山梨県
最終更新:イグルスキー米山
基本情報
標高 | 1827m |
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場所 | 北緯35度32分47秒, 東経138度21分53秒 |
旧鰍沢町の最高峰。名前の由来は
「甲府市小瀬町の仁勝寺に、重要文化財の聖徳太子立像がある。太子像の由来を伝える縁起に、山名の起こりが書かれている。『新羅三郎義光公が奥州の安倍頼時征伐の際、この太子像に戦勝を祈った。これが通じて奥州攻めに成功、甲斐、出羽の両国を拝領した義光公は、太子像とともに甲斐に入国、十谷の里に居を構え、太子像を安置した。以来、ここを源氏嶽という。』義光は甲斐源氏の祖。須玉町の若神子に住んだといわれる。『甲斐国志』も、十谷説は根拠がないとしながらも源氏山のおこりとしている。」(山梨百名山 1998山梨日日新聞社)106pより。
鰍沢の小室〜出町峠〜源氏山〜足馴峠〜湯島の峠ルートは、その北の櫛形山池の茶屋ルート、南の十谷峠〜茂倉ルートと並んで、昭和初期までよくつかわれていた、とある。
「甲府市小瀬町の仁勝寺に、重要文化財の聖徳太子立像がある。太子像の由来を伝える縁起に、山名の起こりが書かれている。『新羅三郎義光公が奥州の安倍頼時征伐の際、この太子像に戦勝を祈った。これが通じて奥州攻めに成功、甲斐、出羽の両国を拝領した義光公は、太子像とともに甲斐に入国、十谷の里に居を構え、太子像を安置した。以来、ここを源氏嶽という。』義光は甲斐源氏の祖。須玉町の若神子に住んだといわれる。『甲斐国志』も、十谷説は根拠がないとしながらも源氏山のおこりとしている。」(山梨百名山 1998山梨日日新聞社)106pより。
鰍沢の小室〜出町峠〜源氏山〜足馴峠〜湯島の峠ルートは、その北の櫛形山池の茶屋ルート、南の十谷峠〜茂倉ルートと並んで、昭和初期までよくつかわれていた、とある。
山頂 |
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