東海
最終更新:中村ちりい
基本情報
| 標高 | 70m |
|---|---|
| 場所 | 北緯35度23分18秒, 東経136度56分21秒 |
愛知の山城ベスト50番外編の101番
| 山頂 | |
|---|---|
| トイレ | |
| 展望ポイント |
山の解説 - [出典:Wikipedia]
犬山城(いぬやまじょう)は、尾張国丹羽郡犬山(現・愛知県犬山市)にあった日本の城。天守のみが現存し、「現存12天守」の中でも最も古いとされる。天守が国宝指定された5城のうちの1つでもある。城跡は「犬山城跡」として、国の史跡に指定されている。木曽川南岸の高さ約88メートルほどの丘に築かれた平山城で、川を挟んで美濃国に接する位置にある。別名の白帝城は、木曽川沿いの丘上にある城の佇まいを中国・長江流域の丘上にある白帝城になぞらえたもので、李白の詩『早発白帝城』(早に白帝城を発す)にちなんで荻生徂徠が命名したと伝えられる。
前身となる岩倉織田氏の砦を織田信長の叔父・織田信康が改修して築いた城であり、その後、池田恒興や織田勝長が入城、豊臣政権の時に石川貞清(光吉)が改修し現在のような形となった。小牧・長久手の戦いの舞台の1つで、関ヶ原の戦いでは開戦前に西軍の重要拠点となっていた。
江戸時代に入ると徳川家康の九男・徳川義直により尾張藩が成立、付家老の平岩親吉が犬山城に入城した。親吉の死後、犬山領は一時義直の直轄地を経て、義直の付家老・成瀬正成の領有となる。以来、成瀬氏(犬山成瀬家)9代が明治まで城主として犬山城を居城とした。現存する天守が建てられた年代については天文期説、慶長期説などがあるが、現在のような姿となったのは成瀬正成が改修した1617年(元和3年)ごろである。
明治に入って一時愛知県の所有となったが、後述の経緯により、天守ほかが成瀬家当主の個人所有に戻された。しかし所有・保持に困難を伴うことから、2004年(平成16年)3月末日をもって犬山城は個人所有でなくなり、一族の中から城主に選ばれた成瀬淳子(第13代当主・成瀬正浩の妹)が理事長となって設立された財団法人犬山城白帝文庫の所有に移された(現在は公益財団法人)。江戸時代以前から現存する天守が現代まで個人所有だった例は他にないことから、「日本で最後まで個人所有だった城」と呼ばれることが多い。
2006年(平成18年)4月6日には、日本100名城(43番)に選定された。犬山市では失われた建造物の木造復元や、石垣、堀、土塁を調査して復元する計画もある。
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