『 みもすそ川公園 』は、国道9号線沿い関門大橋の下関側橋脚付近に位置し、道路の向かい側には、「関門トンネル人道口」がある。14:00
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3/25 14:31
『 みもすそ川公園 』は、国道9号線沿い関門大橋の下関側橋脚付近に位置し、道路の向かい側には、「関門トンネル人道口」がある。14:00
「みもすそ川」とは、元々はこの様な漢字で表現された。この辺りに存在していた川の名称が、そのまま町名となっている。
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3/25 14:11
「みもすそ川」とは、元々はこの様な漢字で表現された。この辺りに存在していた川の名称が、そのまま町名となっている。
山口県下関側から観た関門海峡越しに続く関門大橋の対岸に見える山が、「和布刈(めかり)公園内」にある「 古城山」だ。
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3/25 14:12
山口県下関側から観た関門海峡越しに続く関門大橋の対岸に見える山が、「和布刈(めかり)公園内」にある「 古城山」だ。
150年前の当時を再現した迫力ある「長州砲」レプリカ群。
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3/25 14:16
150年前の当時を再現した迫力ある「長州砲」レプリカ群。
史実では、四国連合艦隊と砲撃戦をした「長州砲」は、 戦利品として連合軍が本国に持ち帰った
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3/25 14:15
史実では、四国連合艦隊と砲撃戦をした「長州砲」は、 戦利品として連合軍が本国に持ち帰った
長州藩が英米蘭仏四国連合艦隊との砲撃戦で使用した「天保長州砲」のレプリカ展示物。
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3/25 14:13
長州藩が英米蘭仏四国連合艦隊との砲撃戦で使用した「天保長州砲」のレプリカ展示物。
この石碑にあるのは、祖母に当たる平 清盛の正室である二位尼(平 時子)は、安徳天皇を抱きかかえたまま、「波の下にも都がございます」と慰め、安徳天皇を抱いたまま壇ノ浦の急流に身を投じたと伝えられるが、そのとき二位尼の辞世の句だ
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3/25 14:23
この石碑にあるのは、祖母に当たる平 清盛の正室である二位尼(平 時子)は、安徳天皇を抱きかかえたまま、「波の下にも都がございます」と慰め、安徳天皇を抱いたまま壇ノ浦の急流に身を投じたと伝えられるが、そのとき二位尼の辞世の句だ
「壇ノ浦の合戦」で船と船の間を次から次と鎧甲冑姿で身軽に飛び移ったという伝説の「義経の八艘飛び」を表現した源 義経(1159〜1189)像 。
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3/25 14:25
「壇ノ浦の合戦」で船と船の間を次から次と鎧甲冑姿で身軽に飛び移ったという伝説の「義経の八艘飛び」を表現した源 義経(1159〜1189)像 。
公園内では、観光ボランティアが観光客相手に「高杉晋作」の紙芝居を無料で熱心に演じていた。
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3/25 14:26
公園内では、観光ボランティアが観光客相手に「高杉晋作」の紙芝居を無料で熱心に演じていた。
下関側の海底トンネル人道口の建物。この建物の前に20台以上の無料駐車場有り。
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3/25 14:17
下関側の海底トンネル人道口の建物。この建物の前に20台以上の無料駐車場有り。
こちらが門司の和布刈側の海底トンネル人道口の建物(下関側から望遠撮影)。
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3/25 14:16
こちらが門司の和布刈側の海底トンネル人道口の建物(下関側から望遠撮影)。
公園向かい側の関門トンネル人道口
付近にある下関市の観光案内図。
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3/25 14:33
公園向かい側の関門トンネル人道口
付近にある下関市の観光案内図。
トンネルに入る前に付属施設にある『関門プラザ』に立ち寄った。トンネルに関する歴史や写真資料、開通工事の模様などを展示。入場は無料。 自動ドアの正面は、下関のシンボルで有名な「河豚(ふぐ)」の絵。
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3/25 14:02
トンネルに入る前に付属施設にある『関門プラザ』に立ち寄った。トンネルに関する歴史や写真資料、開通工事の模様などを展示。入場は無料。 自動ドアの正面は、下関のシンボルで有名な「河豚(ふぐ)」の絵。
部屋の中は明るく、エアコンも常時動いていて快適だ。ここで、トンネルの勉強ができる。
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3/25 14:02
部屋の中は明るく、エアコンも常時動いていて快適だ。ここで、トンネルの勉強ができる。
人道口エレベーター前に設置された通行可能時間や注意書きのある掲示板。犬や猫などの動物は不許可。通行料は、人は無料だが、自転車や原付は20円。通行時間は、06:00〜22:00まで。
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3/25 14:49
人道口エレベーター前に設置された通行可能時間や注意書きのある掲示板。犬や猫などの動物は不許可。通行料は、人は無料だが、自転車や原付は20円。通行時間は、06:00〜22:00まで。
海底トンネルに降下するエレベーターに乗車する。14:30
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3/25 16:47
海底トンネルに降下するエレベーターに乗車する。14:30
トンネル内での現在位置を示す表示板。 海底部分が780mということがわかる。
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3/25 14:39
トンネル内での現在位置を示す表示板。 海底部分が780mということがわかる。
ここは、海峡の真ん中だ!ここが半分の県境地点!
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3/25 14:42
ここは、海峡の真ん中だ!ここが半分の県境地点!
このエレベーターに乗って門司側の地上に出る。14:50
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3/25 14:46
このエレベーターに乗って門司側の地上に出る。14:50
壇ノ浦の古戦場だったこの海峡の潮の流れは早いことで有名だ。海面を観ていると・・・白く激しい波が大きく渦(うず)を巻いて激しく音を立てながら流れていた。平家一門の滅亡となった壇ノ浦の海戦では、どれだけ多くの人々が亡くなったのだろうか。
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3/25 14:50
壇ノ浦の古戦場だったこの海峡の潮の流れは早いことで有名だ。海面を観ていると・・・白く激しい波が大きく渦(うず)を巻いて激しく音を立てながら流れていた。平家一門の滅亡となった壇ノ浦の海戦では、どれだけ多くの人々が亡くなったのだろうか。
ここ和布刈(めかり)に古くからあるのが由緒ある「和布刈神社」だ。REALISTは、幼稚園の修学旅行で和布刈公園を訪れた際にここにも母と同伴で立ち寄っていた。
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3/25 14:57
ここ和布刈(めかり)に古くからあるのが由緒ある「和布刈神社」だ。REALISTは、幼稚園の修学旅行で和布刈公園を訪れた際にここにも母と同伴で立ち寄っていた。
「和布刈(めかり)神社の出入り口門。15:00
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3/25 14:57
「和布刈(めかり)神社の出入り口門。15:00
「和布刈神社」を訪れ、神社なら必ずある境内の手水で身を清めるための「手水舎(ちょうずや・てみずや)」を撮影した。
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3/25 14:58
「和布刈神社」を訪れ、神社なら必ずある境内の手水で身を清めるための「手水舎(ちょうずや・てみずや)」を撮影した。
関門大橋の下の海岸沿いはこうなってる。
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3/25 15:07
関門大橋の下の海岸沿いはこうなってる。
関門海峡を望めるベンチ!アベックで来るべきデートスポット!
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3/25 14:59
関門海峡を望めるベンチ!アベックで来るべきデートスポット!
「平家の一杯水」の説明内容が書かれているので、一応はその意味だけは理解できたが・・・・
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3/25 15:05
「平家の一杯水」の説明内容が書かれているので、一応はその意味だけは理解できたが・・・・
海峡の海岸付近に咲く白い大きな桜の花がどれも美しくまぶしく感じた。春の訪れを教えてくれる汚れのない純白の花たちを眺めていると、心が洗われるようだった。
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3/25 15:03
海峡の海岸付近に咲く白い大きな桜の花がどれも美しくまぶしく感じた。春の訪れを教えてくれる汚れのない純白の花たちを眺めていると、心が洗われるようだった。
「明石与次兵衛塔」??何だ??
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3/25 15:15
「明石与次兵衛塔」??何だ??
その意味が書かれた解説碑文。秀吉の時代の船奉行だったらしいが、彼の死を悼んで細川忠興が建てたものだ。それ以降は、この塔は、海難守護神として祀られていたそうな。
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3/25 15:14
その意味が書かれた解説碑文。秀吉の時代の船奉行だったらしいが、彼の死を悼んで細川忠興が建てたものだ。それ以降は、この塔は、海難守護神として祀られていたそうな。
これが、その「明石与次兵衛塔」だ。江戸時代に日本で活躍したドイツ人のシーボルトもこの塔を見て、その著書「日本」に挿絵を描いていたそうだ。へ〜〜そうなんだ!まさか、これがそんな貴重なものとは!
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3/25 15:14
これが、その「明石与次兵衛塔」だ。江戸時代に日本で活躍したドイツ人のシーボルトもこの塔を見て、その著書「日本」に挿絵を描いていたそうだ。へ〜〜そうなんだ!まさか、これがそんな貴重なものとは!
落ち葉の積もった公園内の道をゆったりと歩く。
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3/25 15:16
落ち葉の積もった公園内の道をゆったりと歩く。
車道に出て、第2展望台方向を目指す。桜の季節らしい風景。
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3/25 15:26
車道に出て、第2展望台方向を目指す。桜の季節らしい風景。
和布刈(めかり)神社付近から和布刈公園内を登って行くと、5分程度で、この案内表示板が見えてくる。この地点から約1kmを登ると入口だ。
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3/25 15:11
和布刈(めかり)神社付近から和布刈公園内を登って行くと、5分程度で、この案内表示板が見えてくる。この地点から約1kmを登ると入口だ。
公園内で見晴らしの良い「第2展望台」を目指して歩くと、あちらこちらに満開の桜が咲き誇っていた。
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3/25 15:41
公園内で見晴らしの良い「第2展望台」を目指して歩くと、あちらこちらに満開の桜が咲き誇っていた。
第2展望台の案内表示板。 和布刈神社から徒歩で20分程度かかる。
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3/25 15:27
第2展望台の案内表示板。 和布刈神社から徒歩で20分程度かかる。
第2展望台に進む階段。15:30
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3/25 15:27
第2展望台に進む階段。15:30
「関門橋展望広場」とある。「第2展望台」と同じだ。どちらでも良いが、統一した名称にすべし!
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3/25 16:18
「関門橋展望広場」とある。「第2展望台」と同じだ。どちらでも良いが、統一した名称にすべし!
関門港と関門大橋が綺麗に観えるビューポイントは、和布刈公園内の第2展望台だろう。ここから関門大橋を撮影してみた。
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3/25 15:39
関門港と関門大橋が綺麗に観えるビューポイントは、和布刈公園内の第2展望台だろう。ここから関門大橋を撮影してみた。
「義経・平家伝説 ゆかりの地 壇ノ浦合戦壁画」とある。壁画は、赤間神宮(下関市阿弥陀寺町)所蔵の『安徳天皇縁起図』から「壇之浦合戦」の模様を有田焼の陶板で再現!
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3/25 15:45
「義経・平家伝説 ゆかりの地 壇ノ浦合戦壁画」とある。壁画は、赤間神宮(下関市阿弥陀寺町)所蔵の『安徳天皇縁起図』から「壇之浦合戦」の模様を有田焼の陶板で再現!
板張りの特大テラスのような上から壁画を鑑賞。壇ノ浦の合戦の模様を表現した屏風のような大壁画だ。
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3/25 15:47
板張りの特大テラスのような上から壁画を鑑賞。壇ノ浦の合戦の模様を表現した屏風のような大壁画だ。
源平合戦らしい雰囲気。長刀(なぎなた)を持った源氏と平家の若武者の一騎打ち!
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3/25 15:43
源平合戦らしい雰囲気。長刀(なぎなた)を持った源氏と平家の若武者の一騎打ち!
平家の猛将「平教経(のりつね)」に追われ、「八艘飛び」で逃げきる源義経 。
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3/25 15:44
平家の猛将「平教経(のりつね)」に追われ、「八艘飛び」で逃げきる源義経 。
右上の海中に身を投じたのは、安徳天皇の母である建礼門院(平清盛の娘・平徳子)で、源氏の兵士が引き揚げて助かった建礼門院は、出家して京都大原寂光院の尼僧として過ごした。写真右下の船の中央屋根の下にいる白服の女性が建礼門院の母で平清盛の正室の二位の尼(平時子)で、その左隣が安徳天皇だ。二位の尼は、安徳天皇を抱き かかえたまま、「波の下にも都がございます」と慰め、壇ノ浦の急流に身を投じた。 安徳天皇は、歴代最年少の数え年8歳(満6歳4ヶ月、6年124日)で崩御した。 敗戦が迫ると、他の多くの女官や武将なども次々に海中に没した。
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3/25 15:42
右上の海中に身を投じたのは、安徳天皇の母である建礼門院(平清盛の娘・平徳子)で、源氏の兵士が引き揚げて助かった建礼門院は、出家して京都大原寂光院の尼僧として過ごした。写真右下の船の中央屋根の下にいる白服の女性が建礼門院の母で平清盛の正室の二位の尼(平時子)で、その左隣が安徳天皇だ。二位の尼は、安徳天皇を抱き かかえたまま、「波の下にも都がございます」と慰め、壇ノ浦の急流に身を投じた。 安徳天皇は、歴代最年少の数え年8歳(満6歳4ヶ月、6年124日)で崩御した。 敗戦が迫ると、他の多くの女官や武将なども次々に海中に没した。
こんな感じの舗装された車道と一体型の歩道側を歩いて行く。これは、登山というよりも散歩だ。車でも行けるけど、歩くことに意味がある。
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3/25 15:52
こんな感じの舗装された車道と一体型の歩道側を歩いて行く。これは、登山というよりも散歩だ。車でも行けるけど、歩くことに意味がある。
20分程度で、『 門司城跡 』入口に到着。ここから左に登って行くことになる。道は狭くなるが舗装されている。
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3/25 15:54
20分程度で、『 門司城跡 』入口に到着。ここから左に登って行くことになる。道は狭くなるが舗装されている。
『 門司城 』の解説碑文。
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3/25 15:55
『 門司城 』の解説碑文。
こんな感じの登り道がしばらく続く。
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3/25 15:57
こんな感じの登り道がしばらく続く。
突然、山腹側に小さな鳥居が出現! 鳥居の上にある文字は「山の神」とある。
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3/25 15:58
突然、山腹側に小さな鳥居が出現! 鳥居の上にある文字は「山の神」とある。
奥へ進むと石製の頑丈な祭壇が合った。とりあえず、登山安全を祈願。
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3/25 15:59
奥へ進むと石製の頑丈な祭壇が合った。とりあえず、登山安全を祈願。
先を見ると・・・石垣の様な物が見える。
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3/25 16:01
先を見ると・・・石垣の様な物が見える。
間もなく、巨大なレンガ造りの頑丈な入口のある構造物発見! 入口は閉鎖されて中に入ることはできない。奥行きはかなりある大きな施設だが・・・ これは、対岸の下関側にも同様のものが残っている戦争中の対空砲陣地の跡で、火薬庫や兵員室を備えた施設の跡だ。
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3/25 16:02
間もなく、巨大なレンガ造りの頑丈な入口のある構造物発見! 入口は閉鎖されて中に入ることはできない。奥行きはかなりある大きな施設だが・・・ これは、対岸の下関側にも同様のものが残っている戦争中の対空砲陣地の跡で、火薬庫や兵員室を備えた施設の跡だ。
それから、すぐに山頂となる。
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3/25 16:03
それから、すぐに山頂となる。
16:00、山頂に到着!・・・そこの中央にあるこのセメントの構造物は、戦争中の対空砲陣地の台座の跡だ。ここに対空砲が据え付けられ、戦時中は、アメリカ軍機が接近すると、直ちに兵士が駆けつけ、ここから360度回転する対空砲により対空射撃をしていた。
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3/25 16:05
16:00、山頂に到着!・・・そこの中央にあるこのセメントの構造物は、戦争中の対空砲陣地の台座の跡だ。ここに対空砲が据え付けられ、戦時中は、アメリカ軍機が接近すると、直ちに兵士が駆けつけ、ここから360度回転する対空砲により対空射撃をしていた。
これが、山頂にある『 門司城跡 』の石碑だ。 周囲を見渡したが、城跡を示すような遺物は見当たらなかった。ここから、下界を見ると、関門海峡が見渡せる。
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3/25 16:04
これが、山頂にある『 門司城跡 』の石碑だ。 周囲を見渡したが、城跡を示すような遺物は見当たらなかった。ここから、下界を見ると、関門海峡が見渡せる。
関門海峡を少しだけ望遠撮影。16:10、下山開始!下山は、往路を戻ったが、途中、公園内北側の大駐車場方面を抜け、海岸沿いを歩き関門トンネル人道口経由で下関側に戻った。17:10
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関門海峡を少しだけ望遠撮影。16:10、下山開始!下山は、往路を戻ったが、途中、公園内北側の大駐車場方面を抜け、海岸沿いを歩き関門トンネル人道口経由で下関側に戻った。17:10
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