開聞岳
- GPS
- --:--
- 距離
- 6.1km
- 登り
- 784m
- 下り
- 784m
コースタイム
天候 | 雨 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2011年06月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
鹿児島には地元の人が誇る代表的な山がふたつある。
ひとつは、今でも噴煙を上げる荒々しい山の桜島。
もうひとつは、薩摩富士と呼ばれ稜線のきれいな優しい山の開聞岳。
桜島を怖い父親とすれば、開聞岳は優しい母親と言える。
あいにくの雨だが、指宿まで来たのでこの薩摩富士に登る。
麓に待ち人がおり、私に与えられた制限時間は2時間以内なので、走って登る。
予定通り1時間45分で無事に帰る。
【反省事項(→対応策)】
・やはり山は早朝から登るべき。(→計画の見直し)
・ロープ場でロープにあまり頼らない。(→岩と向き合う)
番外編
〜下山後に訪れた知覧特攻平和会館にて〜
日米が戦っていた遠い夏の日
10代後半から20代の若者たちは自ら爆弾となって敵艦に突っ込む特攻隊となった。
靖国神社で会おうと約束し、愛するものを守るために、未来ある彼らの命は無残にも
呆気無く南の海へ消えていった。
戦時中は、ほとんどの日本人が勝利か、さもなくば最後の一人まで戦いつづけるかの
いずれかとしてしか、戦争終結を想像することができなかった。
降伏という発想がなかった。
なぜなら、人々は、アメリカが日本人の絶滅を意図していると信じていたし、
実際、アメリカによる無差別絨毯爆撃はアメリカの殲滅作戦を示すものとして
人々に理解されていた。
従って、日本が負けるということは、家族や恋人を殺されるということだった。
これが若者を特攻へと導いた背景だった。
特攻隊員は知覧飛行場から飛び立ち、開聞岳の横を通り過ぎるとき、
山頂に向かって敬礼したという。
日本の象徴である富士山と母や家族への思いを胸に、開聞岳に最後の敬礼を捧げ、
敵の待つ沖縄に向っていったのだ。
現在、日本には戦争のない平和な時代が続いている。
恵まれすぎるくらい恵まれたこのご時世、
迂闊にだらだらと生きてしまっている人も多いだろう。
でも、私たちは、特攻隊員たちが必死で守ろうとした日本で、
彼らには与えられなかった貴重でかけがえのない時間を生きているのだ。
与えられた時間を大切にし、色々なことにチャレンジし、人生を楽しまなくてはならない。
かつて、時代に翻弄され、愛するものを守るために死んでいった若者たちがいたことを
忘れてはならない。
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