柳之御所遺跡~平泉世界遺産ガイダンスセンター~無量光院跡~高舘義経堂~中尊寺金色堂~白山神社~平泉ウォーキングトレイル~毛越寺~観自在王院跡~金鶏山~平泉温泉
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- GPS
- 07:27
- 距離
- 12.5km
- 登り
- 239m
- 下り
- 239m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年07月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
|
写真
感想
平泉日帰り周回ルート
「そうだ、中尊寺に行こう❗️」
と急に思い立ち、新幹線に乗って平泉の中尊寺へ。
中尊寺金色堂は建立900年記念、
巨大仏教都市の平泉は世界遺産登録10周年記念なんですね。
知らないで来たとはいえ、なんとまぁツイテること。
奥州藤原氏初代清衡公は、東北地方に長く続いた戦乱で亡くなった生きとし生きるもの全ての霊に心を痛め、敵味方の区別なく、慰めようということで、みちのくという辺境の地に「浄土」を建設しようとした、これが中尊寺建立の趣旨である。
しかし、奥州藤原氏は、4代目において源頼朝によって滅ぼされてしまいます。
頼朝は、戦では藤原氏を打ち負かしたとはいえ、藤原氏4代百年に渡る気高い平和的思想と崇高な仏教文化を目の前にして何を思ったのでしょうか…
金色堂は、雰囲気が良いところで、入り口の写真を撮ったら、シャワーのような虹色の光が現れました。
毛越寺も、浄土庭園が素晴らしかったです。
しかし、毛越寺は、往時には堂塔40僧坊500人もいて、中尊寺を凌ぐほどの規模だったとか。
奥州藤原氏滅亡後は、度重なる災禍で結局、全ての建物が全焼してしまうのですが、燃える前の毛越寺は、さぞかし豪華絢爛だったことでしょう。
奥州藤原氏滅亡後500年目の1689年、松尾芭蕉は、曾良と一緒に「奥の細道」の旅に出て次の句を残します。
夏草や 兵どもが 夢の跡
五月雨の 振り残してや 光堂
(光堂とは金色堂のことです。)
午前中は29℃、午後は31℃と、東京と比べて温度はやや低かったですが、それでも長く歩いていると大汗をかいたので、帰りは、平泉温泉に立ち寄りました。熱くていい温泉でした。
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