福山 <岡山のヤマ友とWAIWAI GAYAGAYA😁>


- GPS
- 05:33
- 距離
- 7.4km
- 登り
- 471m
- 下り
- 474m
コースタイム
天候 | 曇りじゃが、良い天気(^O^) |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年06月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
文句なし👍 ただし、分岐が多いけえ GPSあった方がエエよ🔎 |
写真
感想
<「福山」山頂の案内より>
『 湊川決戦一週間前 備中福山合戦
海抜三百二米のこの福山は往古 神奈備(カンナンビ)山 加佐米山 百射(モモテ)山とか言われたが、山岳佛教が栄えた奈良平安期 報恩大師が頂上に福山寺及び十二坊を建て 伽藍(ガラン)が全山に並び繁栄を極め 福山と呼ばれるようになった。
後醍醐天皇念願の親政が復活したが建武中興に加わった足利尊氏が論功行賞に忿懣(フンマン)を抱き天皇支持勢力の新田義貞、楠木正成等と対立した。この結果、尊氏(タカウジ)勢が九州へ敗走し軍勢を立て直して再び京都を目指し東上を開始した。
福山合戦はその途上の延元元(1336)年五月におこった。
足利直(タダ)義十六日目 朝原峠より攻撃を開始したが、城兵撃退す。十七日 四方より総攻撃をかけ城兵は 石火矢、岩石落し、弓矢にて二万餘の死傷者を出したが 新手入り変り立ち変り遂に乱入され火をかけられ落城となった。大井田氏經一千騎引連れ山下の直(タダ)義の本陣になぐり込み奮戦したが、味方は百騎程になり 山上は火の海、氏經はこれ迠と部下を集め三石の本陣に加わらんと一方切り破り逃れた福山落城後 直義は敗走する氏經を追い板倉より辛川まで十余度交戦を続け三石城へ逃れ去った。
直義は足利勢を爰(ここ)で休養させ首実験をして戦攻を賞した。討首千三百五十三を数えたという。』
足利尊氏といえば。。「いざ見よ(1334年) 建武の新政だ💪」と、室町幕府:初代 征夷大将軍として覚えとるが、勝っても負けても血生臭い時代・・・😱
わしらって幸せな時代に生きとるんじゃのう。。
コメント
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岡山ケンミン,ちょっと前までスカしたヤツが多いと不評でしたが,そうでもなさそうで安心?しました。広島の日陰でしたが,最近は岡山出身の某お笑い芸人をはじめ,だいぶ市民権を得ている感じ。
マッチョな人もトレーニングする福山,この時期に行ったら会えるのでしょうか?地元ですが,改めて福山かいわいエエとこだと知らされました。
この日の1シーン:(事前にヤマ友がヤマ友に「福山」案内を依頼してくれてた様🙏)
(山頂にて)「ワレイでWC済ませて、ハチジョウからミョウケン登って下って、コウヤマ行ってアレするか〜❓」「登るのイヤならハチジョウまでにして、コウヤマ降りてアレ🔥する❓」ってコトでこのルートになった様です(笑)
追:多分、ヤマップさんの誰かがレコ上げてると思われます😁
ボディービルダー💪さんは、次の大会勝ったらラスベガスって言ってましたよ〜💨
福山:道路脇Pは下山時、超満車っ😲 なんちゃって日の出が顔を出した時、大歓声が上がってました\(^o^)/
山ってこんな楽しみ方もあるのですね。最近色々学びますわ(笑)
🍓苺ショートには意表を突かれましたがっ(笑) 実は中身を知らず、運搬手伝いしました('ω')ノ
アレも1ヶ月切りましたね〜 多分、2024一番の「お楽しみ」じゃけえ、密かにWAKUWAKUしてますよ🤗
天気が一番の気がかりです🔎
梅雨入り前に足繫く山に通っているのはアレの準備でもあります(^_-)-☆
どうかどうか晴れますように(>▽<)💦
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