記録ID: 810310
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キャンプ等、その他
東北
山ではありません、その筋の方、嫌いじゃないひと専用です
2016年02月11日(木) [日帰り]
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過去天気図(気象庁) | 2016年02月の天気図 |
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写真
平成2年いや3年?、紀勢本線紀伊勝浦
大阪からくろしお〜南紀〜新幹線と乗り継いでる途中
大阪方から名古屋方面へ紀勢本線で乗り継ぐ客は当然少ないので、接続は悪い。
時はちょうど昼飯時勝浦の町で食べた太刀魚の焼いたのがうまかった
車両はもともと名古屋地区にあったキハ82ほか4連
国鉄時代は食堂車入りの堂々たる編成だった。
そもそもキハ80系列はキシがないと編成が組めなかった
キロを両栓改造して短編成化を実現
大阪からくろしお〜南紀〜新幹線と乗り継いでる途中
大阪方から名古屋方面へ紀勢本線で乗り継ぐ客は当然少ないので、接続は悪い。
時はちょうど昼飯時勝浦の町で食べた太刀魚の焼いたのがうまかった
車両はもともと名古屋地区にあったキハ82ほか4連
国鉄時代は食堂車入りの堂々たる編成だった。
そもそもキハ80系列はキシがないと編成が組めなかった
キロを両栓改造して短編成化を実現
これも同じく紀伊勝浦
最近の車両にはない重厚感、重量感が、すきな人にはたまらないでしょ?
AU12のクーラーキセがちょー懐かしい
うなるDMH17!
フィルムスキャンの色調がおかしいな、窓周りの赤が紫がかってる。
最近の車両にはない重厚感、重量感が、すきな人にはたまらないでしょ?
AU12のクーラーキセがちょー懐かしい
うなるDMH17!
フィルムスキャンの色調がおかしいな、窓周りの赤が紫がかってる。
猫ひげがいいね
奥は381系くろしお
381系も残すは「やくも」のみ、鬼籍入りも近そう
キハ82は渡り板の車番からキハ82−91
向日町に昭和40年新製配置
向日町だと「日向」とか「かもめ」とか九州特急運用のほかに「白鳥」とかにも入ってたのかな
奥は381系くろしお
381系も残すは「やくも」のみ、鬼籍入りも近そう
キハ82は渡り板の車番からキハ82−91
向日町に昭和40年新製配置
向日町だと「日向」とか「かもめ」とか九州特急運用のほかに「白鳥」とかにも入ってたのかな
和田岬線
キハ30に置き換わる直前に乗りに行った、JR最後の旧客営業区間
最近は103系が走ってるらしい。
オハ64(和田岬線専用の客車)ほか旧客を連ねる
行った頃は旧客置き換え間近で同業者が多く、2〜3両増結されていた模様
増結は普通のスハ43とかで、これはこれで懐かしかった。
キハ30に置き換わる直前に乗りに行った、JR最後の旧客営業区間
最近は103系が走ってるらしい。
オハ64(和田岬線専用の客車)ほか旧客を連ねる
行った頃は旧客置き換え間近で同業者が多く、2〜3両増結されていた模様
増結は普通のスハ43とかで、これはこれで懐かしかった。
スハフ42の後ろ姿、もしかするとオハフ46かも、いやいや、オハフ61か?詳しい方よろしくです。
端梁の形状からから、40系列な気がします。
ちなみにスハフ42とオハフ46の違いは台車
スハのTR47台車をスハネ16とかオシ16に供出して、TR23に振り替えたのがオハです。
スハはTR47、オハはTR23、オハの方が若干軽いです。
端梁の形状からから、40系列な気がします。
ちなみにスハフ42とオハフ46の違いは台車
スハのTR47台車をスハネ16とかオシ16に供出して、TR23に振り替えたのがオハです。
スハはTR47、オハはTR23、オハの方が若干軽いです。
おそらく盛岡駅、583系はつかり
電ネの昼行時、シートピッチが広いとはいえ、向かい合わせのボックスシートは特急っぽくなくて不評だったそうです。
モハネ582のパンタ下の中段はロネもびっくりの居住性。
ちなみに電ネ3段は時刻表から消えましたが、営業制度上は料金区分が残っています。さらに客車3段もしつこく制度が残っています。
電ネの昼行時、シートピッチが広いとはいえ、向かい合わせのボックスシートは特急っぽくなくて不評だったそうです。
モハネ582のパンタ下の中段はロネもびっくりの居住性。
ちなみに電ネ3段は時刻表から消えましたが、営業制度上は料金区分が残っています。さらに客車3段もしつこく制度が残っています。
これは「たざわ」なので間違いなく盛岡
東北新幹線上野開業を境に、東北特急の大幅削減と特急短編成化がすすみ485系一族も改造の嵐に
サハ、サロの先頭車改造は80系を彷彿させます。
あと、好きだったのは、クモハ485の0番台
モハ485を先頭車改造する際、床下に余裕がなく
MG・CPを搭載するための機器室が運転席後ろにあり
重量感たっぷりの国鉄らしいスタイルです。
東北新幹線上野開業を境に、東北特急の大幅削減と特急短編成化がすすみ485系一族も改造の嵐に
サハ、サロの先頭車改造は80系を彷彿させます。
あと、好きだったのは、クモハ485の0番台
モハ485を先頭車改造する際、床下に余裕がなく
MG・CPを搭載するための機器室が運転席後ろにあり
重量感たっぷりの国鉄らしいスタイルです。
急に変わって、新潟駅
485系一族でも少数派の1500番台
札幌電化による「いしかり」運転のために、北海道用に耐寒強化して新製配置
モータ、抵抗など電装品に北海道特有の粉雪が入り込み、絶縁不良による故障多発、さんざん遅れたあげく打ち切りとかも結構あったらしい。
ふつうの抵抗制御だとダメなんだな、やっぱり
先に投入された711系はサイリスタ位相制御なので、無接点だし、雪切室とかもあるし
485系一族でも少数派の1500番台
札幌電化による「いしかり」運転のために、北海道用に耐寒強化して新製配置
モータ、抵抗など電装品に北海道特有の粉雪が入り込み、絶縁不良による故障多発、さんざん遅れたあげく打ち切りとかも結構あったらしい。
ふつうの抵抗制御だとダメなんだな、やっぱり
先に投入された711系はサイリスタ位相制御なので、無接点だし、雪切室とかもあるし
東北乗りつぶしの最後はヘッドマークがかっこいい「ゆうづる」
東北本線のどっかの駅だけど、いくら夏の日が長い時期とはいえ、撮影可能時間帯に東北本線を走るスジがあったか超疑問
ED75の横の駐車場に止まってるワンダーシビックも懐かしい。
思えば、ハコ(電車)ばっかり撮らないで、町とかも撮っておけばよかった。
この時は東北ワイド周遊券の有効期間14日をギリギリまでつかって、ほぼ全線を乗り切った。それも夜行14連泊で。
確か、上り津軽で福島まで乗ってくると下り八甲田に乗り継げたと思う。また、上り津軽から下り津軽への乗り継ぎ、同じく上り八甲田から下り八甲田へ乗り継いで車中泊を続けた。
東北本線のどっかの駅だけど、いくら夏の日が長い時期とはいえ、撮影可能時間帯に東北本線を走るスジがあったか超疑問
ED75の横の駐車場に止まってるワンダーシビックも懐かしい。
思えば、ハコ(電車)ばっかり撮らないで、町とかも撮っておけばよかった。
この時は東北ワイド周遊券の有効期間14日をギリギリまでつかって、ほぼ全線を乗り切った。それも夜行14連泊で。
確か、上り津軽で福島まで乗ってくると下り八甲田に乗り継げたと思う。また、上り津軽から下り津軽への乗り継ぎ、同じく上り八甲田から下り八甲田へ乗り継いで車中泊を続けた。
急に変わって、只見線大白川
急行奥只見と小出行きローカルの交換
撮影時期がわからんけど、分民直前の気がする
浦佐発会津若松行き急行奥只見
この列車は薄暗い浦佐駅を出ると小出の上越線ホームに着いて、只見線ホームに転線する
駅に止まらないだけの鈍足急行だけど、会津若松まで4時間ぐらいかかるけど、窓は開くし気持ちよかった。
急行奥只見と小出行きローカルの交換
撮影時期がわからんけど、分民直前の気がする
浦佐発会津若松行き急行奥只見
この列車は薄暗い浦佐駅を出ると小出の上越線ホームに着いて、只見線ホームに転線する
駅に止まらないだけの鈍足急行だけど、会津若松まで4時間ぐらいかかるけど、窓は開くし気持ちよかった。
撮影機器:
感想
いろいろあって、山に行けない日々が続いています
家でだらだら写真の整理をしていたら、懐かしい写真が出てきたので、どなたかのレコで鉄道写真を載せておられたのを参考にさせて戴き載せてみました。
最初は分民後に行った、和田岬線と南紀遠回りです。模型作りの資料集めに確か梅小路にも行った思い出があります。まだまだ国鉄の色が濃かった南紀方面でした。
次は東北旅行の記録。おそらく昭和61年の9月、夜行連泊で乗りっぱなしの2週間。14日有効のワイド周遊券を最大限活用して最後は、1本だけ残っていた仙台発上野行きの「ひたち」で帰ってきました。
最後は昭和60年8月頃の只見線
あのころまだまだ当たり前にあった通票閉塞も今や知らない人も多いんだろうな
「通票ヨンカク」「ヨシ!」とか
山の写真はまったくありませんが、飽きずに(?)最後までご覧頂きありがとうございました。
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ED75最高です。旧型客車なつかしいですね。。。もっともっと乗りたかったなぁ
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