記録ID: 2524108
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ハイキング
甲信越
茅ヶ岳
2003年04月13日(日) [日帰り]
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- GPS
- --:--
- 距離
- 6.7km
- 登り
- 765m
- 下り
- 765m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 2:30
- 休憩
- 0:55
- 合計
- 3:25
甲州の茅ヶ岳に登った。何時でも登れる手頃な山として後回しにしていた茅ヶ岳だが、久し振りの車で行く山(何と今日、今年になって初めてハンドルを握った..)としては、手頃な山だ。4時過ぎに東京の自宅を出発して中央道を一路「甲斐路」に。2時間少々で登山口に着いた。茅ヶ岳は日本百名山の著者「深田久弥」が山中で急逝した山としても知られ、訪れる人の多い山だ。登山口には、数十台駐車できる駐車場が完備され、架設のトイレまで設置されていた。
登山口から谷沿いの林道を歩いて行くと、何時しか道はダートな隘路となり、何時の間にか登山道らしくなって来る。歩き始めて45分、水場にもなっている「女岩」に到着、此処から先は、一転して斜面が急になった。前日に降った雨がぬかるむが、落葉を踏んで登る道は概ね歩き易い。女岩から約30分で稜線に出ると、目の前に残雪を纏った奥秩父の峰峰が目に飛び込んできた。此処から数分登ったところが、深田久弥終焉の場所だ。石塚が築かれていて、「深田久弥先生終焉の地」と彫られた石柱がが立っていた。深田氏が「日本百名山」を著作しなかったらば、今日の日本の登山シーンは随分と変ったものになっていたかもしれない。かく言う自分も、北海道や九州の山に登りに行く事はなかったろう。今日も何人もの登山者とすれちがったが、直接的、在るいは間接的に、深田久弥の著作がなかったらば、山に入る事が無かったかもしれない人も結構いるだろう。石柱に向って合掌する。
深田久弥終焉の地から山頂までは15分程度であった。山頂からは正面に南アルプス、右手には八ヶ岳、背後には奥秩父の峰峰と、真に展望の良い山頂だ。大展望を期待しただが、薄曇でスカッとした展望を得ることは出来なかったが、ともかく今年初めてアルプスの巨人達と御対面、今年は何処に登ろうかと、思いを巡らせた茅ヶ岳の山頂であった。
登山口から谷沿いの林道を歩いて行くと、何時しか道はダートな隘路となり、何時の間にか登山道らしくなって来る。歩き始めて45分、水場にもなっている「女岩」に到着、此処から先は、一転して斜面が急になった。前日に降った雨がぬかるむが、落葉を踏んで登る道は概ね歩き易い。女岩から約30分で稜線に出ると、目の前に残雪を纏った奥秩父の峰峰が目に飛び込んできた。此処から数分登ったところが、深田久弥終焉の場所だ。石塚が築かれていて、「深田久弥先生終焉の地」と彫られた石柱がが立っていた。深田氏が「日本百名山」を著作しなかったらば、今日の日本の登山シーンは随分と変ったものになっていたかもしれない。かく言う自分も、北海道や九州の山に登りに行く事はなかったろう。今日も何人もの登山者とすれちがったが、直接的、在るいは間接的に、深田久弥の著作がなかったらば、山に入る事が無かったかもしれない人も結構いるだろう。石柱に向って合掌する。
深田久弥終焉の地から山頂までは15分程度であった。山頂からは正面に南アルプス、右手には八ヶ岳、背後には奥秩父の峰峰と、真に展望の良い山頂だ。大展望を期待しただが、薄曇でスカッとした展望を得ることは出来なかったが、ともかく今年初めてアルプスの巨人達と御対面、今年は何処に登ろうかと、思いを巡らせた茅ヶ岳の山頂であった。
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2003年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
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