前夜の宿の洗面所。浴室の扉が完全な一枚ガラスドアです。解っていてもぶつかりそうになります。
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3/7 3:23
前夜の宿の洗面所。浴室の扉が完全な一枚ガラスドアです。解っていてもぶつかりそうになります。
東温市に入りました。
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3/7 4:35
東温市に入りました。
松山が俳句の町を実感する句碑がボチボチ
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3/7 6:17
松山が俳句の町を実感する句碑がボチボチ
山に向かって進みます。
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3/7 6:18
山に向かって進みます。
”桜三里”
この時は、なんと魅力的なネーミングと期待していました。
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3/7 6:42
”桜三里”
この時は、なんと魅力的なネーミングと期待していました。
きっと石鎚山だろう。
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3/7 6:46
きっと石鎚山だろう。
道前道後第三発電所。
前と後はあっても、”道”はどこにあるのか?
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3/7 7:44
道前道後第三発電所。
前と後はあっても、”道”はどこにあるのか?
西条市です。
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3/7 7:50
西条市です。
路側帯が狭い。しかも水平でなく用水路に水が流れやすいように歪に傾いている。
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3/7 8:14
路側帯が狭い。しかも水平でなく用水路に水が流れやすいように歪に傾いている。
川沿いは桟道が設置されていて快適です。
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3/7 8:38
川沿いは桟道が設置されていて快適です。
”道後”は有名だが、”道前”もある。
一体”道”はどこで、何なんだ。
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3/7 9:01
”道後”は有名だが、”道前”もある。
一体”道”はどこで、何なんだ。
ここは四国遍路で宿泊した宿です。東温市が赤線で繋がりました。以前は国道を挟んでセブン??と言う好きでないコンビニがあったように思う。今回は広い駐車場になっていた。
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3/7 10:09
ここは四国遍路で宿泊した宿です。東温市が赤線で繋がりました。以前は国道を挟んでセブン??と言う好きでないコンビニがあったように思う。今回は広い駐車場になっていた。
懐かしい遍路道案内
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3/7 11:16
懐かしい遍路道案内
三嶋神社は四国の瀬戸内側でよく見かけます。
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3/7 11:18
三嶋神社は四国の瀬戸内側でよく見かけます。
石鎚山登山口。頂上は雪をかぶっていました。
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3/7 11:28
石鎚山登山口。頂上は雪をかぶっていました。
伊予小松駅到着。ここからは赤線が繋がっているので、今治駅まで電車で移動します。
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3/7 11:28
伊予小松駅到着。ここからは赤線が繋がっているので、今治駅まで電車で移動します。
今治駅です。ここから僅かですが今治港まで歩きます。
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3/7 12:59
今治駅です。ここから僅かですが今治港まで歩きます。
雲に乗る猿飛佐助。
石鎚山系にある猿飛橋から名前を得た架空の人物だそうです。作者の故郷が今治出身で、ここに像が建てられたようです。
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3/7 13:00
雲に乗る猿飛佐助。
石鎚山系にある猿飛橋から名前を得た架空の人物だそうです。作者の故郷が今治出身で、ここに像が建てられたようです。
土曜日と言うのに、立派なアーケードも閑散としています。2009年10月4日にはもっと賑わっていたのですが、淋しい限りです。
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3/7 13:09
土曜日と言うのに、立派なアーケードも閑散としています。2009年10月4日にはもっと賑わっていたのですが、淋しい限りです。
殆ど9割はシャッターが降りています。
かって釧路の衰退に驚いたことがありますが、ここも同じくらい驚きました。
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3/7 13:12
殆ど9割はシャッターが降りています。
かって釧路の衰退に驚いたことがありますが、ここも同じくらい驚きました。
島に渡るので、用心のため少しパンや菓子を購入しようとしましたが、港近くには開店している店はありません。結局、駅前のコンビニまで戻りました。
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3/7 13:16
島に渡るので、用心のため少しパンや菓子を購入しようとしましたが、港近くには開店している店はありません。結局、駅前のコンビニまで戻りました。
岡村、小大下、大下などの地名を見ると2016年7月に”とびしま海道”を歩いたことが懐かしく思われます。
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3/7 14:02
岡村、小大下、大下などの地名を見ると2016年7月に”とびしま海道”を歩いたことが懐かしく思われます。
徳富蘆花が今治に滞在していた時期があるようです。
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3/7 14:05
徳富蘆花が今治に滞在していた時期があるようです。
船を模したのだろうか。みなと交流センター
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3/7 14:06
船を模したのだろうか。みなと交流センター
しまなみ海道の橋が見えます。2009年10月4日にウオーキング大会に参加して歩きました。
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3/7 14:07
しまなみ海道の橋が見えます。2009年10月4日にウオーキング大会に参加して歩きました。
これで岩城島まで渡り、”ゆめしま海道”を歩きます。
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3/7 14:14
これで岩城島まで渡り、”ゆめしま海道”を歩きます。
海上保安庁の巡視船で黄色いベストの乗組員が忙しく行動しています。
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3/7 14:28
海上保安庁の巡視船で黄色いベストの乗組員が忙しく行動しています。
岩城島に到着です。四国の赤線繋ぎで愛媛県最後いや四国最後の市町村となる上島町に上陸です。
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3/7 15:34
岩城島に到着です。四国の赤線繋ぎで愛媛県最後いや四国最後の市町村となる上島町に上陸です。
岩城港センター
”かみじま”OR”うえじま” 何度確認しても判らなく記憶障害です。
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3/7 15:35
岩城港センター
”かみじま”OR”うえじま” 何度確認しても判らなく記憶障害です。
島特有の路地を抜けたら、今夜の宿がありました。
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3/7 15:41
島特有の路地を抜けたら、今夜の宿がありました。
反対方向からくれば、分かりやすかった。
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3/7 15:42
反対方向からくれば、分かりやすかった。
岩城島の島遍路は立派な感じがします。
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3/8 7:40
岩城島の島遍路は立派な感じがします。
岩城島丘陵には岩城古城跡と亀山城跡があります。
「村上さん」と呼ばれる祠があることから古城は村上水軍の城だったようです。
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3/8 7:44
岩城島丘陵には岩城古城跡と亀山城跡があります。
「村上さん」と呼ばれる祠があることから古城は村上水軍の城だったようです。
昇り過ぎた日の出
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3/8 7:45
昇り過ぎた日の出
岩城漁港
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3/8 7:47
岩城漁港
瀬戸内の島で『加納』とは珍しい。
今治港で食料を購入できず駅前まで戻ったが、無駄だった。岩城島港のそばにAコープやこのような小さな商店があった。
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3/8 7:48
瀬戸内の島で『加納』とは珍しい。
今治港で食料を購入できず駅前まで戻ったが、無駄だった。岩城島港のそばにAコープやこのような小さな商店があった。
石仏だけの島四国。
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3/8 8:02
石仏だけの島四国。
岩城橋。
これの完成により、生名島と岩城島が陸続きとなり、ゆめしま海道が誕生しました。
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3/8 8:10
岩城橋。
これの完成により、生名島と岩城島が陸続きとなり、ゆめしま海道が誕生しました。
道路脇には”ゆめしま海道いきなマラソン”の幟が目立ちます。
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3/8 8:11
道路脇には”ゆめしま海道いきなマラソン”の幟が目立ちます。
壮観です。中央の山は岩城島の積善山と思われます。
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3/8 8:19
壮観です。中央の山は岩城島の積善山と思われます。
この界隈のチョットした島には造船関連の仕事場があります。
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3/8 8:19
この界隈のチョットした島には造船関連の仕事場があります。
佐島に向かいます。関東では殆ど見なくなったコンビニのポプラですが、四国本土でも全く見かけませんでした。このポプラが四国唯一の店舗と思われます。ポプラ健在です。2023年4月山口県の離島見島でポプラに出会った時は驚きました。辺境地で頑張るコンビニは応援したいです。顧客より物流など利益を過剰優先するセブン某は嫌いです。
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3/8 8:49
佐島に向かいます。関東では殆ど見なくなったコンビニのポプラですが、四国本土でも全く見かけませんでした。このポプラが四国唯一の店舗と思われます。ポプラ健在です。2023年4月山口県の離島見島でポプラに出会った時は驚きました。辺境地で頑張るコンビニは応援したいです。顧客より物流など利益を過剰優先するセブン某は嫌いです。
島々の港の傍にあるバス停は生名港務所のように、”港務所”が付くことが多いようです。本土でいう”バスターミナル”や”バスセンター”の感じでしょう。
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3/8 8:51
島々の港の傍にあるバス停は生名港務所のように、”港務所”が付くことが多いようです。本土でいう”バスターミナル”や”バスセンター”の感じでしょう。
今度の日曜日がマラソン大会のようです。
”優しい顔してハードだよ”
景色は良くても橋の勾配は相当に厳しい筈です。
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3/8 9:06
今度の日曜日がマラソン大会のようです。
”優しい顔してハードだよ”
景色は良くても橋の勾配は相当に厳しい筈です。
生名橋で佐島に渡ります。
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3/8 9:08
生名橋で佐島に渡ります。
正面は赤穂根島でしょう。
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3/8 9:11
正面は赤穂根島でしょう。
ゆめしま海道の碑が立っています。
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3/8 9:26
ゆめしま海道の碑が立っています。
弓削大橋が見えてきました。
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3/8 9:27
弓削大橋が見えてきました。
正面は弓削港のようです。と言うことは山は『古法皇山』でしょう。弓削の道鏡は河内の弓削郷出身だが、同じ名前の弓削島には道鏡伝説が伝わるそうです。
古法皇山や狩尾がそうです。
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正面は弓削港のようです。と言うことは山は『古法皇山』でしょう。弓削の道鏡は河内の弓削郷出身だが、同じ名前の弓削島には道鏡伝説が伝わるそうです。
古法皇山や狩尾がそうです。
弓削大橋です。
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3/8 9:31
弓削大橋です。
遠くに見える島々は今治市の明神島、美濃島だろう。
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3/8 9:37
遠くに見える島々は今治市の明神島、美濃島だろう。
弓削商船高専。瀬戸内海は商船高専が2つ。
あと一つは、大崎上島にある広島商船高専です。
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3/8 9:44
弓削商船高専。瀬戸内海は商船高専が2つ。
あと一つは、大崎上島にある広島商船高専です。
”土生”と書いて”はぶ”と読む。難読地名です。
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3/8 9:47
”土生”と書いて”はぶ”と読む。難読地名です。
弓削大橋と弓削商船高専の実習船係留地
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3/8 9:53
弓削大橋と弓削商船高専の実習船係留地
上島町役場
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3/8 10:01
上島町役場
大山積大明神扁額由緒地
藤原佐理(スケマサ)卿漂着之浜
平安時代の三蹟の一人である藤原佐理が都への帰任途中に嵐に遭った。その時、大山積大明神の扁額を書けと神託があったそうです。それに従ったら無事に京都に戻れたと言うことらしい。
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3/8 10:29
大山積大明神扁額由緒地
藤原佐理(スケマサ)卿漂着之浜
平安時代の三蹟の一人である藤原佐理が都への帰任途中に嵐に遭った。その時、大山積大明神の扁額を書けと神託があったそうです。それに従ったら無事に京都に戻れたと言うことらしい。
弓削島にも島四国がありました。
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3/8 10:42
弓削島にも島四国がありました。
上弓削港に到着です。
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3/8 10:54
上弓削港に到着です。
港々にお好み焼き屋がありました。
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3/8 10:58
港々にお好み焼き屋がありました。
家老渡しの船が戻ってきました。
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3/8 11:08
家老渡しの船が戻ってきました。
客室はこれと同じと思われるものが反対側にもあります。この時は、この部屋に私一人でした。
フェリーの人は車に乗車したままのようです。
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3/8 11:12
客室はこれと同じと思われるものが反対側にもあります。この時は、この部屋に私一人でした。
フェリーの人は車に乗車したままのようです。
家老渡に到着しましたが、料金の徴収にも来ませんし、下船通路にも人影が無いので、船に置いてきました。
100円硬貨一枚なので気付いてくれるか心配です。
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3/8 11:21
家老渡に到着しましたが、料金の徴収にも来ませんし、下船通路にも人影が無いので、船に置いてきました。
100円硬貨一枚なので気付いてくれるか心配です。
日立造船関連の社宅/寮と思われます。
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3/8 11:24
日立造船関連の社宅/寮と思われます。
家老渡フェリー汽船の自宅兼事務所かもしれません。
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3/8 11:32
家老渡フェリー汽船の自宅兼事務所かもしれません。
社名はいろいろ変わっていても日立造船グループだと思います。
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3/8 11:35
社名はいろいろ変わっていても日立造船グループだと思います。
フェンス越しにサンフラワー号がドッグ入りしているのが見えました。
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3/8 11:39
フェンス越しにサンフラワー号がドッグ入りしているのが見えました。
因島は大きな島なので島四国の札所も立派です。
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3/8 11:40
因島は大きな島なので島四国の札所も立派です。
これはどんな用途に使われる船舶だろうか?
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3/8 11:43
これはどんな用途に使われる船舶だろうか?
土生港ターミナルです。
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3/8 11:56
土生港ターミナルです。
私の同級生は生名島出身だが、生まれたのは因島だと言っていました。今でも近在の島の住民は因島でなければ出産できないと思われます。
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3/8 11:58
私の同級生は生名島出身だが、生まれたのは因島だと言っていました。今でも近在の島の住民は因島でなければ出産できないと思われます。
正面が因島大橋です。2009年10月3日、前方から歩いてきて、橋を潜り、この地点から因島大橋への取り付け道路を上りました。無事に四国全市町村と本州が赤線で繋がりました。
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3/8 12:53
正面が因島大橋です。2009年10月3日、前方から歩いてきて、橋を潜り、この地点から因島大橋への取り付け道路を上りました。無事に四国全市町村と本州が赤線で繋がりました。
ここ金山バス停から尾道駅までバスで戻ります。
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3/8 13:42
ここ金山バス停から尾道駅までバスで戻ります。
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