3月30日(木)富山市を走るー考古資料館・安田城址・北代
- GPS
- --:--
- 距離
- 20.0km
- 登り
- 41m
- 下り
- 44m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2023年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
自転車
|
写真
感想
高山からひだ号でお昼過ぎに富山駅にでる。チャリを借りて、呉羽丘陵にある考古資料館に向かう。キツイ坂は最後だけだ。ここでは横穴墓に関する図録を買うのが主な目的だがついでに展示も見る。数年前に何度か見学したが多分展示内容はさほど変わってはいないがやはり全体的に新しくなっていると思われた。特に古墳時代のてんじは、一層充実したように見受けられるがどうなのかな?弥生時代から古墳時代への移り変わりがよくわかる地域だ。特に四隅突出型墳墓から古墳への移行期の様相、集落の状況など興味深い地域だ。また、小竹貝塚の人骨の、DNA解析などに関する展示もあった。これらの墳墓や古墳の一部は数年前に何度か訪ねたが今回は時間がなく、次の安田城址資料館までチャリをこいだ。
呉羽山丘陵にある考古資料館から婦負地区にある安田城址資料館に向かう。五キロくらい先だが、さほどの登りはない。現在では合併で富山市域に含まれている。呉羽山丘陵の続きが延々と続くが少し切れかけた頃に左折して安田城址資料館がある。安田城址は、現在ではほとんど何もないが平城であったらしく平坦な地形の場所にある。ここでは、富山市の近年の呉羽山丘陵に置ける発掘調査の報告展を開催しているのでそれを見に来たわけだ。展示はさほど多くなく、番神山横穴墓、明神山遺跡、黒崎種田遺跡などだ。
富山市考古資料館の職員の勧めで安田城址資料館の帰りに北代縄文館に立ち寄り石棒展を見学。はじめはドアを開けても展示がありそうに見えず受付に尋ねると一番奥に二本の大きな石棒といくつかの破片があるのだった。巨大な石棒が各地から集められたのかと期待したが、これだけ?と少々ガックリ😖?️辛い坂道を必死にペダルをこいでやって来てこれかよ??と少し残念に思ったが、隣の新聞記事のコピーを見ると何やら住宅地に忽然と姿を現したらしい。誰が何のためにどうやってこんな大きな石棒を住宅地のなかに置き去りにしたのか?誠に理解しがたいか、そんな世間を騒がせる事件があり、今回の展示となったようだ。
展示の解説では、婦中町田島地内の住宅地に置き去りにされた石棒は、全長81.9センチ、最大幅17.5センチで重量37キロ、幅が10センチを越えるものは大型石棒と呼ばれるらしい。並べて展示された妙川寺遺跡出土の石棒は推定94センチ、幅15センチて、先端部がない。これは凝灰岩質砂岩で田島地内のものは凝灰岩だ。
石棒は縄文時代前期かつ5ー6千年前、関東地方で出現し、瞬く間に北海道から九州まで分布が広がった。中期には北陸、中部、関東各地で大型化し、最大の北沢大石棒(長野県佐久穂町)は2.2メートルにも及ぶ。これは数年前に考古サークルのツアーで見たことがある。平坦地に立られていた。後期には小型化してやがて終焉を向かえる。呪術や祭祀のための第二の道具、祈りの道具とされる。生殖器型祭具とも立石の一種ともいわれ、住居内に配置されたりお墓に副葬された事例もあるらしい。焼かれて割れたものも少なくない。縄文人の心の動きを探るのも容易でない。石棒を拝んで富山駅に向かい帰宅の途についた。新幹線から見る北アルブス、鶴来、立山、また妙高山などの山並みに見とれながら東京に向かった。
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