ポントナシベツ川南喜岳東面直登沢敗退⇒芦別新道(3-0)
- GPS
- 56:00
- 距離
- 23.8km
- 登り
- 1,753m
- 下り
- 1,881m
過去天気図(気象庁) | 2009年07月の天気図 |
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アクセス | |
コース状況/ 危険箇所等 |
詳しいルート情報はこちら↓ http://aach.ees.hokudai.ac.jp/xc/modules/AACHBlog/details.php?bid=553 |
写真
感想
39南面に行くんなら、むしろポントナで手こずるようじゃあ行けないだろうと斉藤さんに言われ、ポントナシベツ川を選んだ。記録が少なく、約40年前の記録である北の山脈3と38号等引っ張り出してきて臨んだ遡行、結果として今年北海道で一番印象に残る渓となった。
7/31 雨続きで、結局7月末入渓となってしまった。林道を車で送ってもらうが早くもゲートが出現して林道を歩くことになった。ポントナシベツ川は川幅いっぱいに流れ、緑色の小石が多いせいか、中央労山のT平さんの記録にある通り「水が澄んでいて美しい」。流木の溜まり場にてC1.
8/1 快晴。しばらく河原を歩き、ゴーロを越えていくと、きれいな段差や雪渓が出てくる。コルの沢手前の函と崩落雪渓より沢が迫力ある沢相となり、徐々に手こずらせる滝・雪渓が出てくる。小滝は直登が厳しいものも2,3あり、殊に雪渓の降口は立っていて悪い。Mが確保器を忘れた、ということもあり、直登沢出合に着く頃には予定より大幅に時間を使ってしまっていた。
高い岩壁に囲まれた本流の大滝を横目に、大雪渓を詰めると二股になっていた。開けた場所ではあるがこの辺りは迫力があり、直登沢大滝は黒光りしている。しばし大滝を観察、斜度は緩いため直登可能に見えたが、流心左横フェースまでが厳しそう。崩壊雪渓を伝って降り、右岸ルンゼでビレーをしてもらう。1p目、やはり流芯左横の、フェースのテラスにたどり着くまでのtrv.が核心。なかなかピンが取れない、25m。サックは吊上げ。2p目、緩いフェースをそのまま直上し、ハング左横へ。多少ぬめり、積木が多いが、ピンは豊富に取れる。ハング横のクラックから草付までは意外と悪い、50m。2p目フォローが登攀中にさっき通ってきた崩壊雪渓ブロックと雪渓の一部が崩壊。ぞっとした。上も小滝や段差が続き、やがて雪渓と大滝。雪渓乗るのも状態悪く紐たらす。大滝は左手の岩壁より落ち込んできていて、どんづまりはスラブ状のルンゼ、左岸からの緩い尾根が大滝横の尾根と合流している。雪渓はどこも岩壁との間に大きな隙間を持ち、大滝は取り付けず、時間も押してきているので尾根上にB.V覚悟で左岸の緩い尾根を行くことにする。水を汲み忘れ、まあ後でスラブルンゼを懸垂して汲みにいきゃあいいかと思っていたが、B.V地に着く頃には辺りは暗くなり、厳しい水汲み。20mと50mを繋げて70mいっぱいでやっと水が出てくる。およそ9lの水を汲んだのち登り返すが、何も見えず、ただただザイルを引張って足場をなんとか探すパワークライム、大いに緊張、消耗した。
8/2 早朝1時頃よりツェルトを雨が叩く。4時、携帯の電波が通じていたため天気図を見てみるとこの先そこまで悪くはならなさそうである。朝飯を忘れていたため行動食を食らい出発、一時雨が止むが後は土砂降り。前日に大滝上にも途切れた雪渓と大きそうな滝が見えていたのでまとめて捲くことにするが、25m懸垂してみるとまたもや途切れた雪渓と滝、滝は水量が増していそうだった。色々と考えた結果、沢身に戻るのを諦め、尾根上を進むことにした。雨と風で大いに消耗しつつ稜線へ這い上がる。ガスガス大雨で風強し、誰がピークアタック断念に異論を唱えようか。芦別まで踏み跡などはなく、ハイマツを泳ぎながら新道使って下山。
今回は敗退を喫したが、日高には無かろう、荒々しく、また迫力ある沢相には正直感動した。北の山脈3号にて安田成男さんが「わがポントナシベツ ―ある探究課程として―」と題して4年間ポントナシベツ川集中遡行(本流右股沢・本流左股沢・南喜直登沢・1423m直登沢〜コルの沢・鉢盛沢〜肌寒沢)をなさっているが、それも頷ける。しかし、安田さんはこの集中に関しては「…今回はひとつの探求の過程として、僕個人を中心とした動向のみをとりあげた。近い将来、日高などでもこのような登り方で、目ぼしい支流をすべて探ろうとする者が現われてくるだろう。重箱の隅を突っつく発想という者もあろうが、これはまったく個人的または一山岳会的な志向の問題である。ポントナシベツ川は水量も少なく、とくに難しい沢とは思われないが、僕自身は、これら一連の探求を非常に楽しんだし、まだそれは終わっていない。ただ、特定の山や沢にのみ固着することにより、視野をいたずらにせまくすることのないよう、自戒せねばならない。」と、記している。まさに、正論であり、心打たれた。後日、つるにて安田さんや北の山脈の編集長であった今村さんにお会いすることが出来、当時の様子や集中遡行時の写真を見せていただくことになるのだが、謙虚な御方だけに、決して誇張などせず、色々とお話を聞かせてもらうことが出来た。ちょっとしたことから2か月北海道で山漬の毎日を送ることになったが、雑念無しにルームの部報や北海道の山の開拓期の記録を見ることが出来、当時どのような思いで先人達が山を、沢を登っているかということを肌で感じることが出来、充実した。北海道で山を覚え、山を登れたことを誇りに思い、またこの先このようなこころを忘れずに山に登りたいと思う。
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