祇園山と寺院めぐり【最高】【散策】鎌倉まつり
- GPS
- 03:00
- 距離
- 6.0km
- 登り
- 113m
- 下り
- 106m
コースタイム
天候 | 快晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2009年04月の天気図 |
アクセス | |
コース状況/ 危険箇所等 |
危険個所:特にないが、東勝寺跡から山道に入り東勝寺やぐらのそばを通り八雲神社までの区間は祇園山ハイキングコースといって崖もあるので、歩きやすい靴が無難。 鎌倉まつりの期間、鎌倉全体が大混雑するのを危惧していたが、寿福寺含め我らが回った寺はそれほど混んではいなかったし、祇園山ハイキングコースはとても空いていた。 ・4月の鎌倉まつり1週間くらいしか寿福寺境内は公開されない。 ・英勝寺のみどころ 1.周囲を山で囲まれた、竹林と書院、四季おりおりの花が咲く庭園 2.徳川頼房の建立の県重文の仏殿。「鐘楼、唐門、祠堂」は江戸初期の名建築 3.仏殿内の徳川家光寄進の阿弥陀三尊像 ・淨光明寺のみどころ 1.この寺の阿弥陀三尊像は鎌倉時代後期正安元年(1299)の作で素晴らしい仏であり、中世鎌倉地方彫刻の代表的作例。重文に指定されている 2.仏殿 本尊・阿弥陀三尊像を安置していたことから阿弥陀堂と呼ばれている。市文化財 3.冷泉為相の墓(藤原定家の孫で歌人、阿仏尼の子供)史跡 |
写真
感想
鎌倉五山のうち参詣していないのは北条政子が開基(創立者)の寿福寺のみ。この寺院は普段は公開されていないので、この寺院の境内を歩きたくて鎌倉まつりに行ってみた。以下はその感想。
鎌倉駅西口で待ち合わせ。西口をまっすぐ進み市役所前交差点を北に右折し、今小路を歩く。この通りには刀工正宗が住んでいたという。鎌倉はちみつ園や巽荒神を横目に見ながら扇が谷の地を歩く。八坂神社の隣が寿福寺である。鎌倉五山第3位の寺院で本尊は釈迦如来、開基(創立者)は北条政子、開山(初代住職)は栄西である。総門、中門、仏殿、庫裏(くり)、鐘楼などが建ち、境内裏手の墓地には、陸奥宗光、高浜虚子、大佛次郎などの墓があり、さらにその奥のやぐら(鎌倉地方特有の横穴式墓所)には、北条政子と源実朝の墓と伝わる五輪塔がある。
総門から中門までの参道は気持ちのよい道だが、中門から内側の境内は非公開だったため、裏山の墓地を見学。ところどころ切り立った崖が見え、地形を考えずに無理に墓地を造ったように思えなくもない。
すぐ北隣が英勝寺。太田道灌の屋敷跡とされているため(太田道灌マニアの)オヤジが詳しいようなので、案内してもらった。鎌倉に唯一現存する尼寺で、1634年に徳川家康の側室・お勝の局(道灌の子孫にあたる)が開基し、以後、歴代の尼が水戸徳川家から迎えられたことから「水戸様の尼寺」の名で呼ばれる。
今小路を南に戻り、踏切を渡り淨光明寺に向かう。ここは足利尊氏が中先代の乱の折、朝廷に謀反の意思がないことを示すため蟄居したといわれるが、蟄居場所の建物は今はないそうだ。覚賢塔という覚賢の墓がこの寺院の裏山にあるが、鎌倉まつりシーズンしか公開されていない。これは見ることができたが、この先に結構なハイキングコースがあるようだ。しかし今回は先が長いのでパス。
元きた道を少し戻り、南に向かい、川沿いに歩く。やや広めの道につきあたったら東の鶴岡八幡宮方面へ。八幡様の正面の道を歩き、宝戒寺にむかう。ここは北条執権の屋敷跡に足利尊氏が後醍醐天皇の命を受けて北条一族の成仏を願うために建立した寺で、別名、萩の寺ともいう。
この裏手の橋、滑川にかかる橋(宝戒橋?)から東勝寺橋を見てから、東勝寺橋を渡る。ここからが祇園山ハイキングコースで、有名な心霊スポット腹切りやぐらがある。確かに鬼気迫る雰囲気があった。長くいたくない。そのまま山道を登り、尾根を歩き続けると、すぐに見晴らし台に着く。見晴らし台からは海が見える。降りるとすぐに八雲神社である。ここから鎌倉駅はすぐ。鎌倉駅に戻り、江ノ電で電車を待つ間にオヤジがみんなに鎌倉コロッケをふるまった。おいしいが、空腹のためだからか?
そして我々は電車で稲村ヶ崎に向かった。
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