さすらう白髪岳の歌 松尾山〜白髪岳 [文保寺ルート](兵庫県篠山市)
- GPS
- 05:20
- 距離
- 5.4km
- 登り
- 565m
- 下り
- 570m
コースタイム
12:09 肩越の辻
12:15 地蔵
12:35 松尾山(685m)山頂
12:45 鐘掛の辻
13:36 白髪岳山頂(昼食)14:48
15:30 鐘掛の辻
16:26 文保寺(コーヒーブレイク)17:17
17:26 観明院(終期のつつじ)
17:32 駐車場
天候 | 絶え間なく曇天 |
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過去天気図(気象庁) | 2013年06月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
クルマ:文保寺周辺にあり。 |
写真
装備
共同装備 |
タオル 1
コーヒー 1
ガスコンロ 1
地図 1
コンパス 1
タオル 1
カメラ 1
水 1
弁当 1
リュックサック 1
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感想
【さすらう白髪岳の歌 松尾山〜白髪岳 [文保寺ルート]】
鉛色の梅雨らしい空の下、私たちを乗せたクルマは、見慣れた鳥居を通り越し、文保寺山門横を通り越し、谷の風情の中へと軽々と突入するのであった。赤い観明寺の欄干が深いが単調に陥りがちな谷の景観にアクセントを与えるのである。
「一隅を照らす此れ則ち国宝なり」http://ichigu.net/person/
天台宗らしく、極めて断定的な最澄の一節が石碑にきざまれ箔付けされる寺。そんな言葉に何の感慨も催さず、寺脇の参道を詰めるわたしたち。境内が尽きるといきなり谷幅が狭まり、古色蒼然たるコンクリート製の給水タンクが、ヌリカベのごとくに立ちはだかる・・・。その異形に敬意を払いつつ、脇の山道へ浸入。マムシグサ、クサノオウなどの出迎え。11:42には殻だけになった、蟹の死骸を見る。丹波の山らしい単調で仄暗く生命の気配の少ない針葉樹の道が延々。12:08にはヒキガエルにばったり。奴は動かない。
肩越の辻、鐘掛の辻と辻ごとに丁寧なネーミングとそれを示すお金かけました的看板が点在....。煩いほどの道しるべ。一体だけの石仏の小皿には賽銭が125円。いったい、誰の懐に納まるのか、このお金。
12:18 松尾山への分岐。ここまで1時間余りかけている。あまりに長い210mの後に台状の山頂に立つ。酒井城跡。樹木が茂りよい雰囲気の木陰で集う、中高年の群れ。山はすでに若者のものではなくなって久しい。通り越し、白髪へ。
やせた尾根を駆け抜けると、突然見覚えのある白髪は、眼前に立ちはだかるのだ!この光景がかなり印象的!
やがて光沢のある枯葉を一面に路上に散らす大木の道を抜けた頃、
小鳥たちのさえずりが。突然、脳裏にグスタフ・マーラーの『さすらう若人の歌』が染み渡るように鳴り響く。これにて、この山行のテーマは決定される!
ああ、なんと言う安易さ!この安っぽさもまた、マーラー的なのだと納得させうるのだから・・・・。
【さすらう白髪岳の歌】
722M山頂への到達のために小さな演出は施される。それは小さな岩場の数十Mの登り・・・。やがて360度の展望が!南側にはあの、トンガリ山のある四斗谷集落がが亡羊と佇んでいるではないか!
曇天は今朝から動くことなく、終止梅雨であることを主張し続けるが、未だに沈黙を続けるのだ!
ア・ル・マ / マ・−・ラ・−
"さすらう白髪岳の歌"文保寺ルート(原典版)/Lieder eines fahrenden Gesellen /Gustav
第1曲「恋人の婚礼の時」
男は、恋人を失った悲しみを他人に打ち明けている。男は世界の美しさについて語るが、それは悲しい夢から自分を目覚めさせてはくれないのだ。オーケストラの質感は、ダブルリードや弦楽器の多用によって、甘く切ない。
Wenn mein Schatz Hochzeit macht,
Fröhliche Hochzeit macht,
Hab' ich meinen traurigen Tag!
Geh' ich in mein Kämmerlein,
Dunkles Kämmerlein,
Weine, wein' um meinen Schatz,
Um meinen lieben Schatz!
Blümlein blau! Blümlein blau!
Verdorre nicht! Verdorre nicht!
Vöglein süß! Vöglein süß!
Du singst auf grüner Heide.
Ach, wie ist die Welt so schön!
Ziküth! Ziküth!
Singet nicht! Blühet nicht!
Lenz ist ja vorbei!
Alles Singen ist nun aus!
Des Abends, wenn ich schlafen geh',
Denk'ich an mein Leide!
An mein Leide!
愛しい人が婚礼をあげるとき、
幸せな婚礼をあげるとき、
私は喪に服す!
私は自分の小部屋、
暗い小部屋に行き、
泣きに泣く、愛しい人を想って、
恋しく愛しい人を想って!
青い小花よ! 青い小花よ!
しぼむな! しぼむな!
甘い小鳥よ! 甘い小鳥よ!
君は緑なす野原の上で、こうさえずる。
「ああ、この世って、なんて美しいの!
ツィキュート! ツィキュート!」
歌うな! 咲くな!
春はもう過ぎたんだ!
歌はすべて終わった。
夜、私が眠りに入るときも、
私は苦しみを思うだろう!
苦しみを!
第2曲「朝の野を歩けば」
曲集中で最も陽気な楽曲。実際にも歌われているのは、鳥のさえずりや牧場のしずくのような何気ないものの中で、美しい自然界を練り歩く喜びであり、「これが愛すべき自然ではないというのか?」という自問自答がルフランで繰り返される。しかしながら、男は最後になって、恋人が去ってしまった以上、自分の幸せが花開くこともないのだと気づいてしまう。管弦楽伴奏版は、繊細な音色操作が行われ、高音域で弦楽器やフルートが利用され、トライアングルもかなり活用されている。この曲の旋律は交響曲第1番にも利用された。
Ging heut morgen übers Feld,
Tau noch auf den Gräsern hing;
Sprach zu mir der lust'ge Fink:
"Ei du! Gelt?
Guten Morgen! Ei gelt?
Du! Wird's nicht eine schöne Welt?
Zink! Zink!
Schön und flink!
Wie mir doch die Welt gefällt!"
Auch die Glockenblum' am Feld
Hat mir lustig, guter Ding',
Mit den Glöckchen, klinge, kling,
Ihren Morgengruß geschellt:
"Wird's nicht eine schöne Welt?
Kling, kling! Schönes Ding!
Wie mir doch die Welt gefällt! Heia!"
Und da fing im Sonnenschein
Gleich die Welt zu funkeln an;
Alles Ton und Farbe gewann
Im Sonnenschein!
Blum' und Vogel, groß und Klein!
"Guten Tag,
ist's nicht eine schöne Welt?
Ei du, gelt? Schöne Welt!"
Nun fängt auch mein Glück wohl an?
Nein, nein, das ich mein',
Mir nimmer blühen kann!
今朝、野を行くと、
露がまだ草の上に残っていた。
こう、陽気な花鶏(アトリ)が話しかけてきた。
「やあ君か! そうだろう?
おはよう、いい朝だね! ほら、そうだろ?
なあ君! なんて美しい世界じゃないか?
ツィンク! ツィンク!
美しいし、活気に溢れてるよなあ!
なんて、この世は楽しいんだろう!」
それに、野の上のツリガネソウは
陽気に、心地よく、
その可愛らしいツリガネで、キーン、コーンと、
朝の挨拶を鳴り響かせた。
「なんて美しい世界じゃない?
カーン、コーン! 美しいものねえ!
なんて、この世は楽しいんだろう! ああ!」
そして、陽の光をあびて
たちまち、この世は輝きはじめた。
あらゆるものが音と色を得た—
陽の光をあびて!
花も鳥も、大きいものも小さいものも!
「こんにちは、いい日和だね、
なんて美しい世界じゃないか?
ほら君、そうだろう? 美しい世界だろう!」
では、いまや私の幸せも始まったのだろうか?
いいや、いいや、私の望むものは
決して花開くことがない!
第4曲「恋人の青い瞳」
明らかに解決の楽章である。控えめで穏やかで叙情的で、和声法はしばしばコラール風である。恋人のまなざしの面影にどんなに自分が苦しめられたか、もう耐えられないほどだと歌われている。男は菩提樹の木陰に横たわり、何事も起こらなければよい、万事好転すればよい(「何もかも。恋も、悲しみも、世界も、夢も!」)と願いながら、花びらが体の上に覆いかぶさるのに任せる。この曲の旋律も交響曲第1番に転用された。
Die zwei blauen Augen
von meinem Schatz,
Die haben mich in die
weite Welt eschickt.
Da mußt ich Abschied nehmen vom allerliebsten Platz!
O Augen blau, warum habt ihr mich angeblickt?
Nun hab'ich ewig Leid und Grämen.
Ich bin ausgegangen in stiller Nacht
Wohl über die dunkle Heide.
Hat mir niemand ade gesagt, ade!
Mein Gesell' war Lieb' und Leide!
Auf der Straße steht ein Lindenbaum,
Da hab'ich zum ersten Mal im Schlaf geruht!
Unter dem Lindenbaum, der hat
Seine Blüten über mich geschneit,
Da wußt'ich nicht, wie das Leben tut,
War alles, ach, alles wieder gut!
Alles! Alles, Lieb und Leid
Und Welt und Traum!
二つの青い眼、
愛しい人のが、
私をこの
広い世界へと追いやった。
さあ、私は最愛の地に別れを告げなければ!
おお、青い眼よ、なぜ私を見つめたりしたんだ?
いま私にあるのは、永遠の苦しみと嘆きだ。
私は旅立った、静かな夜に、
暗い荒れ野をすっぽりと包む夜に。
惜別を私に告げる者などいないが—さらばだ!
私の仲間は愛と苦しみだった!
街道のそばに、一本の菩提樹がそびえている。
その蔭で、はじめて安らかに眠ることができた。
菩提樹の下、
花びらが私の上に雪のように降り注いだ。
人生がどうなるかなんて知りもしないが、
全て—ああ—全てが、また、素晴らしくなった。
全て! 全てが、恋も、苦しみも、
現(うつつ)も、夢も!
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%95%E3%81%99%E3%82%89%E3%81%86%E8%8B%A5%E8%80%85%E3%81%AE%E6%AD%8C
第3版 Lieder eines fahrenden Gesellen Fischer-Dieskau/Furtwängler
幻想"さすらう白髪岳の歌"
snake1995さん、はじめまして!
”さすらう”という文字と”歌”でピピッと来ましたが・・・
やはり、そうでした。
こういう切り口も斬新で有りですね!
思わず全部聞いてしまいました。
今後もこのシリーズを続けてください。
次回作をお待ちしております。
山をさすらう時、これまでに出会ったさまざまな作曲家のさまざまな旋律が脳裏をよぎりますが、ほとんどの作曲家は、自然から偉大な啓示を受けていたのではないかという思いがふつふつと胸の奥からおこってくるのを感じます。
というわけで、この山行では、この曲をイメージして歩いてみました。山道のある箇所に差し掛かると、いきなり小鳥たちのさえずりが五月雨のようにふってくる・・・。
Gustav Mahlerは、人生に絶望しながら同時に美しい自然に接することで、癒され、人生に強い愛着を抱く。天秤の両端に錘を乗せかえ続けるように、両端に揺れながら生涯絶望と愛着の繰り返しの中に一生を送ったように感じられます。
ありがとうございました。
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