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最終更新:半袖大将
ミチノクコザクラに出会える津軽の霊山
岩木山は青森県にそびえる火山です。
独立峰であり、津軽平野に長く裾野を広げた姿は遠目でもよく分かります。秀麗な山体は、小説家・太宰治(だざいおさむ:1909-1948年)が、著作「津軽」において"嬋娟(せんけん)たる美女"と褒めそやしたほどです。
「津軽富士」の二つ名もあり、日本百名山の一座に選ばれています。
岩木山は3つのピークを持ち、それぞれは鳥海山(ちょうかいさん、とりうみやま)と巌鬼山(がんきさん、岩鬼山)、そして狭義でピークの1つを指す岩木山です。最高地点は岩木山(狭義)です。標高は1625mで、青森県で最も高い山です。
24時間監視される活火山
岩木山は成層火山です。古来、爆発を繰り返し、有史以降も複数回の噴火が記録されています。現在は気象庁の常時観測対象です。
山体の上部は直径800mの火口で、西半分は爆裂により欠けています。鳥海山と巌鬼山はこの外輪山上に並んでいます。岩木山(狭義)は、後からできた中央火口丘にあります。山頂部は溶岩塊や噴石が散見され、火山であることを色濃く表しています。
また、北東麓の十腰内(とこしない)や十面沢(とつらざわ)には「流れ山」と呼ばれる小山がいくつもあります。これは、火山活動による山体崩壊で岩屑なだれが発生し、流された岩塊が積み重なって生まれました。
岩木山は眺めるに角度によってさまざまな姿に見えますが、山頂の溶岩ドームや側火山、複数の爆裂火口があるためです。
「お岩木さま」で親しまれる霊山
岩木山は「お岩木さま」などとも呼ばれ、古くから人々の信仰を集めています。
南麓には岩木山神社(いわきやまじんじゃ)が鎮座しており、御神体は岩木山です。国の重要文化財である壮麗な社殿や楼門を構え、「奥の日光」と謳われます。
岩木山の山頂には、岩木山神社奥宮が祀られています。
岩木山神社で毎年催される「お山参詣」は、国の重要無形文化財に指定されています。
各集落から参拝者が集まり、「サイギ、サイギ」など独特のお囃子を響かせ練り歩く様は、津軽地方の秋の風物詩です。旧歴の8月1日には、未明からこぞって岩木山に登ります。山頂で御来光を迎え、五穀豊穣や家内安全を祈願します。
大岩がごろつく岩木山山頂
岩木山山頂はごつごつとした岩場です。
シンボルのように立つケルンは、中が空洞で鐘が吊り下げられています。このケルンの建設資材は、大勢の人がリレー形式で運び上げたことから「連帯の鐘」と名付けられています。
岩木山神社奥宮のほかに岩木山頂避難小屋、バイオトイレが設置されています。
遮る物がない大展望で、鳥海山や白神山地、岩手山や八幡平などの山々を望むことができます。また美しく広がる津軽平野や八甲田山も、海の向こうは北海道が見えます。
山頂に向かう5つの登山道
岩木山は、山頂に収斂するように5つの登山道が付けられています。各々に名前が付けられており、「嶽登山道」「百沢登山道」「大石赤倉登山道」「弥生登山道」「長平登山道」です。
よく選ばれているルートは「嶽登山道」と「百沢登山道」です。2つの登山道は、九合目を過ぎた鳳鳴ヒュッテ(ほうめいひゅって)で合流します。
「大石赤倉登山道」は信仰をいっそう感じられる道で、道中に33体の仏像が祀られています。
「津軽岩木スカイライン」で手軽に登頂も
津軽岩木スカイラインは、嶽登山道に沿うように作られた有料自動車道です。
69ものカーブを有するつづら折れは、岩木山がすっくとそびえることを物語るようです。
毎年6月末には自転車レースが開催され、かなり走り応えのある大会として知られています。
津軽岩木スカイラインを利用すれば、嶽登山道の8合目まであっという間に着くことができます。
8合目からは観光リフトで9合目に向かうこともでき、観光客も多く訪れています。
ぜひ見たい固有種「ミチノクコザクラ」
ミチノクコザクラは岩木山のみに自生する希少な植物で、「イワキコザクラ」の別名も持ちます。
1本の花茎から紅紫色の花をたくさん咲かせ、山肌を可憐に彩ります。花期は6〜8月で、百沢登山道の錫杖清水から種蒔苗代にかけてよく見られるようです。
桜との共演が美しい山
青森県の弘前城からも、岩木山を望むことができます。
弘前城は桜の名所として有名で、花の時期に望む岩木山は一見の価値があります。
さらに岩木山の南麓は桜の名所です。
"世界一長い桜並木"として、約6500本、総延長20kmにわたりオオヤマザクラが植えられています。「岩木山オオヤマザクラネックレスロード」の愛称が付けられ、岩木山を着飾るアクセサリーに見立てられています。
登山口 |
百沢登山道:岩木山神社 嶽登山道:嶽コース登山口、岩木山八合目駐車場 長平登山道:長平登山道 登山口 赤倉登山道:赤倉コース登山口 弥生登山道:弥生登山道一合目 新弥生登山道:新弥生登山口 |
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周辺の山小屋 |
※すべて無人の避難小屋 岩木山頂避難小屋 鳳鳴ヒュッテ 焼止りヒュッテ |
基本情報
標高 | 1624.7m |
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場所 | 北緯40度39分21秒, 東経140度18分11秒 |
青森県最高峰。旧暦8月1日にお山参詣の行事があり、津軽一円から集落ごとにお参りがある。朔日山(ついたちやま)のご来光を山頂から拝む。
【古い伝承】
蝦夷征伐の命を受けた坂上田村麻呂は、この地まで進んで来た時、神々の力を借りて平定しようと、山頂の岩木山奥の宮に対し、それまであった下居宮(おりいのみや)を北の十腰内(とこしない)に再建してここに岩木山大権現を祀った。神仏を同一視する本地垂迹(ほんじすいじゃく)がもてはやされた頃で、中央岩木山を阿弥陀様、南の鳥海山を薬師様、北の巌鬼山を観音様とする三位一体の信仰をするようになったのである。
ところが、下居宮から巖鬼山へ登山する者の間にケガ人や神かくしに遭う人が続出したので、寛治五年(1091)、神のお告げによって下居宮と十腰内赤倉口にあった岩木山光明院百沢寺を南麓に移した。これが現在百沢にある岩木山神社である。(青森山岳風土記・山田耕一郎1979より)
■火山防災情報
・気象庁 https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/activity_info/202.html
【古い伝承】
蝦夷征伐の命を受けた坂上田村麻呂は、この地まで進んで来た時、神々の力を借りて平定しようと、山頂の岩木山奥の宮に対し、それまであった下居宮(おりいのみや)を北の十腰内(とこしない)に再建してここに岩木山大権現を祀った。神仏を同一視する本地垂迹(ほんじすいじゃく)がもてはやされた頃で、中央岩木山を阿弥陀様、南の鳥海山を薬師様、北の巌鬼山を観音様とする三位一体の信仰をするようになったのである。
ところが、下居宮から巖鬼山へ登山する者の間にケガ人や神かくしに遭う人が続出したので、寛治五年(1091)、神のお告げによって下居宮と十腰内赤倉口にあった岩木山光明院百沢寺を南麓に移した。これが現在百沢にある岩木山神社である。(青森山岳風土記・山田耕一郎1979より)
■火山防災情報
・気象庁 https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/activity_info/202.html
山頂 | |
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山小屋 | 避難小屋あり(冬期使用不可) |
トイレ | |
展望ポイント |
山の解説 - [出典:Wikipedia]
岩木山(いわきさん)は、青森県弘前市および西津軽郡鰺ヶ沢町に位置する火山。標高は1,625 mで、青森県の最高峰。日本百名山および新日本百名山に選定されている。その山容から津軽富士とも呼ばれるほか、しばしば「お」をつけて「お岩木(山)」あるいは「お岩木様」とも呼ばれる。岩木山は円錐形の成層火山で、山頂は三つの峰にわかれており、弘前側からみた右が巌鬼山(岩鬼山)、左が鳥海山とされるが、これらは火山活動により生じた外輪山の一部である、山頂に一等三角点が設置されている。もともと山頂にあった直径800mの破壊された火口に溶岩ドームが生じて、現在の三峰のもとになり、それらの溶岩ドームは1万年より新しい。岩木山の西麓や南麓にも3個の側火山があり、他にも山腹に多数の爆裂火口がみられる。また、 山頂から北東にある赤倉沢の馬蹄形火口は大規模な山体崩壊を示しており、北東山麓の岩屑なだれ堆積物には、かつての崩壊の影響による、多数の流れ山地形がみられる。なお、岩木山の地質は安山岩(SiO2 56 - 64%)からなる。
比較的新しい火山のため、高山帯と広葉樹林帯の間に針葉樹林帯が見られず、ダケカンバがそのまま矮小化していく特異な光景が見られる。特産種であるミチノクコザクラ(ハクサンコザクラに近縁種で花がより大型である)と、本州では数少ないエゾノツガザクラなどの高山植物が自生している。
津軽富士とも呼ばれている郷土富士で、太宰治はその山容を「十二単を拡げたようで、透き通るくらいに嬋娟たる美女」と喩えている。富士山と同様に、古くから山岳信仰の対象とされ、山頂には岩木山神社の奥宮が置かれた。江戸時代には弘前藩の鎮守の山とされ、歴代の藩主が岩木山神社に寄進を行ったため、その社殿は荘厳なものとなり、「奥の日光」とも呼ばれた。
山域は1975年(昭和50年3月31日)に、津軽国定公園に指定され、南麓に広がる2,587 haの高原は青森県の岩木高原県立自然公園に指定されている。