記録ID: 7391126
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ハイキング
日光・那須・筑波
唐沢山神社
2024年10月21日(月) [日帰り]
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- GPS
- 03:25
- 距離
- 14.3km
- 登り
- 252m
- 下り
- 252m
コースタイム
過去天気図(気象庁) | 2024年10月の天気図 |
---|---|
アクセス |
写真
下毛野安蘇の河原よ石踏まず空ゆと来ぬよ汝が心告れー万葉集
(巻第14 3425)
3425の「安蘇の川原」は栃木県佐野市を流れ、渡良瀬川に合流する秋山川。「川原よ」の「よ」および「空ゆと」の「ゆ」は、いずれも、〜を通っての意。なお、別の歌(3404)では上つ毛野の安蘇となっているのに対し、こちらは下つ毛野の安蘇となっていますが、水島義治『校註 万葉集東歌・防人歌』によれば、「上野国と隣接する下野国の足利、安蘇の二郡のあたりは渡良瀬川の流水変遷により、その所属に異動があったか、あるいは安蘇郡はもともと両国に跨って呼ばれたものであろう」と説明されています。
(巻第14 3425)
3425の「安蘇の川原」は栃木県佐野市を流れ、渡良瀬川に合流する秋山川。「川原よ」の「よ」および「空ゆと」の「ゆ」は、いずれも、〜を通っての意。なお、別の歌(3404)では上つ毛野の安蘇となっているのに対し、こちらは下つ毛野の安蘇となっていますが、水島義治『校註 万葉集東歌・防人歌』によれば、「上野国と隣接する下野国の足利、安蘇の二郡のあたりは渡良瀬川の流水変遷により、その所属に異動があったか、あるいは安蘇郡はもともと両国に跨って呼ばれたものであろう」と説明されています。
唐沢山神社
「むかで退治」の伝説でも名を知られる藤原秀郷(田原藤太秀郷)の子孫の佐野氏が築城した山城です。戦国時代末期の堅牢な高石垣が残る東日本では数少ない城跡です。秀郷公が祀った唐澤山神社がある本丸跡や南城跡の石垣の一部は当時の姿を残しています。
「むかで退治」の伝説でも名を知られる藤原秀郷(田原藤太秀郷)の子孫の佐野氏が築城した山城です。戦国時代末期の堅牢な高石垣が残る東日本では数少ない城跡です。秀郷公が祀った唐澤山神社がある本丸跡や南城跡の石垣の一部は当時の姿を残しています。
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