城山_初詣ハイキング
- GPS
- 03:03
- 距離
- 6.2km
- 登り
- 373m
- 下り
- 359m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年01月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
|
写真
感想
2024年初めてのハイキング、久しぶりに日出の城山に登って帰路横津神社を訪れる。一昨年の秋以来だ。
暘谷駅に降りると、岩混じりの尾根がよく見える。街並みを適宜確認しながら登り口を目指して進行。
最初は石鎚神社。近づくにつれ付近から話し声が聞こえる。岩を打つような音も。岩壁を登っているのだろうか?登る途中の道からも人影が見えたが。
その後尾根を登って岩壁頂上に。気になっていた奥之院の石祠を確認。屋根のずれが拡がっているのかと気になっている。何もできない自分が情けない気もするが。
その後城山山頂に。尾根の直登の踏み跡には赤テープが増えているような気がした。ここで始めて両手にストックを出して登る。ストックがないとかなり足が滑った。
下山路は予定通り横津神社へ。本殿に太鼓が設置されていることを始めて確認。登城太鼓ということで叩かして貰った。その後暘谷駅に。暘谷駅周辺道路端には、まだ初詣・横津神社の赤い旗が立ち並んでいた。
今回の行動、出会ったのは石鎚神社手前の道路でランニングをしていた一人だけ、静かな山行を楽しめた。
横津神社を訪れたことはヤマレコ記録によれば以下の通りだった。22/11/28, 22/04/08, 21/01/16, 21/01/14, 19/05/02, 17/02/19。
他に正月に自転車で日出から国東半島周辺の神社を巡った機会があったことが記憶に残っている。その時には横津神社参拝時に缶入りの甘酒を貰った覚えがある。当時は初詣客がいたせいか登城太鼓の存在には気づかなかった。
今年の元旦登る日の出を付近の海岸線から見ていたが、改めて横津神社では鳥居を通して参道から水平線を登る日の出が見られるの話を聞いたことを思い出した。
時間的には早朝のJRで訪れることも可能だと改めて確認できた。また昨年には元旦の周辺域の記録もあった。
…
【石鎚神社】
お参りしたら、御神酒と御餅はセルフでした(^◇^;
朝なんで御神酒は一杯だけいただいたけど、今年もイッパイ飲めますように〜(^人^)
別府湾照らす初日は城山テラスで☀ 2023年01月01日(日) [日帰り]
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-5045772.html
…
機会があれば、横津神社での日の出見学・登城太鼓、石鎚神社での御神酒などに挑戦したい(覚えていればだが)。
横津神社を改めて確認すると以下のように記載されていた。
町の北側の城山に町を見下ろすように建っている横津神社の祭神は、名君の誉れ高い日出藩三代藩主・木下俊長(としなが)です。俊長は69歳で没する前日に遺言を残し、遺体を横津に葬り儒葬で行うよう言い渡したそうです。このお墓は明治3年まで横津御廟といわれ、それ以後は神社とされました。
https://hijinavi.com/spots/detail/13
思い出したのが九重連山南面を降りた時に訪れた入山公廟、岡藩の領地が見渡せるところにあった。
確認すると、祭られている中川久清も岡藩中川家の礎を固めた「三代目」、大船山を背景に儒教の形式でお墓が営まれ廃仏毀釈で入山神社が麓に営まれ、今日は来田見神社となっているそうです
入山公廟(中川家墓所)
http://tomahawk.fc2web.com/taisenzan2/nyuuzann_koubyou.html
領主が自分の治めた領地を実態として確認し続ける風習は儒教の精神としての良い部分なのであろう。
儒教といえばかつて日出城跡の一部にあった致道館でボランティアの方から、日出藩は幕末にこの藩校で多くの子弟を教育したとの説明を聞いたことを思い出した。当時幕末期の各藩の行動に興味を持っていたのでどのような教育ですかと尋ねたところちょっと考えて儒学ですと答えたので、激動の時代に今更ながら儒学かと奇異に感じたものです。確認すると、致道館は安政5(1858)年日出藩主15代木下俊程(きのしたとしのり)の命により日出城二ノ丸に創立された日出藩の藩校で、俊程は藩子弟の不学を目にし、これを改めるため藩校の創立を決意したといわれているそうです。致道館では、8歳以上の子弟に読書・習礼、後に漢学を課し、また、学芸を習練させ、学神として孔子を仰ぎました。藩主自ら講義を行うこともあったようです。明治時代を迎え、日出藩の廃藩とともに致道館は閉校となったようです。
日出藩校致道館(ちどうかん)
https://www.town.hiji.lg.jp/gyoseijoho/shisetsuannai/shiryokan_kinenkan/916.html
安政元年(1854)は日米和親条約が結ばれた年、当時の激動の幕末期にこそ子弟教育を行うことも重要かもしれません。
日出では帆足萬里(1778〜1852)が有名で、日出城からつづく山並みの中腹に当時の塾跡があり訪れたものです。確認すると以下のようです。
天保3年(1832)、13代藩主・木下俊敦に請われて家老職につき、藩財政の再建にも功績を残しました。天保13年(1842)には私塾「西崦精舎(せいえんせいしゃ)」を開き、多くの子弟を教育しました。
豊後三賢のひとり
https://hijinavi.com/hiji/hoashi-banri
日出地域は帆足萬里も含む儒学教育の伝統が横津御廟として明治初期まで身近だった気がします。今回の山行で通過した石鎚神社奥・岩尾根下部の見慣れない石棺(写真)前面の建物基礎跡も儒学文化の影響かもしれないと考え始めたところです。
これからはさらに勝手な想像・妄想です。
昨年の夏たまたま中津を訪れ中津城を中心に城下を散策がてら【福澤諭吉旧居・記念館】を見学する機会がありました。
https://fukuzawakyukyo.com
記念館で福沢諭吉に関わる資料を見て知ったことは、彼が慶應大学設立で目指した実学とは、儒教に対立する学問であることでした。
今まで実学については、高度な専門学校的な学問のイメージを持っていましたが、福沢諭吉が下級武士であったことも考え合わせると、実学とは身分制度と密接に結びついた儒教に代表される学問の倫理体系への挑戦だったのかもしれません。
豊前中津藩は『解体新書』の翻訳者・蘭学者・前野良沢(享保8年(1723年) - 享和3年10月17日(1803年11月30日))の出身藩でした。豊前は長崎にも近くかつて大友氏の栄えた豊後地域と共に、蘭学が盛んだったと勝手に考え、儒教から蘭学に一部取って代わったものと考えていましたが、全体の流れを全く理解していなかったと感じています。
コメント
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こんにちは。レコ楽しく拝見しました。
昔佐賀に住んでいたとき、国東から杵築や日出の城下町を見ながら別府へ移動したこと思い出しました。
多分、江戸時代を通じて国替のなかったところとして町並みなどに独特の風土と景観があるのかといった興味があったのだろうと思います。
その時、日出藩の木下家墓所のある松屋寺の大蘇鉄をみた気がします。
また、鏝絵といえば、伊豆の長八が有名で、以前東伊豆の松崎を訪れたことがありますが、日出にもたくさん残っていると聞いています。
機会あったら探訪して見てはいかがでしょう。
「国替のなかったところ」の影響については、考えても見ませんでした。国がえに発奮した領主が新たな特産物などを通して経済基盤を整えたなどの印象がありましたが、長く続いた藩にはそれなりの文化的に優位な側面もあるのかもしれません。
鏝絵は日出港付近の民家の土壁にしばしば残されていました。自転車で見て回った記憶があります。伊豆の長八が江戸にいた時にその弟子になった職人が大分に伝えたと聞いたことがあります。大分県の太平洋戦争空襲被害は大分平野が大きかったので、大分平野以外の小さな城下町には残されているのかもしれません。
中津・日田を結ぶ耶馬溪から山一つ隔てて日出よりの安心院町には大きな鏝絵がありました。スッポン料理が有名なので機会があれば再訪したいと思っています。公共交通の利用ではバスでのアクセスですが、現在かなり大回りになってしまう路線しか残っていないので躊躇しています。
有名な料亭もありますが、JRからバスを利用したアクセスは記載されていない状況です。
https://www.suppon-yamasa.jp
ところで文藝春秋 2024年2月号に藤原正彦が「私の代表的日本人・福沢諭吉」を寄稿していました。諭吉の父は帆足萬里に儒学を学び中津藩大阪詰の米を取り扱う下級武士で儒学者にも匹敵する知識があったことなどを含め諭吉などを含めた当時の環境がよく理解できました。
必ずしも正確であるかなどはともかく、彼が西洋の技術を実際に目にしながら、その社会的背景にむしる興味を惹かれたことが記載されていました。さすが藤原正彦でしょうか、非常にわかりやすい論考でした。例えばWikipediaで以下のように記載されている事項も彼の感じた背景が小説として十分に納得できました。
....
アメリカでは、科学分野に関しては書物によって既知の事柄も多かったが、文化の違いに関しては諭吉はさまざまに衝撃を受けた、という。たとえば、日本では徳川家康など君主の子孫がどうなったかを知らない者などいないのに対して、アメリカ国民が初代大統領ジョージ・ワシントンの子孫が現在どうしているかということをほとんど知らないということについて不思議に思ったことなどを書き残している
....
https://ja.wikipedia.org/wiki/福澤諭吉
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