【過去の記録】信長の野望 安土山(安土城跡) 諸行無常なり
- GPS
- --:--
- 距離
- 1.0km
- 登り
- 104m
- 下り
- 103m
コースタイム
天候 | 薄曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2012年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
8時半以降は500円ほどかかるが、それ以前に入場していればかからない |
コース状況/ 危険箇所等 |
登城の道 当時は馬でも通ることができたというので人間様にとっては楽な道、スニーカーで十分。ここを登山靴ダブルストック、大きいザックなどで登っていたら「何あの人?」と言われてしまうに違いない。 サンダル、ミュールは避けた方が良いであろう。 |
写真
装備
個人装備 |
Tシャツ
ズボン
靴下
靴
飲料
保険証
携帯
時計
タオル
カメラ
|
---|
感想
この年のゴールデンウィークは、滋賀から奈良を中心に廻った旅だった。このレポートはそのうちの一部である。まあ、一部と言っても1時間にも満たないものである。
2005年に一度安土山には来たことがあるが、今回来て観光地化が非常に進んだといううことに驚かされた。近くに信長のミュージアムが2つもできていたり、公衆トイレやお土産屋さんができていたりしていた、そして500円の入場料金を取るということも、今回変わった点である。しかし、8:30以前の入山であればとらないということだったので、時間ぎりぎりになって私は500円が惜しく入山した。
当時は馬がカッポカッポと通ることができた道である。そして、「○○○○邸跡」など見所も多い。ゆっくりと楽しみながら登城を楽しむ。戦国時代をかじったことがある人であれば知っているであろう人たちのお屋敷跡がたくさん出てくるのである。ある程度発掘調査が終わっているお屋敷跡については看板などで間取りなどが説明されてあり、私はそれらも写真に写し、じっくりと読む。安土桃山後期の城の特徴として城内に町を持ち、大規模化しているといることをよく見ることができる。
家臣団の屋敷跡を抜けていくと、お城の核心部に入っていく。
二の丸では、織田信長公廟ということで信長公のお墓があり、その前でさまざまなことを考えさせられる。天下統一を目前として本能寺の変、南蛮貿易とのなかで知り会いここ安土城にも登城したオルガンティーノやルイス・フロイスとの会話、本音ではキリスト教をどう思っていたのか、さまざまな部下に対する評価、そんなことをじっくりとかみしめながら信長廟の前で雰囲気に浸る私。ふと何かに気づき、本丸に向かう。
さまざまな城での本丸跡は、石を埋めこんな基礎工事の跡が残っている、ここ安土城でもしかずだ。現在は埋め立てられているが、この安土山は琵琶湖に突き出た山であり、少なくても180度くらいは琵琶湖から出ないと攻め懸けられない城だった。そしてもう180度に防衛を固めればよかったのだ。京都から近く、守りやすい安土城、本当によくここを選んだと思う。
帰りは、残っている仏教建築を愛でながら駐車場まで戻ってくる。キリスト教の宣教師たちがよくやってくるというイメージであったが、やはり仏教も信長は大事にしたことを理解することができる。(まあ、伊勢長島や加賀の一向一揆殲滅、比叡山焼き討ち、本願寺僧兵との戦いなど結構仏教をベースにする一派との戦を行っているというイメージはあるが・・・。)
当時私は、日本百名城登城に向けて精力的に動いていた。過去(1995年ごろ)に一度ここに来たことがあったが写真を4枚しか取っていなかった。(デジカメが一般的に普及する以前で当時の私はミノルタの一眼フィルムカメラを使っていた、フィルム代現像代を考えると、一箇所の観光地では数枚しか撮ることができなかったのである。ちなみに、24枚撮りでコダックの一番安いフィルムで250円、現像代は1000円ほどした。デジカメと違って撮った瞬間に失敗だと思ってもやり直しはきかない・・・本当今のデジタルカメラは便利になったものだと思う。)、仕事の関係で個々の写真をたくさん使いたかったのである。したがってここにやってきたのだ。
この旅のその後は、南下し京都宇治、奈良平城京跡、唐招提寺、大台ケ原などを巡った。この時は大台ケ原は、残雪すさまじく駐車場付近の写真を数枚撮ったのみであった。大台ケ原駐車場から日出ヶ岳に到達したのは、2014年7月になってからであった・・・。
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する