奥秩父
埼玉県
最終更新:japanet
基本情報
標高 | 1196m |
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場所 | 北緯35度59分40秒, 東経138度54分11秒 |
煤川集落の背後にある壮絶な山。国土地理院地図に1,194m標高点がある北峰と双耳峰をなしている。南峰の標高は小鹿野町作成の白図によると1,196mとなっている。
煤川集落側は壮絶な岩壁になっており、また、左右に張り出した尾根も急すぎて登れない。煤川集落から登る場合は、譲沢集落との間にある尾根をたどり、行者山稜(中央山稜/辺見尾根)の1100m地点に達し、北峰経由で登頂する道があったとのことだが、現状は未確認。ゴゼヶ岳あるいは三合落岳から縦走もできるが、どちらから行くにしても難所があり、ザイル等の携帯が望ましい。(あえて言えばゴゼヶ岳からの方がやさしい。)
南壁に「鰐口」と言われる壮大な石灰岩の前傾壁を有し、かつてマルチピッチのアルパインルートがひらかれたことがあったが、2登の報告を聞かない。
煤川集落の東に、現在の煤川集落(上煤川)よりも大規模な集落(下煤川)があったが、江戸時代末期に煤ノ山の崩落(山津波)により、壊滅したと伝わっている。
↓山津波の伝承 原典:韮塚一三郎『埼玉県伝説集成・中巻』(北辰図書出版)
http://www.hunterslog.net/dragonology/DS/11365a.html
なお、この山津波については、発掘調査はされていないものの、文献、地籍調査が行われており、単なる伝承ではなく、実際に起こったことが証明されている。
煤川集落側は壮絶な岩壁になっており、また、左右に張り出した尾根も急すぎて登れない。煤川集落から登る場合は、譲沢集落との間にある尾根をたどり、行者山稜(中央山稜/辺見尾根)の1100m地点に達し、北峰経由で登頂する道があったとのことだが、現状は未確認。ゴゼヶ岳あるいは三合落岳から縦走もできるが、どちらから行くにしても難所があり、ザイル等の携帯が望ましい。(あえて言えばゴゼヶ岳からの方がやさしい。)
南壁に「鰐口」と言われる壮大な石灰岩の前傾壁を有し、かつてマルチピッチのアルパインルートがひらかれたことがあったが、2登の報告を聞かない。
煤川集落の東に、現在の煤川集落(上煤川)よりも大規模な集落(下煤川)があったが、江戸時代末期に煤ノ山の崩落(山津波)により、壊滅したと伝わっている。
↓山津波の伝承 原典:韮塚一三郎『埼玉県伝説集成・中巻』(北辰図書出版)
http://www.hunterslog.net/dragonology/DS/11365a.html
なお、この山津波については、発掘調査はされていないものの、文献、地籍調査が行われており、単なる伝承ではなく、実際に起こったことが証明されている。
山頂 |
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