奥武蔵:長尾根山-五常山-沢山峠-大西峰-北向地蔵-愛宕山-観音ヶ岳-スカリ山-エビガ坂-茶之岳山(茶嶽山)-大沢山-越上山-阿寺諏訪神社-長沢-吾野駅-前坂-飛村-栃屋谷-天王山-竹寺-子の権現-吾野駅


- GPS
- --:--
- 距離
- 25.5km
- 登り
- 1,736m
- 下り
- 1,669m
天候 | 朝曇り後晴れ、午後しばらくして曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2025年02月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
吾野駅out |
写真
感想
奥武蔵:長尾根山-五常山-沢山峠-大西峰-北向地蔵-愛宕山-観音ヶ岳-スカリ山-エビガ坂-茶之岳山(茶嶽山)-大沢山-越上山-阿寺諏訪神社-長沢-吾野駅-前坂-飛村-栃屋谷-天王山-竹寺-子の権現-吾野駅
長尾根山 273m
五常山 305m
大西峰 390m
北向地蔵
愛宕山 400m
観音ヶ岳 427m
スカリ山 434.9m
茶之岳山(茶嶽山) 450m
大沢山 480m
越上山 566.3m
前坂 425m
天王山 518m
竹寺 490m
子の権現
武蔵横手駅6:45-7:10長尾根山7:15-五常山7:30-沢山峠7:47-大西峰7:55-北向地蔵8:07-愛宕山8:11-観音ヶ岳8:21-スカリ山8:26-エビガ坂8:40-茶之岳山(茶嶽山)8:50-大沢山9:05-越上山9:35-阿寺諏訪神社9:50-長沢-10:55吾野駅11:00-前坂11:25-飛村-栃屋谷-天王山12:45-13:10竹寺13:15-14:10子の権現14:15-15:20吾野駅
8h35m
目的は、スカリ山と竹寺。この二つを結んで計画した。スカリ山は、武蔵横手駅からがよさそうだ。当初は、竹寺から小殿バス停、あるいは、周助山~ノポットを経て原市場中学バス停を考えていたが、竹寺から子の権現を経由して吾野駅に戻る案に、竹寺手前で変更した。午後に竹寺を持ってきたのは、福寿草鑑賞のためだ。午後になると花が開く。福寿草は竹寺の庭と昨年同様に子の権現でも鑑賞できた。朝8時頃から晴れてきたが、展望地では春が近づいてきたせいか霞んで見えた。
子の権現天龍寺
当山は、延喜11年(911)に子ノ聖が天龍寺を創建したことに始まる。子ノ聖は、天長9年(832)、子ノ年子の月子ノ日子ノ刻を紀伊国で生まれ、僧となって諸国を回って修行を積んだ。特に出羽三山において終業を重ねて、ある日月山の頂上に登り般若心経を取り出して「南無三世仏母般若妙典、願わくば、われ、永く跡を垂るべき地を示し給へ」と空高く投げた。するとそのお経は南へ飛んで当山の奥之院(経ヶ峰)に降り、光を発した。この光を目当てに当山山麓まで来て、山を開こうとした聖は、悪鬼どもに襲われて火を放たれた。しかし十一面観音が天龍の姿となって現れて大雨を降らし火を消してくれた。その後、当山で終業教化に励んだ聖は、長和元年(1012) 「我、すでに化縁つけぬれば、寂光土に帰る。然れどもこの山に跡を垂れて、永く衆生を守らん。我、魔火のために腰より下に傷を負い悩めることあり、よって、腰より下に病ある者、誠の心で我を念ずれば、必ず霊験を授けん。能除一切苦」というご誓願を遺し齢百八十一才で化寂された。
それ以降、子ノ聖の尊像をお祀りして、足腰守護の神様として広く信仰されることになった。「子」には、物事の始まり、全てのものを生み出し育む大本の意がある。
豆口峠(神送り場)
峠は隣の村との連絡路であると共に、村境であることが多い。峠の近くには神送り場というところがある。むかし、疫病が流行ると村人は夜中大勢で鐘や太鼓を叩いてかけ登り、頂上で疫病神を追払う習わしがあった。
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人