沢39度の熱、田中高所障害
8/17
晴れ→ガス ギャンツェ(9:00)→インド街道南へ→分岐点(13:00-15:00)→B.C.(16:00) 田中、王は高所障害ひどく標高低い亜東(ヤートン)へ
8/18 荷物整理、荷分け梱包、隊員インタ
8/19雨時々晴れ 午前荷分け隊員出発撮影・午後標高5000mの氷河湖目指すが途中でケルン作って帰る 夜、張建軍と飲む
8/20曇り時々晴れ 休み
東野斉藤はパーリへ
8/21
晴れ→曇り BC(8:34)→C1標高5270m(15:30)途中隊を2時間待ち
快晴、ミゾレ降る
撮影隊テントはC1に6人テント×2、9人テント×1
8/22
快晴 米山、高橋アイスフォール工作撮影加藤、松谷、氷のトンネルをくぐってルートを開く 東野らはC1からハイビジョン望遠撮影
8/23快晴 C1→B.C.米山、高橋は直接下る。その他は5610mまでのぼってB.C.へ下る
8/24快晴 日本にファックス洗濯、洗髪、玉子ナベ
8/25晴れ→みぞれ B.C.(8:40)→C1(11:40)米山、斉藤、高橋上へ。セラック帯のロケ田中、加藤、松谷インタ 東野、村田、伊賀上はトーチンツォ湖畔の故老の取材
EC浜野がBC訪問
8/26
晴れ時々ガス C1(9:20)→C2(13:30-16:00)標高5870m臨時C2→C1(17:00)
BVW700(疑似HVカメラ)で荷揚げの取材 アイスフォール帯の上の雪原の上に仮デポ地を作る。天気待ちをするが回復せず。下りは早い。700カメラもデポ。村田、伊賀上C1入り。
明日の荷揚げ撮影隊5人→6人でもめる。
8/27
晴れ→ガス C1(9:00)→C2(11:30)日本人隊員のほとんど遅れて到着。臨時C2はガスが晴れてみればほとんどコルだった。 米山、斉藤、高橋C2に泊。テントを張りC2建設。午後2時は酷暑。村田、伊賀上は引き返す。
8/28晴れ→ガス C2→標高6230mまで固定ロープ工作羅新、カイズン、タンチェンドルジ、加藤、山田平塚、松谷、米山、高橋いけどもいけども急斜面 撮影隊6人C2にそろう。フィックスは10本使い果たす。期待の緩斜面に達せず。
8/29ガス時々雪 停滞C2
荷揚げの様子を撮る
8/30ガス時々雪 停滞C2 悪天は9月2日まで続くとの情報,日本気象協会よりあり
8/31
晴れ→ガス時々雨 C2→BC
朝、腹具合悪し 6000m前後に長時間良すぎたので一回全員下って仕切直す事にする。BCで野菜や玉子を食べ、生き返る。
9/1晴れ→ガス 休み洗濯読書 パウル・バウワーのカンチェンジュンガを読む
9/2曇り時々雨 休み
白テント仕切直し作戦会議撮影
9/3曇り時々晴れ BC(11:10)→C1(13:50)東野、米山、斉藤、高橋
村田、伊賀上はC1往復で帰る 第二ステージ開始。
9/4晴れ→ガス C1(10:00)→C2(13:00)
到着すると降雪。かなり埋まっている。重荷で疲れる。 登山隊は例の4人C2入り。
9/5晴れ→ガス雪 C2→C3→C2東野ら
米山斉藤高橋はC2停滞でのんびりする 午後、2次隊C2入り
朝晴れる。このところで一番良い天気
撮影点のテント裏雪稜はワルく、引き返す。
9/6晴れ→ガス雪 C2停滞
高橋、斉藤C3を往復
米山、東野はのんびりする 二次隊はC3の途中を往復
9/7晴れ→ガス雪 C2(8:30)→C3(15:00)
米山、高橋C3入り
途中で無線、山田きれる 山田、加藤、平塚、松谷、鮎沢、羅申、カイズン、タンチェンドルジェC3入り
C3の夕焼けは美しい。
9/8ガス→晴れ C3(8:00)→山頂7326m(13:30-14:15)→C3(16:00) 加藤以外皆登頂
くたびれた。
9/9晴れ→ガス C3(11:00)→C2(13:00) 米山、高橋下る。疲労で飯が食えない。 東野、斉藤、二次隊C3へ
9/10快晴 C2留まる
二次隊全員登頂(6:30)発→(8:40)ナイフリッジから東野連絡。東野は一気にC1へ下る
9/11 C2(14:00)→C1(15:00-16:00)→B.C.(18:10)東野はC1→BCへ C2テントたたむ。荷下げ開始。高橋はC1に残る。C1→BC腹が減って時間がかかる。王先生とゆっくり下る。
9/12 休み
ヤギを殺して食べる タンチェンドルジェの手料理
王先生と茶飲んで話し
9/13 休み。行水、読書「中国の赤い星」
9/14 荷物C1→BCへBCテント片づけ
山頂アタック映像緑信号欠落が発覚。
東野は亜東(ヤートン)へ
9/15 片づけ 東野、亜東(ヤートン)から帰る
9/16 米山、伊賀上以外亜東ロケ 加藤さんとうどんを作る
鮎沢にRETURN TO TIBET(H。ハーラー)を借りる
9/17 大掃除 蜘蛛女のキス読了
9/18 片道2時間で温泉に行く。帰りはチュチャ→BCは歩き二時間
9/19 ヤートン見学・中国人バスで行く
タンチェンドルジの友人の家、パサンの家を訪ねる。母親と会う。 漢族の店でドジョウと豆腐を買い夜はベースで柳川鍋をやる。
9/20 BCテントをたたむ・良く晴れ
9/21 BCを去る(7:30)→ギャンツェ→シガツェ ギャンツェで昼ご飯
9/22 シガツェ→ラサ シガツェのタシルンポ寺見学、昼飯抜き。
夜は部屋で飲む
9/23 午後パルコル 夜歓迎会
9/24 朝荷物積み出し午後床屋 夜、登山隊と食事
9/25 ラサ→成都・ラサ大酒店 成都天気悪く降りれず一度重慶に降りて行く
9/26 成都→北京・前門飯店 瑠璃チャンで毛沢東皿を買う。夜、北京清水さんと「五人百姓」
9/27 午前、立体地図を買う
9/28 午前、書店で地図帳を買う 午後湖南省の辛い料理(東単公園向かい)
9/29 北京→長城→(小又)桑県
9/30 (小又)桑県→空港→東京 NH906渋谷で飲む
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コース状況/ 危険箇所等 |
ブータンヒマラヤで一番有名な山チョモラーリ。八十年代の短い期間をのぞいて鎖国を続けるブータンに、未踏峰が多い。チョモラーリはインド→チベット間のシッキム街道から目立つ名山なので1930年代に登頂されている。チベット側からの姿はブータン側からよりも山の姿が離れてよく見える。 長野県山岳協会のチョモラーリ峰登山隊を撮影した。チベット高原はラサからシッキムへ抜ける往年の大動脈、シッキム街道を行く。戦後、外国人の通行が禁止されてきたが、地元の人にとってはインドへの交通の要所。たとえて言えば東海道に燦然とそびえる富士山のような山がチョモラーリだ。周りにはもちろんカンチェンジュンガやパウフンリもあるが、街道から見る高原状の風景の中で、チョモラーリの美は圧倒的だ。 ベースキャンプは、張江援たちのランクルで、最寄りの村から1時間ほど草原をかっ飛ばした小川の流れる花畑の、夢のような所。日本ではもったいなくてとても出来ない。ナムチャバルワでお馴染み、例のクラーい中国軍製テントを張ってベース完成。 第一キャンプはさらに小さな花やエーデルワイスのさく草原を進み、モレーン(氷河堆積丘)を登って氷河湖の脇を抜けた氷河の上に設ける。ここから先がアイゼンの領域。クレバスに気を付けながら、アイスフォール帯に取り付く。ここは最高齢にして僕がみるところ、唯一頼りになる経験者の加藤さんの機転で、一日で突破することが出来た。氷のトンネルをくぐる箇所もあった。抜けた場所には傾斜の緩い大雪原が広がっていて、6000mのコルまでは結構長いだらだら登りだ。荷揚げでここを何度か往復するのが結構くたびれる。コルは勿論ブータンとの国境だ。見上げるチョモラーリは傾斜がどこで弱まるのか分からない。取り付きの傾斜は結構ある。このコルがキャンプ2。初めて着いたときはガスで、コルとも分からず、荷物をデポして帰った場所だった。 第2キャンプから上へのフィックス工作を徐々に続けたが、写真から推測していた傾斜が緩くなる変わり目は存在しなかった。延々ロープでフィックスしなければならないのかとうんざり。別にそれほど危険な傾斜ではないが、滑ったら止まらない傾斜だ。登山隊の実力もまちまちなので、帰りにメロメロになる人も出る可能性がある。やっぱり地道にフィックスする方針しかないようだ。天気がイマイチで、一回ベースに降りることにする。養生しなおしてまた上へ。 第3キャンプは氷河の崩れ目のちょっとしたテラス。ここにテント3張り。ヒマラヤ登山隊の常として、後半になると心的ストレスがたまる人もいたり、いろいろ人間関係も大変なようだが、第一次アタックの日はやってきた。僕には初めての6300m泊はまったく眠れず。でも一晩ぐらい眠らなくてもどうってことはない。高橋と餅を食って外へ。出発の準備風景を撮る。遠くの空が茜色に光り出す。今日も快晴だ。延々と長くて急な斜面を登って行く。タンチェンドルジェが黙々とラッセルしている。加藤さんは遅れだしている。標高7000m付近で長い斜面登りが一転し、切れたナイフリッジのトラバースになる。これを超えると平地のむこうに一際高い山頂が見える。しかしここからがつらい。無酸素7000mのパンチがずしーんと来る。背中のカメラがはよせい、はよせいと言うのだが、足が重い重い。どうにかみんなが喜んでいる間に山頂に到着、何も考えずに撮影の仕事にとりかかる。ガスでマッシロながら、撮るだけ撮って下山。何を撮るべきか考える余裕はほとんどなかった。 帰り着いた第3キャンプで、途中で引き返し、がっかりした加藤さんを撮影。翌朝は第2キャンプへ下る。2次アタック隊が加藤さんを加えて翌々日全員登頂。加藤さんは第三キャンプに三連泊したことになるが、なんとか登り切ってしまった。こちら二次隊のほうは快晴で、チベット高原が見渡せた。 下山して回った周辺のシッキム街道筋は、草原のチベットから、木曽谷の木曽福島のような雰囲気の町まで、標高が変わるにつれ、植生が変わり、多様なチベットを見ることができた。 |
写真
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