10歳児がばあちゃんとゆく歴史の寺と絶景古城・本城山
- GPS
- 04:41
- 距離
- 7.9km
- 登り
- 498m
- 下り
- 491m
コースタイム
- 山行
- 3:25
- 休憩
- 1:18
- 合計
- 4:43
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年01月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
2024年の登り初めは快晴の高賀山。最高だったわけだけれど、岐阜ステイと冬の快晴はまだ続く。そこまでガチではないけれど眺めのいい山、ということでばあちゃんに紹介してもらったのが「本城山」。
岐阜(つまりは美濃国・飛騨国)でもっとも古いお寺で、開山は5世紀前半の仁徳天皇の時代。創建したのが両面宿儺という、もはや神話レベルの寺院「日龍峯寺」の奥にこの山はある。歴史的にど田舎であり続けた東国と違い、西国にはそこかしこにこういうスーパー歴史系が存在するので油断ができない。
まずは日龍峯寺の駐車場に車をとめて、トイレをすませてお寺に向かう。年季の入った鐘楼で鐘をつかせてもらって息子さん大満足。その近くにはこの寺を再建した北条政子が建てたという多宝塔。お寺のどこかには源頼朝の分骨もあるという。歴史のテーマパークかよ。
美濃清水、の異名をとる本堂、その裏手によき清水がありまずは飲んでみる。うまい。そのまた別の裏手に抜けて、そこが登山道。本日の山登り、スタート。
この日龍峯寺、別名高澤観音に参拝するための古道が「高澤古道」。関市と美濃市の境にある見坂峠から続くこの道を逆にたどってゆく。古道は長年の参拝客によって踏み固められていて、そうとう歩きやすい。
そんないい道からそれて、ヤブみたいな急登に突入してまず最初の山、高沢山に向かう。無理やり感のある登りを過ぎると小規模な尾根に出た。この尾根を少し進むと、北方面に視界の開けたなかなかの展望台に到着。白山がよく見える、おとといぶりですこんにちは。
ん? そういえば山頂は? と思ったら、「尾根に出た」ところだったっぽい。いちおう引き返して写真だけとっておく。
高澤古道に戻る。小さな築山のようなところがあり、速攻登る息子さん。
古道はよく踏み固められていて、アップダウンもあまりない。気持ちよく歩いていると見晴台があった。三重の方面がよく見えて気持ちがいい。
しばらく行くともうひとつの見晴台、こちらは木々が茂ってしまいもはや見晴らせない。そして古道とわかれて大仏山を目指す。
古道とはうってかわって、トレースのやや薄い道。見晴らしのよいところに出たあたりで12時になり、正確すぎる息子の腹時計が大きく鳴る。ちょいとひと休みしてオヤツタイム。
薄めのトレースを上がっていくと、ほどなく大仏山。ダイブツではなくおおぼとけ、だそうだ。眺望などはとくにない山中のゆったりピークである。
そのまま大仏山をおりていく。トレースはさらに薄い。なんとなく、ここをまた帰りに通るのはいやだなと思った。
坂をおりきったところから、小野城の遺構が始まる。土塁や竪堀が次々と現れる。道はかなりしっかりしている。
大きな段々になっている曲輪たちを縫うように急登の道をあがってゆく。正直、ここの登りはキツい。まるで意に介さずスタスタ登る息子さん、残り100mほどのところで完全に置いていかれた。
それにしてもこの曲輪群、相当大規模だ。武田信玄生誕の地とされる要害山を思わせる。山の中に街がひとつあるような感じだったのだろうか。
急登をのぼり詰めると、突然視界が開ける。青空の中に飛び出た岩があり、そのてっぺんに座って息子が景色を見ている。本城山に登ったよ。ほどなく妻とばあちゃんも到着。おつかれさまでした。
岩の上からの眺望は、見事の一言。広く遠く見渡せて、美濃国がぜんぶ見えてしまいそう。こんな景色と冬の澄んだ青空の下、お昼ごはんをいただきます。大好物であるばあちゃんのおにぎりに猛獣のようにかぶりつく息子さん。
この小野城、築城が大永年間(1520年代)と500年ほども昔。武田信玄も織田信長もいない頃のこと。城主は斎藤八郎左衛門宗雄(利直、宗久)、美濃国守護土岐氏の内紛に際して土岐頼純に与したという。それはつまり土岐頼芸と若き斎藤道三(当時は長井新九郎規秀)との対立を意味して……
と、山頂にある説明板をはじめいろいろな情報をまとめてみるものの、わからないことがあまりにも多い。斎藤宗雄(そうゆう)さんも美濃守護代の斎藤家と関係があるのかどうかも出てこない。ただ最近、実在すら確定していなかった彼の使っていた太刀が関市で発見されて、ようやく彼の存在が確実になったという。小野山合戦を経て城が廃城になったあと、彼はふもとで農民たちとともに生きていったそうな。
これほどの規模の城を維持するだけでも大変、衛兵だけでかなりの人数が必要だっただろう。それが大大名ではなく今ではあまりその姿が伝わっていない城主によって営まれていた、というのはかなり不思議なことだと思う。あまりにも顧みられていないのも残念。謎に包まれた大城郭、もっと研究が進むといいなと思う。
さておりていこう。井戸跡を見たあと、石垣が残っているというので見に行く。美濃方面が見渡せるよき見晴台に、見事な石垣が残っていた。これほど顧みられていないのに、500年もしっかり崩れずきれいな石組みが残っている。ちょっとこれは感動的。
やや細いトラバース道を抜けてメインルートに戻り、分岐を藤谷集落のほうに進む。柴っぽい大仏山を通るのは気が引けるし、ピストンより周回のほうが楽しいだろう。
それなりにしっかりした登山道をおりていく。息子はブッ飛ばすのでなんとかついていく、妻とばあちゃんはゆっくり来てください。視界が開けて神社が登場、ここで山道は終わりのどかな農村になった。少し待って妻とばあちゃんと合流、集落の道路を進む。こっちのルート、距離的にはちょっと遠回りである。
藤谷の集落のところで左ななめ後ろに曲がり、進んでいくと谷のつきあたりに出た。ここからまた山道、尾根をひとつ乗り越える。イノシシの頭蓋骨が木にひっかけてあった。
最後の最後にちょいとキツめの登り。なんとか乗り切ると廃旅館があり、さらに行くと高澤観音に続く階段に出た。あとは駐車場に戻り、今日の山登りはおしまい。
軽いハイキングかと思いきや、わりとヘビーな歴史と長歩きの旅になった。岐阜はやはり懐が深い。
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