八王子城跡から北高尾山稜
- GPS
- 08:26
- 距離
- 13.6km
- 登り
- 1,129m
- 下り
- 1,017m
コースタイム
本丸跡10:55〜11:20詰の城〜11:40富士見台〜11:45杉沢の頭
杉沢の頭12:10〜13:35杉の丸〜13:45黒ドッケ〜13:50つつじ平
つつじ平13:55〜14:25三本松山〜14:45開場峠〜15:35堂所山
堂所山15:50〜16:20底沢峠〜17:10陣馬高原下バス停
天候 | 曇り時々晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2014年07月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
高尾駅〜八王子城跡 ¥180(土曜・日曜・祝日のみ運行) 陣馬高原下〜高尾駅 ¥560 |
コース状況/ 危険箇所等 |
危険なところはありませんが、雨上がりで滑りやすいところ、ぬかるんでいるところがありました |
写真
感想
天正18年6月23日(1590年7月24日)未明、豊臣秀吉による小田原征伐の、その北国軍が八王子城に攻めこみました。
主な武将は前田利家、上杉景勝、真田昌幸で総勢およそ1万5千。
その中にはもちろん、真田信幸、信繁兄弟もいたことでしょう。
これより前の松井田城の戦いで、信幸は大いに武功をあげ、また信繁はこの戦が初陣だったと云われています。
再来年の大河ドラマではこの場面が描かれるのでしょうか?
そのドラマの主人公である真田信繁の真田氏は信濃の名族滋野氏の傍流でその本拠地は長野県真田町(現上田市)です。
歴史の表舞台に登場するのは信繁の祖父で、昌幸の父の幸隆の頃からです。
調略の才に優れた幸隆はその才能を活かし敵方を攻略し、しだいに武田晴信から重用されるようになりました。
幸隆の三男として生まれた昌幸は甲斐の名家の武藤家の跡目を継ぎ、
「武藤喜兵衛」と名乗っていましたが、長篠の合戦で兄を相次いで失ったため、
真田性に復して当主となりました。
昌幸は「表裏比興の者」(不義理者)といわれていますが、これは武田氏滅亡後、わすかの間に
徳川、上杉、北条と主君を頻繁に変えたことによるのからでしょう。
でもそのようにうまく立ち回ることにより戦国乱世を生き抜くことができたともいえます。
話を戻して、八王子城です。
小田原に本拠を置く北条氏の支城であり、関東の西の重要な軍事拠点でした。
城主の北条氏照は当初、近くの滝山城と拠点としていましたが、
武田晴信の軍に攻めこまれた際に滝山城の防御の限界を感じ、元亀2年(1570年)頃にここ深沢山に城を築きはじめ、天正15年(1587年)頃に滝山城より移ったと考えられています。
築城にあたっては織田信長の安土城を参考にして石垣を多用した構築を行いました。
その構成は山上部に多くの曲輪を配置した要害地区、山腹に御主殿と呼ばれている居館地区、さらにその下部の平野には城下町の根小屋地区となっています。
さらに周辺に多くの砦を築き、連絡道には深い堀切や竪堀を廻らせて、
攻めにくい構造となっています。
さて、豊臣軍に攻めこまれたその城を守る関東勢はというと、氏照がその主力部隊4千人とともに小田原城に詰めており、
城には城代の横地監物吉信のほか、中山勘解由家範、狩野主善一庵ら僅な将兵しか残ってませんでした。
多勢に無勢。
中山勘解由らの奮闘もむなしく、
この関東屈指の山城は戦闘開始からわずか一日で落城となりました。
この八王子城の戦いを含めた小田原征伐において北条氏は敗北し、ここに豊臣秀吉は天下を統一したのでした。
そして、この一連の戦いに於て、秀吉からその武功が認められた真田家は沼田領を安堵され、昌幸、信繁は上田領を、信幸は沼田領を統治することとなったのでした。
そして八王子城は、この地の新たな統治者となった徳川家康によって廃城となったのでした。
話は前後しますが、延喜13年(913年) に華厳菩薩妙行という人物が山頂で修行している時に牛頭天王と8人の王子が現れたことで、延喜16年に山頂に八王子権現を祀りました。
牛頭天王とは祇園精舎の守護神で祇園信仰の神様だそうです。
この八王子権現に因み城の名は八王子城となり、また八王子という地名の由来ともなりました。
今回はその八王子城と北高尾山稜です。
高尾駅の駅前では小仏や陣馬高原下へ向かう人の長い列ができていましたが、
八王子城跡行きのバスはほぼ全員が着席できるくらいの少なさでした。
この日はいつになく体が重かったですね。
いつもならひと汗かけばそんな気分も吹き飛ぶのですが、
この日はなかなか調子があがりませんでした。
蒸し暑さのせいかと思ってみたのですが、根本的に調子が悪いようでした。
楽しみにしていた堀切もいつの間にかに通りすぎてしまって、
あとから振り返って、「たぶんあそこが堀切だったのかな」という感じですし、
天守閣跡は全く記憶にごさいません。
(そもそも八王子城に天守閣があったのか疑問です!)
それでも久しぶりの山歩きは楽しかったですし、
数年振りに日本史マニアの血が騒いだ一日となりました。
ninotugiさんは日本史マニアでもあったのですね。
私は詳しくはありませんが好きなジャンルです。
北高尾山稜は陣馬山から夕焼け小焼けの里まで歩いたことがあります。
あまり人は入っていませんよね。
やはり熱い頃だったか蒸して、キツカッタ記憶です。
お花もよく調べられていますね。
赤いキノコ、タマゴタケ(食用)です。
OBABAさん、こんばんは!
いろいろと能書きを書いていますが、
もちろんネットで調べたものの受け売りです(笑)
今は何でも簡単に調べることができますね。
せっかくなのでお花の名前も今回は調べてみました。
名前がわかるとスッキリしますね。
でも、きっとすぐに忘れてしまうんでしょうね。
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