石浜城
古河公方足利成氏が関東管領上杉憲忠を殺害し、享徳の乱が勃発した。
この時馬加康胤は宗家千葉氏の居城猪鼻城を攻め、千葉氏は敗走した。
当主である父を失った千葉実胤・自胤の兄弟は武蔵へ逃れ、
実胤が石浜城を、自胤は赤塚城を築いて宗家を奪った馬加氏に対抗した。
この武蔵千葉氏は太田道灌を頼って旧領奪還を目指すが、叶わず、
扇ヶ谷家没落後は北条氏に従う。
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1/15 10:17
石浜城
古河公方足利成氏が関東管領上杉憲忠を殺害し、享徳の乱が勃発した。
この時馬加康胤は宗家千葉氏の居城猪鼻城を攻め、千葉氏は敗走した。
当主である父を失った千葉実胤・自胤の兄弟は武蔵へ逃れ、
実胤が石浜城を、自胤は赤塚城を築いて宗家を奪った馬加氏に対抗した。
この武蔵千葉氏は太田道灌を頼って旧領奪還を目指すが、叶わず、
扇ヶ谷家没落後は北条氏に従う。
鐘ヶ淵
利根川に入間川が合流して来て、淵が形成される。
利根川(隅田川)はここで大河となって一気に南流していく事になるが、流出する土砂の多さが、その三角州を急速に発達させていく。
水量も非常に多かった為、分流の河川も大きく、内海の陸地化はみるみるうちに進んでいく。
鐘ヶ淵の地名は鐘が沈んでいた伝説が元になる地名だが、伝承は割と最近の話である。
天文21年、北条氏に千葉氏が降伏した時、若い娘の泣き声が聴こえ、それがやがて嵐のように川が荒れ狂った事から、それを鎮める為に鐘を沈めた、という伝説があるのと、
元和六年、寺が移転する時に誤って船から鐘を落としてしまったとするもの、
享保五年、橋場にあった寺の鐘が洪水で流されてしまったというものがある。
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1/14 15:25
鐘ヶ淵
利根川に入間川が合流して来て、淵が形成される。
利根川(隅田川)はここで大河となって一気に南流していく事になるが、流出する土砂の多さが、その三角州を急速に発達させていく。
水量も非常に多かった為、分流の河川も大きく、内海の陸地化はみるみるうちに進んでいく。
鐘ヶ淵の地名は鐘が沈んでいた伝説が元になる地名だが、伝承は割と最近の話である。
天文21年、北条氏に千葉氏が降伏した時、若い娘の泣き声が聴こえ、それがやがて嵐のように川が荒れ狂った事から、それを鎮める為に鐘を沈めた、という伝説があるのと、
元和六年、寺が移転する時に誤って船から鐘を落としてしまったとするもの、
享保五年、橋場にあった寺の鐘が洪水で流されてしまったというものがある。
隅田川神社
もともとはここより100mほど北に位置していた。
東白髭公園の辺りか。
元は水神宮や浮島宮と呼ばれていたようで、
この地は隅田川が分流していく中に取り残された浮島である事が推定される。
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1/14 11:23
隅田川神社
もともとはここより100mほど北に位置していた。
東白髭公園の辺りか。
元は水神宮や浮島宮と呼ばれていたようで、
この地は隅田川が分流していく中に取り残された浮島である事が推定される。
創建年代は不詳。
治承年間、源頼朝が祈願した伝説がある。
御祭神
速秋津日子神(はやあきつひこのかみ)
速秋津比賣神(はやあきつひめのかみ)
鳥之石楠船神(とりのいわくすふねのかみ)
大楫木戸姫神(おおかじきどひめのかみ)
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1/14 11:27
創建年代は不詳。
治承年間、源頼朝が祈願した伝説がある。
御祭神
速秋津日子神(はやあきつひこのかみ)
速秋津比賣神(はやあきつひめのかみ)
鳥之石楠船神(とりのいわくすふねのかみ)
大楫木戸姫神(おおかじきどひめのかみ)
西の向こう側は石浜城
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1/14 11:32
西の向こう側は石浜城
浮島の南岸より南側で、おそらくこの辺りの隅田川はさらに川幅を増し、
小島もいくつかあったのでは?
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1/14 11:36
浮島の南岸より南側で、おそらくこの辺りの隅田川はさらに川幅を増し、
小島もいくつかあったのでは?
墨堤通り
その名の通り、隅田川の左岸に造られた隅田堤から名付けられた通り。
江戸時代に入る以前から既に、熊谷から向島まで堤が続いてたともされる。
北東から南西に向かう隅田堤と、
北西から南東に向かう日本堤がV字に狭まっていき、南千住付近は遊水池とされていた。
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1/15 10:23
墨堤通り
その名の通り、隅田川の左岸に造られた隅田堤から名付けられた通り。
江戸時代に入る以前から既に、熊谷から向島まで堤が続いてたともされる。
北東から南西に向かう隅田堤と、
北西から南東に向かう日本堤がV字に狭まっていき、南千住付近は遊水池とされていた。
東向島・白髭神社
天暦五年(951)に近江国の白髭大明神をこの地に祀った。
御祭神は猿田彦大神の他六柱が祀られている。
そのメンバーがすごい。
天照大御神、高皇産霊神、神皇産霊神、
大宮能売神、豊由気大神、建御名方神。
旧寺島町の氏神として祀られた。
とすると、かつては寺島という島だった?
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1/14 15:15
東向島・白髭神社
天暦五年(951)に近江国の白髭大明神をこの地に祀った。
御祭神は猿田彦大神の他六柱が祀られている。
そのメンバーがすごい。
天照大御神、高皇産霊神、神皇産霊神、
大宮能売神、豊由気大神、建御名方神。
旧寺島町の氏神として祀られた。
とすると、かつては寺島という島だった?
隅田堤
東側(右)が本来の高さ。
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1/14 15:13
隅田堤
東側(右)が本来の高さ。
墨堤通り
この辺りの左岸で、隅田川は東南東や南へと広く分流していく。
というか、広い河口の先にいくつもの島が作られていき、
その島が大きくなってきて島と島の間が狭まっていく、その途中である。
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1/15 10:26
墨堤通り
この辺りの左岸で、隅田川は東南東や南へと広く分流していく。
というか、広い河口の先にいくつもの島が作られていき、
その島が大きくなってきて島と島の間が狭まっていく、その途中である。
隅田川左岸
直進して右カーブしていく隅田川と、左に分岐していく東隅田川(仮称)の分流地点
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1/14 11:39
隅田川左岸
直進して右カーブしていく隅田川と、左に分岐していく東隅田川(仮称)の分流地点
隅田堤の説明板
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1/14 11:41
隅田堤の説明板
長命寺及び弘福寺付近
元来、牛嶋神社はこの辺りにあったとされる。
ここでも隅田川は東西に分流していく。
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1/14 11:44
長命寺及び弘福寺付近
元来、牛嶋神社はこの辺りにあったとされる。
ここでも隅田川は東西に分流していく。
牛嶋の最北端辺り
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1/14 11:47
牛嶋の最北端辺り
向島
向島の由来は、“浅草側から見た向こうの島”らしい。
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1/14 11:49
向島
向島の由来は、“浅草側から見た向こうの島”らしい。
竹屋の渡し
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1/14 11:52
竹屋の渡し
三囲神社(みめぐり-)
ここは新しい。元禄六年の創建。
御祭神は宇迦御魂之命(うがのみたまのみこと)
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1/14 11:54
三囲神社(みめぐり-)
ここは新しい。元禄六年の創建。
御祭神は宇迦御魂之命(うがのみたまのみこと)
恵比寿様と大国様
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1/14 11:58
恵比寿様と大国様
隅田公園
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1/14 12:02
隅田公園
牛嶋神社
創建は貞観二年(860)。
御祭神
須佐之男命(すさのおのみこと)
天之穂日命(あめのほひのみこと)
貞辰親王命(さだときしんのうのみこと)
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1/14 12:03
牛嶋神社
創建は貞観二年(860)。
御祭神
須佐之男命(すさのおのみこと)
天之穂日命(あめのほひのみこと)
貞辰親王命(さだときしんのうのみこと)
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1/14 12:06
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1/14 12:06
水戸徳川邸
徳川御三家の水戸徳川家の江戸下屋敷・小梅邸があった場所。
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1/14 12:09
水戸徳川邸
徳川御三家の水戸徳川家の江戸下屋敷・小梅邸があった場所。
堤通
隅田川沿いを南下しましょう。
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1/14 12:21
堤通
隅田川沿いを南下しましょう。
徳之山稲荷神社
徳山五兵衛重政は江戸時代前期の人物で、付近の開発に携わった屋敷が当地にあった。
御祭神は倉稲魂命で、五兵衛の死後に、彼も祭神に加わった。
屋敷を構える以前の創建である可能性は高い。
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1/14 12:32
徳之山稲荷神社
徳山五兵衛重政は江戸時代前期の人物で、付近の開発に携わった屋敷が当地にあった。
御祭神は倉稲魂命で、五兵衛の死後に、彼も祭神に加わった。
屋敷を構える以前の創建である可能性は高い。
横綱町公園
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1/14 12:35
横綱町公園
両国
この辺りになると、江戸時代の雰囲気しかしなくなる。
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1/14 12:41
両国
この辺りになると、江戸時代の雰囲気しかしなくなる。
一之橋
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1/14 12:42
一之橋
江島杉山神社
御祭神は、
市杵島比壳命(弁財天)と杉山和一総検校
弁財天を深く信仰した杉山は、江戸時代の鍼師。
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1/14 12:45
江島杉山神社
御祭神は、
市杵島比壳命(弁財天)と杉山和一総検校
弁財天を深く信仰した杉山は、江戸時代の鍼師。
八名川稲荷神社
創建は文久九年(1862)。
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1/14 12:54
八名川稲荷神社
創建は文久九年(1862)。
深川神明社
御祭神は天照大御神。
家康入部して間もない慶長元年(1596)創建。
ここは何故か陸地化が早かったよう。
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1/14 13:00
深川神明社
御祭神は天照大御神。
家康入部して間もない慶長元年(1596)創建。
ここは何故か陸地化が早かったよう。
行成稲荷神社
創建は江戸時代に入ってから。
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1/14 13:12
行成稲荷神社
創建は江戸時代に入ってから。
深川・白笹稲荷神社
秦野市にある白笹神社は創建不詳。
関東三大稲荷に数えられるとか。
御祭神は宇迦御魂命、大宮売命、猿田彦命。
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1/14 13:22
深川・白笹稲荷神社
秦野市にある白笹神社は創建不詳。
関東三大稲荷に数えられるとか。
御祭神は宇迦御魂命、大宮売命、猿田彦命。
元加賀公園
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1/14 13:34
元加賀公園
松島稲荷大明神
こちらも江戸時代か。
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1/14 13:37
松島稲荷大明神
こちらも江戸時代か。
猿江神社
康平年間(1058-1068)の創建で、前九年の役の際、
源義家の家臣である猿藤太がこの付近の入江で戦死したため、当地に祠を建てた事が由来。
御祭神は、天照大御神、宇迦之御魂命である。
この辺りは早くから陸地化が進んでいたようだ。
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1/14 13:46
猿江神社
康平年間(1058-1068)の創建で、前九年の役の際、
源義家の家臣である猿藤太がこの付近の入江で戦死したため、当地に祠を建てた事が由来。
御祭神は、天照大御神、宇迦之御魂命である。
この辺りは早くから陸地化が進んでいたようだ。
猿江神社
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1/14 13:47
猿江神社
藤森神社
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1/14 13:48
藤森神社
藤森稲荷神社
猿江神社の境内
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1/14 13:49
藤森稲荷神社
猿江神社の境内
猿江神社
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1/14 13:49
猿江神社
重願寺
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1/14 13:52
重願寺
摩利支天尊日先神社
正徳年間創建。
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1/14 13:54
摩利支天尊日先神社
正徳年間創建。
元徳稲荷神社
慶長年間創建。
南北に細長い牛島と、猿江島(仮称)の間にも流れがあったと思われるが、
この地域は安定した陸地化が遅いのかも知れない。
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1/14 14:04
元徳稲荷神社
慶長年間創建。
南北に細長い牛島と、猿江島(仮称)の間にも流れがあったと思われるが、
この地域は安定した陸地化が遅いのかも知れない。
永倉稲荷神社
大正二年創建。
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1/14 14:11
永倉稲荷神社
大正二年創建。
野見宿禰神社
野見宿禰を祀っていますが、創建は明治17年。
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1/14 14:16
野見宿禰神社
野見宿禰を祀っていますが、創建は明治17年。
野見宿禰神社
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1/14 14:16
野見宿禰神社
摂社若宮牛嶋神社
徳川家光から寄進された当地を牛嶋神社の御旅所とした事に始まる。
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1/14 12:26
摂社若宮牛嶋神社
徳川家光から寄進された当地を牛嶋神社の御旅所とした事に始まる。
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1/14 12:28
法恩寺
長禄二年(1458)、太田道灌によって開基。
扇状地の中央は陸地化は早いようだ。
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1/14 14:26
法恩寺
長禄二年(1458)、太田道灌によって開基。
扇状地の中央は陸地化は早いようだ。
法恩寺
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1/14 14:27
法恩寺
太田氏七代供養塔
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1/14 14:28
太田氏七代供養塔
押上天祖神社
延元年間(1336-1340)の創建とされている。
御祭神は天照大御神・八幡大神・春日大神。
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1/14 14:35
押上天祖神社
延元年間(1336-1340)の創建とされている。
御祭神は天照大御神・八幡大神・春日大神。
小さな中洲
また北部から南下していきましょう。
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1/15 10:27
小さな中洲
また北部から南下していきましょう。
成島柳北の住居跡
付近に柳島と呼ばれる土地があった事から、
北柳島に生まれたって意味かと思ったけれど全く関係ないようだw
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1/15 10:28
成島柳北の住居跡
付近に柳島と呼ばれる土地があった事から、
北柳島に生まれたって意味かと思ったけれど全く関係ないようだw
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1/15 10:31
向島秋葉神社
北側を向くこちらの秋葉神社。
隅田川が東西に分流する狭間の先端に鎮座していたと推定される。
ここは昔、“五百崎の千代世の森”と呼ばれ、千代世稲荷大明神が祀られていた。
草創は正応二年(1289)と伝わる。
この地名、いおさき、がどのような地形であったのか。
一応、高木神社側からさらに南に延びる半島が五百崎であり、
その周辺地域の地名もまた五百崎、そして、この島に千代世の森があった、と想定。
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1/23 11:12
向島秋葉神社
北側を向くこちらの秋葉神社。
隅田川が東西に分流する狭間の先端に鎮座していたと推定される。
ここは昔、“五百崎の千代世の森”と呼ばれ、千代世稲荷大明神が祀られていた。
草創は正応二年(1289)と伝わる。
この地名、いおさき、がどのような地形であったのか。
一応、高木神社側からさらに南に延びる半島が五百崎であり、
その周辺地域の地名もまた五百崎、そして、この島に千代世の森があった、と想定。
隅田川分流の最も東側の流れの跡
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1/14 15:07
隅田川分流の最も東側の流れの跡
高木神社
応仁二年、旧寺島新田の鎮守として創建された。
という事は、この地は寺島と呼ばれていた事になる。
もともと大六天社と呼ばれていたが、明治時代になってから御祭神である高皇産靈神の名から高木神社に改称した。
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1/14 15:04
高木神社
応仁二年、旧寺島新田の鎮守として創建された。
という事は、この地は寺島と呼ばれていた事になる。
もともと大六天社と呼ばれていたが、明治時代になってから御祭神である高皇産靈神の名から高木神社に改称した。
高木神社
高木神社の東側に正円寺があるが、開基はこちらの神社と同じく応仁二年。
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1/14 15:04
高木神社
高木神社の東側に正円寺があるが、開基はこちらの神社と同じく応仁二年。
高木神社
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1/14 15:02
高木神社
飛木稲荷神社
“とびき”と読む。
創建は不詳ながら、鎌倉幕府滅亡後、北条氏の落人が創建したとも伝わる。
この東側に円徳寺があるが、開山は慶長18年。
「正慶元年」「嘉吉四年」(1332年と1444年)の銘の入った板碑が発見されているとの事だが、それでもそんな頃である。
寺島と呼ばれていた程の古さではないよな……
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1/14 15:00
飛木稲荷神社
“とびき”と読む。
創建は不詳ながら、鎌倉幕府滅亡後、北条氏の落人が創建したとも伝わる。
この東側に円徳寺があるが、開山は慶長18年。
「正慶元年」「嘉吉四年」(1332年と1444年)の銘の入った板碑が発見されているとの事だが、それでもそんな頃である。
寺島と呼ばれていた程の古さではないよな……
乾徳稲荷神社
“けんとく”と読みます。
最初、「懿徳」だと勘違いしていた……
創建は不詳。
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1/14 14:52
乾徳稲荷神社
“けんとく”と読みます。
最初、「懿徳」だと勘違いしていた……
創建は不詳。
墨堤通り
東側が低く、もともとは東に分流していた隅田川を、
この堤で塞いでいる、事が分かるポイントである。
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1/15 10:26
墨堤通り
東側が低く、もともとは東に分流していた隅田川を、
この堤で塞いでいる、事が分かるポイントである。
押上
押上の名は江戸時代以前からあったようで、
利根川の河口の中洲の南岸に潮が押し寄せて土砂が堆積していく様子が地名となった、と推定される。
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1/15 10:38
押上
押上の名は江戸時代以前からあったようで、
利根川の河口の中洲の南岸に潮が押し寄せて土砂が堆積していく様子が地名となった、と推定される。
北十間川は寛文三年(1663)に開鑿された。
その頃には既に隅田川の東側の分流の存在は無く島状では無かったはずだが、
この押上周辺は、戦国時代当初はどこまで陸地化が進んでいた事だろう?
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1/15 10:41
北十間川は寛文三年(1663)に開鑿された。
その頃には既に隅田川の東側の分流の存在は無く島状では無かったはずだが、
この押上周辺は、戦国時代当初はどこまで陸地化が進んでいた事だろう?
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1/15 10:41
亀島の南西角部分と推定。
ここで利根川の流れは南ではなく、
成長する亀島を避けるように北東に進んでいたような印象を受ける。
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1/23 11:23
亀島の南西角部分と推定。
ここで利根川の流れは南ではなく、
成長する亀島を避けるように北東に進んでいたような印象を受ける。
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1/15 10:53
北十間川
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1/15 10:49
北十間川
江東天祖神社
柳島総鎮守神明宮の御祭神は天照大御神。
創建は推古朝時代とのこと。
当時は多くの島が点在しており、そのうちの柳島の総鎮守が当社であると書かれている。
相殿 宇迦之御魂大神
境内社 太郎稲荷神社
永享年間に戦災で崩壊し、応永二年(1395)に再建が勧められ、天文十年に再建された。
柳島総鎮守となっている当社だが、
柳島とは、南は現在の深川六軒堀まで、東は亀戸村にまで接した大きな地域の呼び名となっている。
柳島の東隣に亀島があったという事か。
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1/23 11:27
江東天祖神社
柳島総鎮守神明宮の御祭神は天照大御神。
創建は推古朝時代とのこと。
当時は多くの島が点在しており、そのうちの柳島の総鎮守が当社であると書かれている。
相殿 宇迦之御魂大神
境内社 太郎稲荷神社
永享年間に戦災で崩壊し、応永二年(1395)に再建が勧められ、天文十年に再建された。
柳島総鎮守となっている当社だが、
柳島とは、南は現在の深川六軒堀まで、東は亀戸村にまで接した大きな地域の呼び名となっている。
柳島の東隣に亀島があったという事か。
江東天祖神社
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1/23 11:30
江東天祖神社
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1/23 11:27
龍眼寺
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1/15 10:55
龍眼寺
亀戸天神社
御祭神
天満大神
菅原道真公
(スガワラノミチザネ)
天菩日命
(菅原家の祖神)相殿に祀る
寛文二年(1662)の創建。
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1/15 11:02
亀戸天神社
御祭神
天満大神
菅原道真公
(スガワラノミチザネ)
天菩日命
(菅原家の祖神)相殿に祀る
寛文二年(1662)の創建。
亀戸天神御嶽神社
亀戸の由来となったであろう亀島の由来は、
島の形が亀のようだったから、とする説があるが、
利根川・太日川の堆積によって島が成長し、付近の島を併呑していった。
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1/15 11:03
亀戸天神御嶽神社
亀戸の由来となったであろう亀島の由来は、
島の形が亀のようだったから、とする説があるが、
利根川・太日川の堆積によって島が成長し、付近の島を併呑していった。
亀戸香取神社
香取神社本殿の拝殿を撮り損ねている…
御祭神は経津主神。
創建は天智天皇四年(665)とかなり古い。
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1/15 11:16
亀戸香取神社
香取神社本殿の拝殿を撮り損ねている…
御祭神は経津主神。
創建は天智天皇四年(665)とかなり古い。
摂社の方々も素晴らしい。
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1/15 11:22
摂社の方々も素晴らしい。
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亀戸水神宮
足利義晴治世時の創建とされる。
大永・享禄・天文年間という、とても馴染みのある年号の時代。
御祭神は弥都波能売神(罔象女神)ミズハノメ。
この辺り、当初の亀島の東端部だったのではと妄想する。
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1/15 11:32
亀戸水神宮
足利義晴治世時の創建とされる。
大永・享禄・天文年間という、とても馴染みのある年号の時代。
御祭神は弥都波能売神(罔象女神)ミズハノメ。
この辺り、当初の亀島の東端部だったのではと妄想する。
亀の首の辺り
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1/15 11:42
亀の首の辺り
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1/15 11:48
明源寺
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1/15 11:52
明源寺
香取神社
御祭神は経津主大神(ふつぬしのおおかみ)。
小村井に鎮座する香取神社は、
平安時代末期に当地の開拓にあたった六軒の人々が勧請して創建した。
既にこの辺りは陸地化して長いようだ。
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1/15 11:57
香取神社
御祭神は経津主大神(ふつぬしのおおかみ)。
小村井に鎮座する香取神社は、
平安時代末期に当地の開拓にあたった六軒の人々が勧請して創建した。
既にこの辺りは陸地化して長いようだ。
田丸神社
京島に位置する田丸神社は、明治時代の創建。
まだ湾の中であったと想定する。
西を流れる隅田川、東を流れる利根川・太日川が、
南流して河岸に作り出していく堆積丘。
それらが成長して南に延びていくと共に、南からの潮とがぶつかって、流れに蓋をするように東西に成長していく亀島。
そして造られていく大きな湾。
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田丸神社
京島に位置する田丸神社は、明治時代の創建。
まだ湾の中であったと想定する。
西を流れる隅田川、東を流れる利根川・太日川が、
南流して河岸に作り出していく堆積丘。
それらが成長して南に延びていくと共に、南からの潮とがぶつかって、流れに蓋をするように東西に成長していく亀島。
そして造られていく大きな湾。
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1/15 12:08
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1/15 12:17
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長浦神社
御祭神は宇迦之御魂神、神皇産霊神、登由宇気神。
創建年代は不詳。
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1/15 12:25
長浦神社
御祭神は宇迦之御魂神、神皇産霊神、登由宇気神。
創建年代は不詳。
長浦
その名の通り、長い浦があったと想定する。
となると、この辺りは湾の奥地だったかと思われる。
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1/15 12:28
長浦
その名の通り、長い浦があったと想定する。
となると、この辺りは湾の奥地だったかと思われる。
水戸街道と古代東海道が接近する。
荒川が無ければその空を架ける橋も当然存在しない。
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1/15 12:32
水戸街道と古代東海道が接近する。
荒川が無ければその空を架ける橋も当然存在しない。
八広日枝神社
祭神は大山咋神
慶長19年(1614)創建。
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1/23 10:56
八広日枝神社
祭神は大山咋神
慶長19年(1614)創建。
八広木下稲荷神社
八広の地名は新しく、もとは吾嬬町といった。
その前身の吾嬬村が発足したのは1889年の事で、
それ以前は大畑と木ノ下、木下川の地名を元にした大木村といった。
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1/23 10:57
八広木下稲荷神社
八広の地名は新しく、もとは吾嬬町といった。
その前身の吾嬬村が発足したのは1889年の事で、
それ以前は大畑と木ノ下、木下川の地名を元にした大木村といった。
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1/23 11:03
四つ木
かつての地名は、下総国葛西御厨渋江。
やはり付近には江があったか。
四つ木の地名の由来は様々で、
4本の大木があった、頼朝がここを通った時刻が四ツ過ぎであった、
聖徳太子像が4本の木を組んだものであった、四辻であった、などなど。
地名として確実に四ツ木が現れるのは江戸時代になってからとの事。
本所用水である曳舟川と葛西用水が交差する、川の四辻であった事は確かであり、水路の要衝であった。
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1/15 12:34
四つ木
かつての地名は、下総国葛西御厨渋江。
やはり付近には江があったか。
四つ木の地名の由来は様々で、
4本の大木があった、頼朝がここを通った時刻が四ツ過ぎであった、
聖徳太子像が4本の木を組んだものであった、四辻であった、などなど。
地名として確実に四ツ木が現れるのは江戸時代になってからとの事。
本所用水である曳舟川と葛西用水が交差する、川の四辻であった事は確かであり、水路の要衝であった。
西光寺・葛西清重屋敷
古代東海道沿いの四つ木という地名の場所ある。
前述の通り四つ木の由来は様々であったが、古代東海道沿いである事は確実で、地形的にも重要地点であったからこそ重臣の屋敷があったと推察される。
武蔵国の有力豪族であった豊島氏の豊島清元の時に平治の乱で山内家通という人物を誅殺した記録があるが、
当時から源氏方であり裏切り者であった為なのか、平家方にいて源氏方の山内を討ったのか詳細が分からないらしい。
治承元年(1177)、下総香取神社の正神宮を造営した。
清元が葛西御厨を領有するようになり、
三男の清重がこの地に館を構えていた。
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1/15 12:36
西光寺・葛西清重屋敷
古代東海道沿いの四つ木という地名の場所ある。
前述の通り四つ木の由来は様々であったが、古代東海道沿いである事は確実で、地形的にも重要地点であったからこそ重臣の屋敷があったと推察される。
武蔵国の有力豪族であった豊島氏の豊島清元の時に平治の乱で山内家通という人物を誅殺した記録があるが、
当時から源氏方であり裏切り者であった為なのか、平家方にいて源氏方の山内を討ったのか詳細が分からないらしい。
治承元年(1177)、下総香取神社の正神宮を造営した。
清元が葛西御厨を領有するようになり、
三男の清重がこの地に館を構えていた。
清重は、挙兵した頼朝が安房から武蔵に戻る時に功があり絶大な信頼を寄せられていた。
鎌倉時代初期の幕府の重臣である。
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1/15 12:37
清重は、挙兵した頼朝が安房から武蔵に戻る時に功があり絶大な信頼を寄せられていた。
鎌倉時代初期の幕府の重臣である。
葛西清重屋敷
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1/15 12:42
葛西清重屋敷
四ツ木駅
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1/15 12:46
四ツ木駅
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1/15 12:50
四つ木白髭神社
本社:猿田彦命
大己貴命
建御名方命
末社:稲荷神社 :宇迦御魂命
皇産霊神社:高皇産霊命
大山咋命
大鳥神社厳嶋神社
:日本尊命
市杵嶋姫命
当神社のご祭神は猿田彦命で、合殿として大己貴命、建御名方命を奉祀します。当神社は渋江邑(むら)草創当初より伝わる古社で、霊験あらたかな社として近郷近在からも篤い崇敬を集めてきました。
創建年代は詳らかではありませんが、旧別当(神社に付属する寺)清宝山観正寺が僧円覚によって延徳3年(1491)に建立されたといいますから、当社の創建はそれ以前のことと考えられます。
「渋江」の地名は、応永5年(1398)の『葛西御厨田数注文写』に初見することから、当地の豪族であった葛西清重が平安末期に伊勢神宮に寄進した葛西厨33郷のひとつと推測されており、当社の創建もこの時代までさかのぼると思われます。
古い申し伝えでは、清和天皇の御代貞観2年(860)庚申9月の鎮座なりとも、治承年間(1177~1180)には鎮座せりともいわれています。
HPより抜粋
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1/15 12:51
四つ木白髭神社
本社:猿田彦命
大己貴命
建御名方命
末社:稲荷神社 :宇迦御魂命
皇産霊神社:高皇産霊命
大山咋命
大鳥神社厳嶋神社
:日本尊命
市杵嶋姫命
当神社のご祭神は猿田彦命で、合殿として大己貴命、建御名方命を奉祀します。当神社は渋江邑(むら)草創当初より伝わる古社で、霊験あらたかな社として近郷近在からも篤い崇敬を集めてきました。
創建年代は詳らかではありませんが、旧別当(神社に付属する寺)清宝山観正寺が僧円覚によって延徳3年(1491)に建立されたといいますから、当社の創建はそれ以前のことと考えられます。
「渋江」の地名は、応永5年(1398)の『葛西御厨田数注文写』に初見することから、当地の豪族であった葛西清重が平安末期に伊勢神宮に寄進した葛西厨33郷のひとつと推測されており、当社の創建もこの時代までさかのぼると思われます。
古い申し伝えでは、清和天皇の御代貞観2年(860)庚申9月の鎮座なりとも、治承年間(1177~1180)には鎮座せりともいわれています。
HPより抜粋
木根川中央公園
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1/15 13:01
木根川中央公園
王子白髭神社
創建 元慶元年(938年)
祭神 貞辰親王
明治時代の地図では、このすぐ南を中川が流れている。
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1/15 13:04
王子白髭神社
創建 元慶元年(938年)
祭神 貞辰親王
明治時代の地図では、このすぐ南を中川が流れている。
浄光寺
荒川放水路開鑿の為に大正8年に統治に移転した。
ほぼ真西500mの荒川放水路上に、昔の地図だと寺と神社のマークがあるが、そこが本来の位置か?
しかしその元は嘉祥二年(849)の草庵であり、寺と号したのも貞観二年(860)の事。
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1/15 13:07
浄光寺
荒川放水路開鑿の為に大正8年に統治に移転した。
ほぼ真西500mの荒川放水路上に、昔の地図だと寺と神社のマークがあるが、そこが本来の位置か?
しかしその元は嘉祥二年(849)の草庵であり、寺と号したのも貞観二年(860)の事。
ここから、一度中川を上っていきます。
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1/15 13:09
ここから、一度中川を上っていきます。
平和橋
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1/15 13:15
平和橋
川端
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1/15 13:17
川端
川端水神社
創建は江戸時代か
御祭神は宇迦之御魂命。
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1/15 13:17
川端水神社
創建は江戸時代か
御祭神は宇迦之御魂命。
川端諏訪神社
御祭神は建御名方命。
創建は天正元年。
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1/15 13:19
川端諏訪神社
御祭神は建御名方命。
創建は天正元年。
東立石緑地公園
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1/15 13:22
東立石緑地公園
立入禁止の謎の社
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1/15 13:24
立入禁止の謎の社
本奥戸橋
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1/15 13:26
本奥戸橋
立石
古墳時代から中世にかけての立石の遺跡が見つかっている。
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1/15 13:30
立石
古墳時代から中世にかけての立石の遺跡が見つかっている。
立石
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1/15 13:30
立石
立石
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1/15 13:35
立石
以前は南蔵院裏に古墳があった。
かなり古くからこの地域は営みがあった事が窺われる。
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1/15 13:38
以前は南蔵院裏に古墳があった。
かなり古くからこの地域は営みがあった事が窺われる。
五方山熊野神社
御祭神は伊邪那岐大神(縁結び・家内安全)
速玉男大神 事解雄大神(厄除け・病気治癒)
一条天皇治世時の長保年間(999-1003)の創建。
この地にもかつて古墳があった。
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1/15 13:42
五方山熊野神社
御祭神は伊邪那岐大神(縁結び・家内安全)
速玉男大神 事解雄大神(厄除け・病気治癒)
一条天皇治世時の長保年間(999-1003)の創建。
この地にもかつて古墳があった。
熊野神社
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1/15 13:44
熊野神社
奥戸橋
この辺りのカーブは、もともとはもっと緩やかだったっぽい。
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1/15 13:47
奥戸橋
この辺りのカーブは、もともとはもっと緩やかだったっぽい。
福森稲荷神社
寛政八年九月創建。
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1/15 13:51
福森稲荷神社
寛政八年九月創建。
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1/15 13:52
青戸地区より、対岸は千葉氏領
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1/15 13:53
青戸地区より、対岸は千葉氏領
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1/15 13:54
葛西城
鎌倉時代初期の葛西清重を初代とした葛西氏の居城とも言われるが、
この城が鎌倉時代からあったかは分からないとのこと。
確実なところでは、享徳の乱の時に、旧利根川の西側の上杉方が、
川の東側の古河公方勢力と対峙する時に築城されたというもの。
この地のこの葛西城の最初の城主は、
武蔵国守護代大石氏の一族の大石石見守。
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1/15 13:59
葛西城
鎌倉時代初期の葛西清重を初代とした葛西氏の居城とも言われるが、
この城が鎌倉時代からあったかは分からないとのこと。
確実なところでは、享徳の乱の時に、旧利根川の西側の上杉方が、
川の東側の古河公方勢力と対峙する時に築城されたというもの。
この地のこの葛西城の最初の城主は、
武蔵国守護代大石氏の一族の大石石見守。
葛西城
この地域は古墳時代には生活の痕跡が見られ、
応永五年には、葛西御厨が既に設置されていた事が文献で分かっている。
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1/15 14:01
葛西城
この地域は古墳時代には生活の痕跡が見られ、
応永五年には、葛西御厨が既に設置されていた事が文献で分かっている。
青砥神社
ご祭神
猿田彦命 進むべき道に正しく導いてくださいます
健御名方命 調和と団結の心を与えてくださいます
宇迦之御霊命 豊かな恵みと心に憩いを与えてくださいます
伊耶那美命 万物の母神としてお守りくださいます
高皇産霊神 生成を司り殖産興業をお佑けくださいます
誉田別尊 私たちを邪神からお守りくださいます
菅原道真公 知識教養を与えてくださいます
彌都波能目神(みずはのめのかみ) 汚れを祓い身心健全を授けてくださいます
青砥藤綱公(あおとふじつなこう) 千辛万苦に際し天佑神助を取り持つ神様です
天正四年創建。
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1/15 14:04
青砥神社
ご祭神
猿田彦命 進むべき道に正しく導いてくださいます
健御名方命 調和と団結の心を与えてくださいます
宇迦之御霊命 豊かな恵みと心に憩いを与えてくださいます
伊耶那美命 万物の母神としてお守りくださいます
高皇産霊神 生成を司り殖産興業をお佑けくださいます
誉田別尊 私たちを邪神からお守りくださいます
菅原道真公 知識教養を与えてくださいます
彌都波能目神(みずはのめのかみ) 汚れを祓い身心健全を授けてくださいます
青砥藤綱公(あおとふじつなこう) 千辛万苦に際し天佑神助を取り持つ神様です
天正四年創建。
観音寺
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1/15 14:07
観音寺
葛西城
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1/15 14:09
葛西城
葛西城
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1/15 14:11
葛西城
亀有が見えてきました。
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1/15 14:29
亀有が見えてきました。
対岸に見えるのは西念寺
隅田川との分岐点まで戻ってきました。
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1/15 14:31
対岸に見えるのは西念寺
隅田川との分岐点まで戻ってきました。
日を改めて亀戸地区に戻ってきました。
亀戸中央公園
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1/23 11:46
日を改めて亀戸地区に戻ってきました。
亀戸中央公園
亀戸浅草古道
江戸時代以来の古道である。
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1/23 11:51
亀戸浅草古道
江戸時代以来の古道である。
古道
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1/23 11:51
古道
古道
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1/23 11:51
古道
日本武尊・弟橘媛 由来の筏塚
日本武尊が東征した時、相模から上総へ渡る際に遭難し、弟橘媛の犠牲と共にこの地にたどり着いたという伝説がある。
という事は単純に、三浦半島から房総半島に渡る時に、流されてたどり着きやすい場所で無いといけない。
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1/23 11:58
日本武尊・弟橘媛 由来の筏塚
日本武尊が東征した時、相模から上総へ渡る際に遭難し、弟橘媛の犠牲と共にこの地にたどり着いたという伝説がある。
という事は単純に、三浦半島から房総半島に渡る時に、流されてたどり着きやすい場所で無いといけない。
富士塚
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1/23 11:58
富士塚
亀戸浅間神社
御祭神は木花咲耶比売命
弟橘媛の笄がこの地に流れ着いたことを知った景行天皇が、その笄を埋めた塚を造り祀ったのが始まり。
のち、この笄塚がいつの間に富士信仰の富士塚の扱いをされ、
大永七年(1527)に、富士塚に木花咲耶姫を遷座して成立した。
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1/23 12:02
亀戸浅間神社
御祭神は木花咲耶比売命
弟橘媛の笄がこの地に流れ着いたことを知った景行天皇が、その笄を埋めた塚を造り祀ったのが始まり。
のち、この笄塚がいつの間に富士信仰の富士塚の扱いをされ、
大永七年(1527)に、富士塚に木花咲耶姫を遷座して成立した。
亀戸浅間神社
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1/23 12:02
亀戸浅間神社
元佐倉道
名前の通りここから房総佐倉を結ぶ道であるが、
元禄年間には主要往還の座は佐倉道に譲られたとのこと。
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1/23 12:07
元佐倉道
名前の通りここから房総佐倉を結ぶ道であるが、
元禄年間には主要往還の座は佐倉道に譲られたとのこと。
逆井の渡し場
元佐倉道に設けられた渡し場
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1/23 12:08
逆井の渡し場
元佐倉道に設けられた渡し場
逆井の渡し場から下流方向
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1/23 12:10
逆井の渡し場から下流方向
大島小松川公園
小松川は、荒川放水路の左岸に注ぐ小松川境川の事で、
本来は西小松川村と地続きである。
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1/23 12:14
大島小松川公園
小松川は、荒川放水路の左岸に注ぐ小松川境川の事で、
本来は西小松川村と地続きである。
逆井の渡し場から上流方向
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1/23 12:10
逆井の渡し場から上流方向
小松川神社
祭神 天照皇大神
相殿 経津主神
境内社 浅間神社、御嶽神社、稲荷神社、水神社
小松川神社は、大正元年の荒川開さくにより当地域が旧西小松川村から分離、小松川町となったことに伴い、旧西小松川村の鎮守であった堂ヶ島の新小岩香取神社と、下之庭の西小松川天祖神社の分霊を、(当地にあった)西光寺境内の稲荷神社に昭和11年勧請して創建したといいます。(引用)
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1/23 12:11
小松川神社
祭神 天照皇大神
相殿 経津主神
境内社 浅間神社、御嶽神社、稲荷神社、水神社
小松川神社は、大正元年の荒川開さくにより当地域が旧西小松川村から分離、小松川町となったことに伴い、旧西小松川村の鎮守であった堂ヶ島の新小岩香取神社と、下之庭の西小松川天祖神社の分霊を、(当地にあった)西光寺境内の稲荷神社に昭和11年勧請して創建したといいます。(引用)
旧中川
南に向かって右カーブする川。
その外側に堆積していく島々と、
潮の流れとの狭間で西側で急成長する亀島。
その間に徐々に真っ直ぐな流れが形成していく。
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1/23 12:19
旧中川
南に向かって右カーブする川。
その外側に堆積していく島々と、
潮の流れとの狭間で西側で急成長する亀島。
その間に徐々に真っ直ぐな流れが形成していく。
平井白髭神社
祭神は猿田彦命
平井白髭神社の創建年代は不詳ですが、逆井村草創以来の鎮守で建治年間(1275-1278)の草創といい、室町時代後期から太田道灌の家老土谷相模守が当地周辺を所領、代々氏子総代を勤めてきたといいます。(引用)
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1/23 12:21
平井白髭神社
祭神は猿田彦命
平井白髭神社の創建年代は不詳ですが、逆井村草創以来の鎮守で建治年間(1275-1278)の草創といい、室町時代後期から太田道灌の家老土谷相模守が当地周辺を所領、代々氏子総代を勤めてきたといいます。(引用)
平井浅間神社
逆井の富士塚
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1/23 12:24
平井浅間神社
逆井の富士塚
平井駅
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1/23 12:35
平井駅
平井聖天燈明寺
文明年間(1469-1486)の開山と言われる。
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1/23 12:37
平井聖天燈明寺
文明年間(1469-1486)の開山と言われる。
平井諏訪神社
主祭神は建御名方神、合祀に春日明神。
隣の燈明寺が享保年間に創建。
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1/23 12:38
平井諏訪神社
主祭神は建御名方神、合祀に春日明神。
隣の燈明寺が享保年間に創建。
ある時期はここが利根川本流だったと考える。
水量の多いこの川、カーブ部分の堆積(?)台地の形はどうも不自然。
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1/23 13:00
ある時期はここが利根川本流だったと考える。
水量の多いこの川、カーブ部分の堆積(?)台地の形はどうも不自然。
大井戸稲荷
ここには、小さな稲荷の祠があって傍の井戸から清水がこんこんと湧き出ており、道行く人々は一休みしてお弁当をつかい、のどの渇きを潤していたと伝えられるとのことで、平安朝期からここは田園だったとされる。
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1/23 12:51
大井戸稲荷
ここには、小さな稲荷の祠があって傍の井戸から清水がこんこんと湧き出ており、道行く人々は一休みしてお弁当をつかい、のどの渇きを潤していたと伝えられるとのことで、平安朝期からここは田園だったとされる。
葛西川立花白髭神社
葛西川村の鎮守社として天和二年(1682)に創建。
元は吾嬬町東という地名だったが、
弟橘媛に由来して昭和41年に変更された。
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1/23 13:02
葛西川立花白髭神社
葛西川村の鎮守社として天和二年(1682)に創建。
元は吾嬬町東という地名だったが、
弟橘媛に由来して昭和41年に変更された。
文化財の鳥居
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1/23 13:04
文化財の鳥居
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1/23 13:05
立花大正民家
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1/23 13:09
立花大正民家
平井橋
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1/23 13:12
平井橋
平井天祖神社
祭神 大日孁命
相殿 経津主命、武甕槌命
境内社 香取神社、水神社
貞和四年(1349)に再興した旨の棟札が発見されていたらしい事から、それ以前から鎮座していたと推定される。
ここは、オオヒルメなんですね。
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1/23 13:20
平井天祖神社
祭神 大日孁命
相殿 経津主命、武甕槌命
境内社 香取神社、水神社
貞和四年(1349)に再興した旨の棟札が発見されていたらしい事から、それ以前から鎮座していたと推定される。
ここは、オオヒルメなんですね。
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1/23 13:19
安養寺
江戸時代初期の開基との事。
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1/23 13:22
安養寺
江戸時代初期の開基との事。
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1/23 13:27
平井大橋
平井地区と小岩地区を結ぶ。
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1/23 13:37
平井大橋
平井地区と小岩地区を結ぶ。
道ヶ島貝塚
中世時代と思われる貝塚、
は、この辺りの事かと。
よってこの付近は水辺との境目が近かった事が伺える。
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1/23 13:47
道ヶ島貝塚
中世時代と思われる貝塚、
は、この辺りの事かと。
よってこの付近は水辺との境目が近かった事が伺える。
道ヶ島貝塚
このすぐ北の住宅街を複雑に縫うように現在の葛飾区と江戸川区の区境がある。
それが何を意味するのか。
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1/23 13:48
道ヶ島貝塚
このすぐ北の住宅街を複雑に縫うように現在の葛飾区と江戸川区の区境がある。
それが何を意味するのか。
ここより東西に区境が延びていて、
東は小松川にぶつかると北に川沿いに延びていく。
その南西側の地名は“松島”。
小松川の右岸に当たるこの地区は、半島状であったと推察する。
この辺りの地形はもう少し考証してみたい。
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1/23 14:02
ここより東西に区境が延びていて、
東は小松川にぶつかると北に川沿いに延びていく。
その南西側の地名は“松島”。
小松川の右岸に当たるこの地区は、半島状であったと推察する。
この辺りの地形はもう少し考証してみたい。
東福院
創建は寛永八年(1631)。
この時当地はまだ荒地で、堂ヶ島と名付けられていたのだそう。
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1/23 13:56
東福院
創建は寛永八年(1631)。
この時当地はまだ荒地で、堂ヶ島と名付けられていたのだそう。
水神社
ミズハノメを祀る水神社は、この川(小松川境川)沿いに幾つもありそう。
小松川河口付近流域は平安時代後期にはかなり安定した暮らしが出来たと考えられる。
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1/23 14:08
水神社
ミズハノメを祀る水神社は、この川(小松川境川)沿いに幾つもありそう。
小松川河口付近流域は平安時代後期にはかなり安定した暮らしが出来たと考えられる。
新小岩香取神社
創建は元和年間と言われる。
御祭神は經津主命。
間々井香取神社とも。
“まま”とは単に“崖”を意味する古語であるので、国府台下を流れる真間川との関係を考えるのは危険なのだが……
いずれにせよ、現在の小松川の河岸ではある。
小松川は現在の葛飾区と江戸川区の境を成しており、
この区境界を北に進んでいくと、国府台城の北側の谷に続く事になる。
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1/23 14:10
新小岩香取神社
創建は元和年間と言われる。
御祭神は經津主命。
間々井香取神社とも。
“まま”とは単に“崖”を意味する古語であるので、国府台下を流れる真間川との関係を考えるのは危険なのだが……
いずれにせよ、現在の小松川の河岸ではある。
小松川は現在の葛飾区と江戸川区の境を成しており、
この区境界を北に進んでいくと、国府台城の北側の谷に続く事になる。
鷲神社
鷲神社って、祭神はヤマトタケルノミコトなのですね。
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1/23 14:09
鷲神社
鷲神社って、祭神はヤマトタケルノミコトなのですね。
新小岩香取神社
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1/23 14:10
新小岩香取神社
小松川境川親水公園
この不思議な名称は、
もともと存在した西小松川村と東小松川村の境界にある水路(川)という意味らしい。
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1/23 14:14
小松川境川親水公園
この不思議な名称は、
もともと存在した西小松川村と東小松川村の境界にある水路(川)という意味らしい。
小松川の由来は、水源である現在の葛飾区新小岩付近を小松村といった事からとの事。
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1/23 14:14
小松川の由来は、水源である現在の葛飾区新小岩付近を小松村といった事からとの事。
東小松川香取神社
祭神 経津主命
相殿 大国主神、武甕槌神、大宮比売神
末社 日枝神社、稲荷神社、水神社
建治三年(1277)に勧請したと伝わる。
土師時代の貝塚が発見されている。
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1/23 14:17
東小松川香取神社
祭神 経津主命
相殿 大国主神、武甕槌神、大宮比売神
末社 日枝神社、稲荷神社、水神社
建治三年(1277)に勧請したと伝わる。
土師時代の貝塚が発見されている。
東小松川香取神社
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1/23 14:18
東小松川香取神社
西小松川神社
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2/4 10:36
西小松川神社
五分一児童遊園
北東から南西に直線に伸びるこの道ら五分一通りというが、地名としては存在していないらしい。
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1/23 14:27
五分一児童遊園
北東から南西に直線に伸びるこの道ら五分一通りというが、地名としては存在していないらしい。
光福寺
天文元年(1532)に開山。
馴染みのある年号だね。
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1/23 14:29
光福寺
天文元年(1532)に開山。
馴染みのある年号だね。
五分一貝塚
江戸川区の情報では、この貝塚の年代は不詳らしい。
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1/23 14:31
五分一貝塚
江戸川区の情報では、この貝塚の年代は不詳らしい。
天明稲荷
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1/23 14:39
天明稲荷
行徳道
小松川境川をさらに下っていきます。
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1/23 14:42
行徳道
小松川境川をさらに下っていきます。
松江橋貝塚
こちらの貝塚は「中世?」という表記。
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1/23 14:46
松江橋貝塚
こちらの貝塚は「中世?」という表記。
松江橋貝塚
庚申塔は江戸時代
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1/23 14:50
松江橋貝塚
庚申塔は江戸時代
「東小松川大江川の水神講」
この名称の意味は、
“東小松川村の“おおえ川”の水神講”だろうか?
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1/23 14:53
「東小松川大江川の水神講」
この名称の意味は、
“東小松川村の“おおえ川”の水神講”だろうか?
小松川は右折する。
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1/23 14:54
小松川は右折する。
左岸のこちら側は、湾に面した崖端だったとも考えられる。
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1/23 14:54
左岸のこちら側は、湾に面した崖端だったとも考えられる。
小松川最下流部
この背後で水門から中川に流入していく。
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2/4 10:44
小松川最下流部
この背後で水門から中川に流入していく。
東小松川白髭神社
創建年代不詳ですが、建治年間(1275-1278)の創建とも言われ、東小松川香取神社、浮洲明神社と共に旧東小松川村の鎮守社であった。
中川放水路開鑿の為、浮洲明神社は当社境内に遷座した。
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1/23 14:57
東小松川白髭神社
創建年代不詳ですが、建治年間(1275-1278)の創建とも言われ、東小松川香取神社、浮洲明神社と共に旧東小松川村の鎮守社であった。
中川放水路開鑿の為、浮洲明神社は当社境内に遷座した。
裏手に回ると台地の上に建っている。
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1/23 14:55
裏手に回ると台地の上に建っている。
松江白山神社
もとは白山権現といい、戦国時代に、
西一之江村の旧家である矢作家の先祖が加賀の白山神社を分霊して祀ったとある。
具体的な年代は分からない。
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1/23 15:09
松江白山神社
もとは白山権現といい、戦国時代に、
西一之江村の旧家である矢作家の先祖が加賀の白山神社を分霊して祀ったとある。
具体的な年代は分からない。
一之江境川
この名前も前述の小松川境川と同様の名付け方である。
こちらは、小合溜井を水源とする仲井堀(上下之割用水)から分流している。
西一之江村と東一之江村の境を流れていた川を意味する。
小松川と同様、この流路は、もっと古い時代からの名残であると推定したい。
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1/23 15:43
一之江境川
この名前も前述の小松川境川と同様の名付け方である。
こちらは、小合溜井を水源とする仲井堀(上下之割用水)から分流している。
西一之江村と東一之江村の境を流れていた川を意味する。
小松川と同様、この流路は、もっと古い時代からの名残であると推定したい。
西一之江香取神社
鎌倉時代の創建と伝わるが具体的な年代は不明。
この付近が一之江の河口部分だったと推定する。
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1/23 15:18
西一之江香取神社
鎌倉時代の創建と伝わるが具体的な年代は不明。
この付近が一之江の河口部分だったと推定する。
一之江抹香亭
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1/23 15:25
一之江抹香亭
一之江水神社
一之江を遡って来ました。
この「一之江」って名称、“いちの河”の意味なら市川と無関係とは思えないんだけどなぁ……。
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1/23 15:26
一之江水神社
一之江を遡って来ました。
この「一之江」って名称、“いちの河”の意味なら市川と無関係とは思えないんだけどなぁ……。
一之江天満宮
天神山貝塚
鎌倉時代の創建と伝わるが年代は不詳。
この地に中世時代のものと思われる貝塚が発見されている。
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1/23 15:33
一之江天満宮
天神山貝塚
鎌倉時代の創建と伝わるが年代は不詳。
この地に中世時代のものと思われる貝塚が発見されている。
天神山貝塚?
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1/23 15:32
天神山貝塚?
一之江境川親水公園跡
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1/23 15:45
一之江境川親水公園跡
一之江馬場八幡宮
情報としては、江戸後期には祀られていた事しか分からなかった。
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1/23 15:46
一之江馬場八幡宮
情報としては、江戸後期には祀られていた事しか分からなかった。
一之江境川親水公園
この辺りが、一之江の河口部分だったと推察する。
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1/23 15:50
一之江境川親水公園
この辺りが、一之江の河口部分だったと推察する。
一之江境川親水公園の案内板
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1/23 15:50
一之江境川親水公園の案内板
一之江境川水神社
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1/23 15:52
一之江境川水神社
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1/23 15:57
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1/23 15:59
船堀日枝神社
慶長19年の創祀。
祭神は国常立尊
相殿 春日大神、稲荷大神
境内社 水神社、天祖神社。
新田開拓の為に祀られたが、この頃にはこの東側は安定して陸地化されていたはずである。
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1/23 16:05
船堀日枝神社
慶長19年の創祀。
祭神は国常立尊
相殿 春日大神、稲荷大神
境内社 水神社、天祖神社。
新田開拓の為に祀られたが、この頃にはこの東側は安定して陸地化されていたはずである。
光明寺
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1/23 16:06
光明寺
船堀駅付近
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1/23 16:08
船堀駅付近
船堀駅付近
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1/23 16:12
船堀駅付近
日枝神社の付近からこの辺りまで硬い地質であり、
これを、岬の名残であったと類推する。
すると、西の亀島系及び葛西川堆積地と、こちら側の岬とで湾が狭められている事になり、
旧小松川及び旧一之江河口付近は穏やかな湾が続いていた事になる。
だからこそ、貝塚などの遺跡の数も多いのでは。
また、この湾内から亀島系島々の北岸を西に進むと、
京島、曳舟、押上、寺島地区へと、比較的古い時代からの営みの痕跡が見られるルートが見えてくる。
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1/23 16:15
日枝神社の付近からこの辺りまで硬い地質であり、
これを、岬の名残であったと類推する。
すると、西の亀島系及び葛西川堆積地と、こちら側の岬とで湾が狭められている事になり、
旧小松川及び旧一之江河口付近は穏やかな湾が続いていた事になる。
だからこそ、貝塚などの遺跡の数も多いのでは。
また、この湾内から亀島系島々の北岸を西に進むと、
京島、曳舟、押上、寺島地区へと、比較的古い時代からの営みの痕跡が見られるルートが見えてくる。
船堀稲荷神社
元禄四年(1691)に創建。
御祭神は豊受姫命、水神社、根乃権現神社。
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船堀稲荷神社
元禄四年(1691)に創建。
御祭神は豊受姫命、水神社、根乃権現神社。
稲荷神社
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2/4 10:56
稲荷神社
稲荷神社
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2/4 10:57
稲荷神社
稲荷神社
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稲荷神社
新川西水門広場
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1/23 16:17
新川西水門広場
現、荒川左岸から対岸をみる。
ちょうどこの川幅くらいで、
岬と岬が狭まっているような地形であり、
上流側は安定した港が複数存在する湾があったと妄想している。
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1/23 16:26
現、荒川左岸から対岸をみる。
ちょうどこの川幅くらいで、
岬と岬が狭まっているような地形であり、
上流側は安定した港が複数存在する湾があったと妄想している。
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1/23 16:26
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1/23 16:27
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豊栄稲荷神社
元禄三年(1690)創建。
明治元年に浅間神社の兼務社となった。
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豊栄稲荷神社
元禄三年(1690)創建。
明治元年に浅間神社の兼務社となった。
豊栄稲荷神社
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豊栄稲荷神社
船堀川
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船堀川
七軒町水神宮
かつて宇喜田川が流れていたそのほとりに立つ。
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七軒町水神宮
かつて宇喜田川が流れていたそのほとりに立つ。
新川千本桜
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新川千本桜
新川
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新川
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