上高地 小梨平定着〜「元」がん患者雲を行く〜
- GPS
- 128:00
- 距離
- 13.2km
- 登り
- 47m
- 下り
- 50m
天候 | 曇り/雨/晴れ/快晴 |
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過去天気図(気象庁) | 2012年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
写真
感想
「元」がん患者雲を行くその3〜恋文編〜
上高地イコール観光地。誰がそんな風に決めたのだろう。人が多いから行かないという考えは捨てようと思い、決心する。自分もその人ごみの一員なわけだから、文句は言えない。純粋に景観を楽しむために上高地小梨平キャンプ場に三泊四日で滞在し、のんびりしに出かけた。
今回、本音を言えば上高地から横尾を経て槍沢か涸沢に拠点を設け、槍や穂高のサミットに足を進めたい気持ちはあった。しかし、子供を女手一つにて社会人に育て上げるまでキャンプや登山等縁も無かった相方に、少しでも中部山岳の神聖かつ気品ある姿を体験させるべく計画を練ったのだ。まさか相方をテントに残し、ピークを踏みに行く程薄情ではない。良くて明神、大正池。それだけで充分ではないか。しかも、三泊総てテント暮らしである。
癌が転移再発した五十前、低収入のしがない山男と遠距離交際する。それだけでもけっこう変わり者だと思うのだが、初めてのキャンプを悪天予想の中ついてきてくれる。エアコンも無ければ、テレビも映らない。不自由は目に見えている山旅に、貴重な盆休みを費やして悪条件をクリアするチャレンジ精神。これほどありがたいことがあるだろうか。相方に最大限の感謝をして、この紀行文を捧げたい。
天候が不安定なのを予測して当初の計画より一日あとにずらして出発したのだが、結果これが大正解であった。おまけとして、当初は上高地に二泊だけの予定だったのだが帰路のバスチケットがそれでは取れず、三泊する事になった。相方も予定が延びる事を快諾してくれ、気分良く上高地四日間+富山一泊のショートステイが始まった。
往路は夜行バス北陸ドリーム一号、富山行き。そのまま終着まで乗れば高山本線にすぐ乗り換えられるのだが、富山駅より手前で相方と待ち合わせするため金沢で下車。三列シートで快眠を果たし、目覚めれば百万石加賀の国古都である。昔、金沢の大学で勉学する高校山岳部の同級生の下宿を訪ねた頃とは激しく様変わりした金沢駅前。まるで万博会場のパビリオンのようにそびえ立つ駅前のオブジェ状の近代建築物に、時代の変遷を感じる。
事情で少し遅れた相方と無事合流、富山経由で高山へ。雲行きは怪しいものの、まだ降り出してはいない。自宅から最寄り駅、乗り換えと順調に傘を出さずに来れた。とりあえず雨の中の設営を避けるべく、脇目も振らずに平湯温泉へと路線バスに乗車。大行列を懸念していた平湯より上高地行きのバスは拍子抜けする程混雑は無く、数人の乗車待ち列の先頭でバスを待った。数日来の悪天の所為か、はたまた沢渡に比べて圧倒的に人口比が少ない西からのルート故か。
ともかく、スムーズにバスを乗り換え久々の上高地へと足を踏み入れた。相方は30年ぶり、私も20年程ご無沙汰していただろうか。期待していた奥穂〜前穂の吊尾根はガスの中ではあるが、雨は降っていない。よし、これなら楽勝でテントを張れる。
大急ぎで小梨平に向かい、受付へ。事前に料金や販売物等をリサーチしていたのだが、あらためて売店の品物の豊富さと良心的な金額に満足する。ひとまず一人700円の幕営料を二日分支払う。いったん支払った金銭は返金できない旨案内があったので、後の一泊分は天候が安定してから後日支払う事にする。
テントサイトの希望は、やはり岳沢の雄大な景観を望む川縁である。しかし小梨平に足を踏み入れたとたん、まるで涸沢か剣沢のごとくテントの群れが延々続いている。贅沢は言っていられない。六人用ダンロップを張るスペースが残っているだろうか。
少しばかりの不安があったが、念のため希望のサイトに向かってみる。すると丁度一張り分のスペースがあるのだが、小さいチェアとザックが置いてある。持ち主に尋ねてみると、絵を描きに来ただけでテントは張らないらしい。快くスペースを譲ってもらえた。
ラッキー!その方が座っていたおかげで、他のキャンパーは遠慮していたのだろうか。なんとも極上の、岳沢から西穂〜奥穂〜前穂を望む理想の地にBCを設営できた。若き頃この地から岳沢を登り奥穂へ。またある時は涸沢に長期BCを設営して北穂や前穂の岩稜をザイルパートナーと攀じ登った想い出の地なのである。感慨ひとしお。
ザックに入りきらない食材を入れた手提げのエコバッグを入れると総重量30kg超のボッカを終えた昨夜来の汗臭い身体をきれいにするべく、設営後すぐに受付横にある大浴場へと向かった。シャンプーやボディソープを完備した清潔な浴場は、テントの数から想像するほど混雑していない。まだ時間が早いからだろうか。15時までなら400円、以後は500円である。この日は16時に入浴したのだが、スタッフ君の弁によると18時以降が混雑するらしい。
さっぱりしたのだが、入浴中に激しい雨の音が屋根を叩く。テントからわずか1分程ではあるが、傘を持って来ていない。幸い相方がポンチョを鞄に入れていたので、それを着て二人分の傘を取りに戻り、売店で待望のビールを購入。350ccが230円、500ccが300円である。駅の売店より安い。第三ビールもあるので、重たい缶ビールをここまで担いでくる必要は無い。経費節減のため今回は自宅近くの安売りスーパーで食材を調達したが、まったくの手ぶらでもテント生活ができるような品揃えだ。
記念すべき第一夜は持参した食材と相方の地元で生産される銘酒立山、それに小梨平で購入した黒ビールで乾杯。6テンを二人で使用するとの贅沢さと相まり、そぼ降る雨などなんら気にならない快適かつ至福の夜を過ごした。今のオレにはテントを打つ雨の音など、ショパンの調べ。あの重荷を担ぎきってここまで来れた我が身の回復ぶりに、この世の総ての事象に感謝を捧げたくなる。こんなオレのために自宅から重たい清酒を担いでくれた相方に心より畏敬の念を表しつつ、杯を重ねた。
湿気が多いテントの中でも愚痴一つ言わず、かいがいしく手伝ってくれるキャンプ新人さんである相方。
「いいぞいいぞとおだてられ 死にもの狂いで来てみれば
朝から晩まで飯炊きで 景色なんぞは夢のうち」
新人哀歌の一番に高校、大学と二回の山岳部新人生活を送った頃を懐かしく思い出す。少しでも水気をこぼそうものなら、
「その水一滴が凍傷を呼ぶんやぞ。水をこぼしたら罰で一晩中テントの除雪や!」
と厳しく指導され、自らが上級生になったら繰り返した。そんな激しくも純粋な学生時代を語ると、相方は黙って微笑みながら頷いていた。
明けて第二日。ガスである。四時半頃より眼を覚まし、モルゲンロートを期待したがそれもむなしく稜線は見えない。が、朝霧が立ち昇りそれなりに幻想的で素晴らしい小梨平の夜明けである。まだ相方が白河夜船の中、ひとしきり撮影を終えてテントに戻る。どんな夢を見ているのだろうか。
劇画「岳」を一冊読み終えた頃、雨が強くなってきた。予定の明神池トレッキングは順延決定。しばし沈殿とする。朝のコーヒーをフライ越しの岳沢を観ながら飲み終えたら雨は上がった。大正池まで散歩すると雨に当たる可能性が強いので、その手前の田代池近辺まで散策することに。
レインウェアと傘を持ち、昼前に出発。相方がテレビの旅番組で観てぜひ食べたいという清水屋ホテル特製の「河童のひるめし」をバスターミナルで買い込み、梓川沿いを下る。悪天の所為か観光客も案外少ない。バスにて日帰りで訪れた人々は、穂高も見えず散策もあきらめてさぞかしがっかりしたことだろう。せめてこの高地のマイナスイオンを心置きなく吸って帰ってもらいたい。
田代池手前の田代橋で雨が降り出したので、そのままウエストン碑に挨拶して帰る事に。すぐに止むが、ガスである。帰路は梓川右岸の人数まばらな道を辿り、河童橋へ戻ってきた。まるで少女のようにソフトクリームを食べたがる相方。新人らしくて微笑ましい。少しの間まるで軽井沢のような土産物店で時間をつぶし、相方が納得した頃BCに帰着した。
風呂の様子も判っているので空いていそうな、かつ100円安い時間に入浴。不足したものを売店で買い出し。その後降ったり止んだりを繰り返しながら二日目が終わる。夜中にトイレに起きた時、明日の好天を予想させる星の一端が垣間見えた。
さらに明けて三日目。ガスっているものの、青空も覗いてまずまずである。予定通り明神池近辺までトレッキングする事に決定。予報では昼から高気圧に覆われるとの事なので、遅めの朝食を済ませて10時過ぎに梓川左岸を遡る。歩き出す頃にはすっかり晴天となり、樹々の間から降り注ぐ日光に全身の細胞が目覚めるのが判る。聳え立つ明神岳の峻険な岩壁に、敬虔な祈りの気持ちを持ちつつ左岸を50分程歩くと明神館に辿り着いた。
爽やかな高地の風と晴れ渡った緑の眩しさに信濃路の奥深くまで旅ができた喜びにひたりつつ、第三ビールを空けた。恩師が切望していたやまぶどう酒を土産に買うべくスタッフ嬢に尋ねると、一杯200円なりのぐい飲みその場で飲みきりはあるが、持ち帰りは置いていないとの事。それを頼み、心中で恩師に詫びつつぐいっと空ける。やはりスーパーで売っている舶来の安ワインとは違い、山の果実の味が堪能できる鄙びた200円であった。少し奥の嘉門次小屋に岩魚の塩焼きがあるのは知っていたが、一匹900円は贅沢すぎるので割愛。かつて大峰の沢で釣り上げたアマゴを想起し、ぶどう酒のあてとする。
しばし明神館前の木陰にあるテーブルで憩ったあと、穂高神社奥宮に参ることに。池の手前にある拝殿で二礼二拍手一礼のあと、300円を払って池のほとりを散策する。あまたある日本庭園は、ここを参照したのでは無いかと思えるような気品ある佇まい。ご神体たる明神岳の俊峰を仰ぎつつ、この上なく蒼い空とそれを反射する明神池の清々しい雰囲気に時を忘れる。
この頃になると相方も山に慣れて来たのか、話が弾む。
「二年部員は小生意気 新米なにかと話好き
地獄の二丁目山岳部 好んで入る馬鹿もいる」
浮世離れした地上の楽園を堪能した後、とぼとぼと右岸の木馬道を辿り家路を急ぐ。所々梓川に流れ込む支流を愛でるべく休憩場所が設けてあり、心地よく憩う。煌めく陽光を反射しながら今日も変わらず流れる川面に、遠き日々を想う。ひょっとしたら、今頃天に召されていたかもしれぬこの身体。たとえ肉体は滅びようとも、精神は必ず穂高や劔を彷徨うと誓っていたが、この両足で踏みしめる事ができたのだ。もうオレは迷わない。できる事をこなし、山や川、総ての大地を我が身で捉え、雲の上を行く。世界の山がオレを待っている。
河童橋の雑踏に着くと、ふたたび相方のスイーツ欲が出て来たのでつき合う。このリゾート環境だから発狂することもなく平穏に三日を過ごせたのだろうから、感謝しなければならない。行列も陽の傾きとともに少なくなり、上高地は山へと戻ってゆく。やがてフライは夜露に濡れ、それぞれのテントに明りが灯る。空が紅くなる事はなかったが、穂高の神々しい峰嶺は次第に黒くなり、代わりに空一面に星達が登場した。
楽しい最後の晩餐を終え、河原に向かう。丸く磨かれた小石達がいっときのしとねだ。オレが河原に横たわり、流れ星を見つけると相方が同じように小石に寝そべり寄り添ってきた。
「冷たくないか?」
「だいじょうぶ」
ダウンをかけてやる。
「33年前に観た星たちと、ぜんぜん変わってへんわ」
「あたりまえやん」
「でもな、この星達の中には、もうすでに寿命を終えて燃え尽きた子もあるねんで」
「ふうん」
「おまえ、こんな寒くて不便なとこでも落ち着いてるな」
「楽しいもん」
流星群のピークは二日程前に過ぎており、金星食も見えなかったがそれでも満天を飾るこぼれ落ちんばかりの無数の星。上空中央には二人をつなぐ天の川。時おり流れ行く小さな宇宙の塵。お互いの過ぎ去った昔とこれから来る華やかな未来を語り、二人の夜は終わらない。岳沢の上から、奥穂がそっと見守ってくれていた。
明けてついに最終日。黎明から吊尾根は誇らしくその姿を現しているが、やはりモルゲンロートの夢は叶わなかった。それは来る日の山頂のご褒美においておこう。6時には起き出した相方と、モーニングティーを済ませたあとベースキャンプ撤収にかかる。設営にも増して撤収時に雨が降っているとそれまでの幸せが吹き飛ぶ辛さがあるものだが、今回はからっと乾いたテントを気持ち良くたためた。
名残惜しい気持ちと幾ばくかの未練を残しつつ、小梨平を後にする。相方が昨日売り切れで心残りであったわさびコロッケの出来上がりを待つため、河童橋横にあるデッキ上の木製テーブルベンチで余韻を楽しむ。目の前には焼岳の勇姿。振り返ると明神岳から前穂が恥ずかしそうにわずかに顔を出し、堂々たる吊尾根を経て奥穂の際立つ存在感。前衛の兵隊、ジャンダルムを従えたその勇姿はこの界隈の王者に相応しい。
ジャンダルムから西穂高、独標へと続くのこぎりの刃を見上げながら穂高最後のビールをいただく。気分はシャモニーかツェルマットだ。これぞリゾート、バカンスである。なにも帝国ホテルや橋のたもとの旅館に泊まらなくとも、周到な準備と体力さえあれば金銭にはかえ難い貴重な経験ができるのだ。
「穂高よさらば また来る日まで 奥穂に映ゆる 茜雲
返り見すれば 遠ざかる 瞼に残るジャンダルム」
後ろ髪をひかれつつ、想い出の歌を唱い下界へのバスへと乗車。また先頭であった。大正池で穂高に別れを告げ、バスは平湯へ。すでに真夏の暑さを取り戻した旅人は重荷にあえぎながら乗り換えを繰り返し、富山の安宿に辿り着いた。もうここは都会。剣岳を仰ぐ山の基地には違いないが、狂わんばかりに泣き叫ぶ蝉達にこの世に帰って来た事を実感する。
富山の恵まれた海の幸に舌鼓を打ち、短い五泊六日の山旅が終わりを告げた。遠き学生時代、平気で二十泊くらい穂高や劔で寝泊まりしていたあの頃。それから、楽しい事も悲しい事も数多くあった。でも、いまは現在。過去はもう存在しない。あるのは、輝かしい未来のみ。これからいくつの山を観られるのだろう。幾多のピークをこの足で踏みしめ、そしてこの雑多としながらも活気にあふれた大阪の街を生き抜く。まだ振り返るには早い。
またひとつの山を終え、自分の壁を少し乗り越えた。今度はどんな困難な壁が待ち受けているのだろう。かかってこい。
今回はこれにて。
sekitori さんこんばんは、そしてお疲れ様でした
話に引き込まれつつ… 毎度の事?ですが写真の素晴らしさに惚れ惚れしております
カメラの性能も違うのでしょうが、手軽に撮られたと思われるスナップ写真? と、今風景を切取ってきたような新鮮さを感じる風景写真の差…
よく解りませんが、美しさの裏側に厳しさも透けて見えるような気もします。
しかしまあ…とですね
inakabusさん、おはようございます。コメントありがとうございました。
山の早寝早起き習慣が抜けず、昨夜も20時に寝てしまいました^^;
まいど、おほめいただき恐縮です。スナップ系は半分くらいコンデジで、後の半分と風景は一眼レフです。やはり一眼だと、構図と露出を瞬時に細かく調整出来るので、歩行中に撮影する事が多い山での作品創りには欠かせません。
僭越ですが、私は記録をつけるために写真を撮るのではなく、すべて作品を創造しています。一見、いつ撮っても同じ写真になりそうな自然の写真ですが、実はひと時たりとも同じ形はしていないですよね。それを、自分の感性を信じて唯一の絵画に仕上げる事を業としています。
紀行文もそうです。単に時間と場所の説明ではなく、感情移入する事により、その瞬間刹那に感動した想いを表現しております。
当然ヤマレコは仕事ではないので、マイペースな文章で自分への備忘録として利用しています(^^)
一升瓶からついでくれるぶどう酒!最高ですよね!
通る度に毎回飲みます。
遅くなりましたが、コメント有難うございました
m(_ _)m
monpitoさん、こんばんは。こちらこそコメントありがとうございます。
恩師曰く、昔はあそこのぶどう酒は「山ぶどう酒」と表記されていたらしいのですが、現在は単に「ぶどう酒」となっていますよね。国立公園内なので現在はヤマブドウを勝手に採取できず、麓の原料を使用しているのかもしれない、との見解でした。
いずれにせよ、疲れた身体に染み渡る美味さですね。また行きたくなってきた!
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