記録ID: 402313
全員に公開
雪山ハイキング
東海
位山●御岳・乗鞍岳を見に●モンデウススキー場からピストン●climb
2014年02月01日(土) [日帰り]



体力度
2
日帰りが可能
- GPS
- 05:38
- 距離
- 9.3km
- 登り
- 673m
- 下り
- 655m
コースタイム
8:30登山開始
9:15ゲレンデトップ
11:25位山山頂(昼休憩65分)
12:30下山開始
13:55無事下山
9:15ゲレンデトップ
11:25位山山頂(昼休憩65分)
12:30下山開始
13:55無事下山
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2014年02月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
特に危険な場所は、ありませんでした。 ルートもピンクテープが多く、迷う場所は無いと思われます。 本日は、雪も締まっていたので全てツボ足で行きました。 下山後は、飛騨古川桃源郷温泉 ぬく森の湯すぱ〜ふる http://www.hida-kankou.jp/spot/3552/ |
写真
家康公の名言。
意味は、家康の一生を表した言葉。まさかこんなところで見るとは。
『人の一生は重荷を負いて遠き道を行くがごとし、急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。心に望み起こらば困窮したる時を思いだすべし。堪忍は無事長久の基、怒りを敵とおもえ。勝つことばかり知りて、負くることを知らざば、害その身にいたる。おのれを責めて人を責むるな。及ばざるは過ぎたるより勝れり-徳川家康』
家康は幼少時に母と別れ父に死なれ幼くして松平宗家(徳川家)の当主としての重責を荷いました。少年時代は隣国の織田や今川といった強国で人質として苦労して育ち、成人してからも決してその人生は急がず慌てずに織田信長の同盟者として戦い、秀吉の政権に参加しその政権の筆頭大老として秀吉を支え続けました。そしてやがて自分の手に天下が掴み取れるチャンスが来ることを自然にまかせ無理をせずに待ちました。そして秀吉の死後、そのチャンスが巡ってきて関が原の戦いに勝利し政権を手に入れました。
家康は先人(信玄・信長・秀吉)の長所を取り入れ先人の失敗や自身の失敗を反省し、そのことを徳川政権に取り入れて約250年の長期安定政権を樹立しました。
その家康の人生を『人の一生は…』の遺訓に込めました。
意味は、家康の一生を表した言葉。まさかこんなところで見るとは。
『人の一生は重荷を負いて遠き道を行くがごとし、急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。心に望み起こらば困窮したる時を思いだすべし。堪忍は無事長久の基、怒りを敵とおもえ。勝つことばかり知りて、負くることを知らざば、害その身にいたる。おのれを責めて人を責むるな。及ばざるは過ぎたるより勝れり-徳川家康』
家康は幼少時に母と別れ父に死なれ幼くして松平宗家(徳川家)の当主としての重責を荷いました。少年時代は隣国の織田や今川といった強国で人質として苦労して育ち、成人してからも決してその人生は急がず慌てずに織田信長の同盟者として戦い、秀吉の政権に参加しその政権の筆頭大老として秀吉を支え続けました。そしてやがて自分の手に天下が掴み取れるチャンスが来ることを自然にまかせ無理をせずに待ちました。そして秀吉の死後、そのチャンスが巡ってきて関が原の戦いに勝利し政権を手に入れました。
家康は先人(信玄・信長・秀吉)の長所を取り入れ先人の失敗や自身の失敗を反省し、そのことを徳川政権に取り入れて約250年の長期安定政権を樹立しました。
その家康の人生を『人の一生は…』の遺訓に込めました。
撮影機器:
感想
本日は、御岳と乗鞍を見に岐阜の位山に行ってきました。
この山は、アクセスに2時間掛かるので路面状況が良い日にアタックしようとかねてより狙ってました。
今回は、天気予報も晴天予報だったので期待しましたが、霞が掛かっていてイマイチでした。
本来の目的であった御岳・乗鞍はイマイチでしたが、白山が綺麗に見えたので大満足ですね。
この時期に休日と晴天が重なるのもめったに無いので良しとしましょう。
お気に入りした人
人
拍手で応援
拍手した人
拍手
訪問者数:1135人
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する