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Yamareco

記録ID: 7419185
全員に公開
ハイキング
四国

装束山・野根山

2024年10月20日(日) [日帰り]
 - 拍手
体力度
2
日帰りが可能
GPS
06:43
距離
11.5km
登り
727m
下り
729m
歩くペース
ゆっくり
1.21.3
ヤマレコの計画機能「らくルート」の標準コースタイムを「1.0」としたときの倍率です。

コースタイム

日帰り
山行
4:42
休憩
2:02
合計
6:44
距離 11.5km 登り 727m 下り 729m
9:03
6
スタート地点
9:09
9:10
31
9:41
9:48
29
10:17
10:18
10
10:28
10:47
10
10:57
10:58
10
11:08
11:27
44
12:11
12:53
31
13:24
13:32
20
13:52
13:56
34
14:30
14:39
7
14:46
8
14:54
14:55
4
14:59
15:00
23
15:23
15:24
7
15:31
15:39
8
15:47
ゴール地点
天候 晴れ
過去天気図(気象庁) 2024年10月の天気図
アクセス
利用交通機関:
自家用車
2014年10月5日撮影
米ヶ丘登山口の案内板
野川林道がよくわかる
2014年10月05日 07:54撮影 by  FinePix Z1000EXR, FUJIFILM
1
10/5 7:54
2014年10月5日撮影
米ヶ丘登山口の案内板
野川林道がよくわかる
2014年10月5日撮影
宿屋杉
2014年10月05日 10:50撮影 by  FinePix Z1000EXR, FUJIFILM
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10/5 10:50
2014年10月5日撮影
宿屋杉
2024年10月20日 07:52撮影 by  iPhone XR, Apple
10/20 7:52
2024年10月20日 07:53撮影 by  iPhone XR, Apple
10/20 7:53
北川村役場から宿屋杉登山口まで、軌跡をとる。(実際より時間がかかってます)
駐車時にGPSを切るのを忘れてしまい、登山開始前に気づきました。
2024年10月20日 09:00撮影 by  iPhone, Apple
10/20 9:00
北川村役場から宿屋杉登山口まで、軌跡をとる。(実際より時間がかかってます)
駐車時にGPSを切るのを忘れてしまい、登山開始前に気づきました。
宿屋杉登山口に近い位置に駐車し、上の方へ歩く
2024年10月20日 08:59撮影 by  iPhone XR, Apple
10/20 8:59
宿屋杉登山口に近い位置に駐車し、上の方へ歩く
2024年10月20日 09:09撮影 by  iPhone 11, Apple
10/20 9:09
2024年10月20日 09:15撮影 by  iPhone 11, Apple
10/20 9:15
電波塔
野川林道から見えた電波塔ではない。形状、規模が全く異なる。
NTTや国土交通省などは、無線局名が明示されてることが多いが、この電波塔にはなかった。

地図上では、この先にもう一つ電波塔があるのだが、確認には行かなかった
2024年10月20日 09:38撮影 by  iPhone 11, Apple
10/20 9:38
電波塔
野川林道から見えた電波塔ではない。形状、規模が全く異なる。
NTTや国土交通省などは、無線局名が明示されてることが多いが、この電波塔にはなかった。

地図上では、この先にもう一つ電波塔があるのだが、確認には行かなかった
参勤交代の道
 土佐から江戸への参勤交代は浦戸から船によるもの、 北山越えによるものの外、野根山街道を通り、甲浦 又は、阿波から船によるものの三とうりの方法があ ったようである。
 二代藩主忠義は、寛永二十年(一六四三)四月九日浦戸出帆、十五日間を要して江戸に出ている。
 四代藩主豊昌は、延宝八年(一六八〇)に海路を利用 し、元緑元年(一六八八)には、次の日程によって野根山街道を通っている。
三月十日 お城下発 赤岡泊り
十一日 安芸泊り
十二日 田野泊り
十三日 岩佐を経て野根泊り滞在
二十二日  甲浦泊り滞在
二十六日 甲浦出航
四月二日 大阪着
 右の日程の中で、野根、甲浦滞在はおそらく悪天候に災いされて、船出ができなかったものと思われる。
 六代藩主豊隆は、享保三年(一七一八)に、立川街道 (北山越之)を、伊予に抜け、仁尾港から浦戸よりの廻船によって、中国路に渡っている。
2024年10月20日 09:57撮影 by  iPhone 11, Apple
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10/20 9:57
参勤交代の道
 土佐から江戸への参勤交代は浦戸から船によるもの、 北山越えによるものの外、野根山街道を通り、甲浦 又は、阿波から船によるものの三とうりの方法があ ったようである。
 二代藩主忠義は、寛永二十年(一六四三)四月九日浦戸出帆、十五日間を要して江戸に出ている。
 四代藩主豊昌は、延宝八年(一六八〇)に海路を利用 し、元緑元年(一六八八)には、次の日程によって野根山街道を通っている。
三月十日 お城下発 赤岡泊り
十一日 安芸泊り
十二日 田野泊り
十三日 岩佐を経て野根泊り滞在
二十二日  甲浦泊り滞在
二十六日 甲浦出航
四月二日 大阪着
 右の日程の中で、野根、甲浦滞在はおそらく悪天候に災いされて、船出ができなかったものと思われる。
 六代藩主豊隆は、享保三年(一七一八)に、立川街道 (北山越之)を、伊予に抜け、仁尾港から浦戸よりの廻船によって、中国路に渡っている。
2024年10月20日 10:08撮影 by  iPhone 11, Apple
10/20 10:08
熊笹峠
2024年10月20日 10:12撮影 by  iPhone 11, Apple
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10/20 10:12
熊笹峠
2024年10月20日 10:12撮影 by  iPhone 11, Apple
10/20 10:12
装束山
2024年10月20日 10:27撮影 by  iPhone 11, Apple
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10/20 10:27
装束山
2024年10月20日 10:44撮影 by  iPhone 11, Apple
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10/20 10:44
なんか、圧倒される
2024年10月20日 11:18撮影 by  iPhone 11, Apple
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10/20 11:18
なんか、圧倒される
2024年10月20日 11:27撮影 by  iPhone 11, Apple
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10/20 11:27
これは凄いな
2024年10月20日 11:45撮影 by  iPhone 11, Apple
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10/20 11:45
これは凄いな
2024年10月20日 11:45撮影 by  iPhone 11, Apple
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10/20 11:45
2024年10月20日 12:08撮影 by  iPhone 11, Apple
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10/20 12:08
2024年10月20日 13:01撮影 by  iPhone 11, Apple
10/20 13:01
ツチトリモチ
ウズラの卵ぐらいの大きさ
2024年10月20日 13:06撮影 by  iPhone 11, Apple
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10/20 13:06
ツチトリモチ
ウズラの卵ぐらいの大きさ
2024年10月20日 13:13撮影 by  iPhone 11, Apple
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10/20 13:13
2024年10月20日 13:14撮影 by  iPhone 11, Apple
10/20 13:14
野根山山頂まで、倒木だらけ
2024年10月20日 13:17撮影 by  iPhone 11, Apple
10/20 13:17
野根山山頂まで、倒木だらけ
2024年10月20日 13:18撮影 by  iPhone 11, Apple
10/20 13:18
野根山山頂
2024年10月20日 13:23撮影 by  iPhone 11, Apple
10/20 13:23
野根山山頂
2024年10月20日 13:23撮影 by  iPhone 11, Apple
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2024年10月20日 14:54撮影 by  iPhone 11, Apple
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土御門上皇歌碑
うき世には かかれとてこそ 生まれけめ
ことわり知らぬ わが涙かな

 承久三年(一二二一年)に起こった「承久の乱」に破れた朝廷側の首謀者である後鳥羽法皇は隠岐に、順徳上皇は佐渡に流された。
 この事変に直接関係の無かった土御門上皇は自ら罪を被って土佐へ流された。
 野根山街道にさしかかった時には、吹雪で前も見えず、自分の着物の袖も凍り付く程の寒さを嘆き、詠まれた歌である。

"このような苦労をするために生まれてきたわけではなかったのに、 わけもなく流れ落ちる、我が涙であろうか。

と、どうしようもない自分の身と山旅のつらさが、当時を忍ばせる。
野根山街道保存協議会
2024年10月20日 14:54撮影 by  iPhone 11, Apple
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10/20 14:54
土御門上皇歌碑
うき世には かかれとてこそ 生まれけめ
ことわり知らぬ わが涙かな

 承久三年(一二二一年)に起こった「承久の乱」に破れた朝廷側の首謀者である後鳥羽法皇は隠岐に、順徳上皇は佐渡に流された。
 この事変に直接関係の無かった土御門上皇は自ら罪を被って土佐へ流された。
 野根山街道にさしかかった時には、吹雪で前も見えず、自分の着物の袖も凍り付く程の寒さを嘆き、詠まれた歌である。

"このような苦労をするために生まれてきたわけではなかったのに、 わけもなく流れ落ちる、我が涙であろうか。

と、どうしようもない自分の身と山旅のつらさが、当時を忍ばせる。
野根山街道保存協議会
2024年10月20日 15:31撮影 by  iPhone 11, Apple
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10/20 15:31
2024年10月20日 15:31撮影 by  iPhone 11, Apple
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宿屋杉
崩壊が進んでいます
2024年10月20日 15:31撮影 by  iPhone 11, Apple
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宿屋杉
崩壊が進んでいます
2024年10月20日 15:32撮影 by  iPhone 11, Apple
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2024年10月20日 15:33撮影 by  iPhone 11, Apple
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何らかの形で再生されていくのでしょう
2024年10月20日 15:37撮影 by  iPhone 11, Apple
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10/20 15:37
何らかの形で再生されていくのでしょう

感想

10年前の2014年10月5日に、米ヶ丘登山口から宿屋杉までピストンをしました。

米ヶ丘登山口の案内板に野川林道のことが書いてあったのですが、
野川林道はワンボックス(当時:セレナ)では無理だろう、という認識がありました。

野根山街道に行かれてる方のレポを見させていただき、
車も変わっているので、野川林道で行くことにしました。
直近の野川林道の状況も確認したいので、地元の北川村観光協会に問い合わせをしました。
Hさん、ありがとうございました。
四国の道 野根山街道のパンフレットに、野根山街道の地図と里程表が載っています。
交通 マイカー ・・・国道、町村道、林道(野川)を利用 、とあります。
参考にされてみてはいかがでしょうか。

野根山街道は、奈半利町から野根山連山を尾根伝いに東洋町野根に至る35km余り。
歴史的事実として、
参勤交代で、四代藩主豊昌は、延宝八年(1680)に、野根山街道を通っています。
承久三年(1221年)に起こった「承久の乱」で、土佐へ流された土御門上皇は、野根山街道で歌を詠んでいます。

2024年に歩いている、この野根山街道で、
約350年前に、土佐藩四代藩主豊昌の参勤交代があり、
約800年前に、「承久の乱」で土佐に流された土御門上皇が歌を詠まれています。
歴史的な映像が重なってきます。
タイムマシーンがあれば、想像を働かせていけるなら、
歴史を辿る山行と言えるかもしれません。

この道は時代を超え、いろいろな人の物語があるのだと思いました。
そう言う意味で、歴史的背景のある説明文はありがたいです。

岩佐の関所を過ぎてから、野根山に登っていくわけですが、足元にウズラの卵ぐらいの大きさの赤いモノが見えてきます。
これはツチトリモチの赤い花です。周りにハイノキがあります。
この花の下(土の中)には芋があって、その芋を潰したら簡単にトリモチができます。

野根山山頂まで、倒木だらけで、アドベンチャー気分になります。

野根山街道は、江戸末期造林(樹齢150年)の杉林であり、街道の両側45mを伐採を禁じるお留の山にしていたと言われ、見事な杉並木が残っている。(パンフレットから引用)

お留の山ということでしょうか、
自分の中では、カバー画像にした、巨樹・古木の印象が強く、しばらく見とれていました。

ピストンで下山ですが、2014年10月に米ヶ丘登山口から行った宿屋杉を確認にいきました。
宿屋杉の崩壊が進んでいました。でも宿屋杉から杉の子が成長していました。
何らかの形で再生されていくのでしょう。


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参勤交代の道(説明板から)
 土佐から江戸への参勤交代は浦戸から船によるもの、 北山越えによるものの外、野根山街道を通り、甲浦 又は、阿波から船によるものの三とうりの方法、があったようである。
●二代藩主忠義は、寛永二十年(1643)四月九日浦戸出帆、十五日間を要して江戸に出ている。
●四代藩主豊昌は、延宝八年(1680)に海路を利用 し、元緑元年(1688)には、次の日程によって野根山街道を通っている。
三月十日 お城下発 赤岡泊り
  十一日 安芸泊り
  十二日 田野泊り
  十三日 岩佐を経て野根泊り滞在
  二十二日  甲浦泊り滞在
  二十六日 甲浦出航
四月二日 大阪着
日程の中で、野根、甲浦滞在はおそらく悪天候に災いされて、船出ができなかったものと思われる。
●六代藩主豊隆は、享保三年(1718)に、立川街道 (北山越之)を、伊予に抜け、仁尾港から浦戸よりの廻船によって、中国路に渡っている。
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土御門上皇歌碑
うき世には かかれとてこそ 生まれけめ
ことわり知らぬ わが涙かな

 承久三年(1221年)に起こった「承久の乱」に破れた朝廷側の首謀者である後鳥羽法皇は隠岐に、順徳上皇は佐渡に流された。
 この事変に直接関係の無かった土御門上皇は自ら罪を被って土佐へ流された。

 野根山街道にさしかかった時には、吹雪で前も見えず、自分の着物の袖も凍り付く程の寒さを嘆き、詠まれた歌である。
"このような苦労をするために生まれてきたわけではなかったのに、 わけもなく流れ落ちる、我が涙であろうか。
と、どうしようもない自分の身と山旅のつらさが、当時を忍ばせる。
野根山街道保存協議会
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ツチトリモチの説明は、稲垣典年さんの言葉を借ります。
ツチトリモチは、この花の下(土の中)に、芋がある。その芋を潰したら簡単にトリモチができる。地面の中の鳥餅、ツチトリモチ。
https://youtu.be/iriJG6AufIw

日本には、ツチトリモチ、キイレツチトリモチ、ミヤマツチトリモチ、リュウキュウツチト
リモチの4種があって、4つとも牧野富太郎博士が命名しました。
その後、ヤクシマツチトリモチというのが認められて、日本産は5種になっています。
リュウキュウツチトリモチは、牧野が命名した学名が、今は使われていないということです。

●携帯電波状況
―媛或登山口、駐車位置
ドコモ OK、AU 微妙
岩佐の清水
ドコモ 圏外、AU 圏外
L邵山
ドコモ OK、AU OK
しШ峠、装束山
確認漏れだが、熊笹峠から田野町が見えていたので
ドコモも、AUもOKではないかと思う
装束山も似た状況だと思う。

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