丹沢
神奈川県
最終更新:Honoca
基本情報
標高 | 319m |
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場所 | 北緯35度33分16秒, 東経139度17分05秒 |
三増峠(みませとうげ・319m)は、神奈川県の愛川町三増と相模原市緑区根小屋を結んでいる峠。
■三増峠の合戦
永禄12年10月6日(1569年)甲斐の武田信玄と小田原の北条氏康軍とが三増の山野で大山岳戦を展開し、北条軍2万余騎は敗れ小田原に敗走した。両軍兵力3万3千、死者は4千人といわれている。
■江戸期から昭和初期まで、撚糸業が盛んであった愛川町の半原から八王子ー江戸を結ぶ別名”イトケードウ(糸街道)”と呼ばれていた。
生糸の流通が盛んで、横浜港・開港(安政6年・1859年)により、生糸の流通は増加した。古くからの難所であった三増峠には道中安全を祈願して大きな延命地蔵が建てられている(明和5年・1768年)
ここから八王子に至るには、さらに小仏峠(旧・甲州街道)を越さなければならず、往時の苦労が窺い知れる。
■現在の三増峠
峠の直下に、平成4年(1992年)1月に全長462メートル・全線舗装の三増トンネルが開通し、人々は峠越えの労苦から開放されることになった。
三増峠は、人気の稜線鞍部でも舗装路でもなく、いまは静かな一時を過ごしている。
■三増峠の合戦
永禄12年10月6日(1569年)甲斐の武田信玄と小田原の北条氏康軍とが三増の山野で大山岳戦を展開し、北条軍2万余騎は敗れ小田原に敗走した。両軍兵力3万3千、死者は4千人といわれている。
■江戸期から昭和初期まで、撚糸業が盛んであった愛川町の半原から八王子ー江戸を結ぶ別名”イトケードウ(糸街道)”と呼ばれていた。
生糸の流通が盛んで、横浜港・開港(安政6年・1859年)により、生糸の流通は増加した。古くからの難所であった三増峠には道中安全を祈願して大きな延命地蔵が建てられている(明和5年・1768年)
ここから八王子に至るには、さらに小仏峠(旧・甲州街道)を越さなければならず、往時の苦労が窺い知れる。
■現在の三増峠
峠の直下に、平成4年(1992年)1月に全長462メートル・全線舗装の三増トンネルが開通し、人々は峠越えの労苦から開放されることになった。
三増峠は、人気の稜線鞍部でも舗装路でもなく、いまは静かな一時を過ごしている。
峠 | 愛川町三増と相模原市緑区根小屋を結んでいる |
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分岐 | 小倉山に縦走可能 |
バス停 | 愛川町側に上三増BS、相模原市側に根古屋中野BS |
危険個所 |
付近の山
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