滝山城跡:昭島駅から拝島駅


- GPS
- 05:07
- 距離
- 14.4km
- 登り
- 106m
- 下り
- 97m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2025年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
良く整備されている |
写真
感想
一度訪れた滝川城跡、当時桜の季節に再訪してみたいという記憶があった。
かたらいの路:滝山城跡 2023年02月27日(月) [日帰り]
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-5221279.html
同じ尾根径を通過するにしても、異なった町並みを実感したいと思い、出発地・帰着地を変えることにした。今回の桜の季節、新たな気づきがあったのも新鮮だった。
往路、既に多摩川は秋川を合流している地域。河川敷は広大で渡る橋も長いことが実感できる。
前回来訪時尾根の上から対岸を望み、武田信玄が拝島大師付近に本陣を設置したとの話題を覚えていた。付近を通過しながらも、拝島大師を参拝し滝山城跡を望むことを忘れてしまったことは残念であった。
前回気付かなかったが、尾根南面に八王子乗馬倶楽部の外乗コースが設定されていた。いまさらながらだが、体験してみたい気持ちもある。
.........
当倶楽部には都内でも唯一の林間コースを備えているので、野外騎乗を身近に体験でき、柵で覆われた平地の馬場では得られないバランス感覚を養えます。
https://hachioji-rc.co.jp/
........
前回訪れた霞神社では、今回改めて石碑に記載された内容に興味を惹かれた。
以下のように、日露戦争後の戦死者に向けて造られ、太平洋戦争でさらに拡張したようだ。
.......
明治三十七八年戦役(日露戦争)に、武勲を樹て散華された英霊を、奉斎せん爲、明治四十五年五月一日、當時の在郷軍人會加住村分會の首唱によって、史蹟である北条氏照の居城滝山城趾本丸跡を卜し、神社を創建して、霞神社と稱した。この時に奉斎の英霊は十五柱で、爾後、毎年盛大な慰霊顕彰の祭典が奉仕され来った。昭和の御代となり、満州事変、支那事変及び大東亜戦争に出征し、戦功を挙げて、戦歿された壱百二十九柱の英霊を、更に合祀して、今日に至った。今回、八王子市合併を機とし、加住地區遺族會が發起して、設立された滝山霞神社銘碑建設協賛會により、ここに碑を建て、霞神社御祭神芳名を録し、その勲功を永久に傳へんとするものである。
https://tesshow.jp/tama/hachioji/shrine_takatsuki_kasmi.html
.........
帰路は、多摩川上流側に向かい秋川・多摩川をそれぞれ橋で通過して石川酒造から拝島駅に向かった。
多摩川右岸から秋川右岸にかけて堤の河川敷は広く一部は畑になっている。また堤から山麓までは取水口からの水も豊富で畑が多くほとんどの屋敷は山麓沿いにある。山麓には桑の古木が記念樹とされ前回印象に残っていたが、水の豊富な畑は今回改めて気付かされた。
拝島橋からの取水口から直ぐに石川酒造があり、水が豊富な地域の立地であることが納得できた。既に15年以上前だろうか、かつて職場の若い方を誘って夕食がてら訪れた記憶がある。今はさらににぎわっている雰囲気だった。当時拝島駅から歩いて訪れたが、周辺は畑で当時はまだ珍しかったズッキーニなども見かけたことが記憶にある。いまでは畑はほとんど見受けられず戸建て住宅が建っていた。時の変化を感じさせた。駅の周辺で一人反省会、新たな気づきも多い、いい時間を過ごすことができた。
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する