近畿
求福教寺(ぐふくきょうじ) / 三濃山求福教寺
兵庫県
最終更新:徘徊王™(hi-king)@skiboy
基本情報
場所 | 北緯34度54分24秒, 東経134度26分54秒 |
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元 三濃山求福教寺(相生市矢野町三濃山)
平安時代の大同年間(806〜9)に一伽藍を建立し、真言の法窟としたといわれ、また「峰相記(みねあいき)」では貞観6年(864)に赤穂郡の長官であった秦造内麻呂(はたのみやつこうちまろ)が秦河勝(はたのかわかつ)の遺跡を訪ね、冥福を祈って観音寺を建立したと伝えられています。また平安末期には源義家(みなものとのよしいえ)が堂宇を再建し、三濃千坊の隆盛をみたが、保元・平治の乱で焼失して本堂だけ残り、三濃山観音寺として法燈が守られてきたと伝えられています。本堂の周辺には、往時の寺の礎石や五輪塔が残され、境内には大避神社と弁才天社が祀られています。(相生市教育委員会)
平安時代の大同年間(806〜9)に一伽藍を建立し、真言の法窟としたといわれ、また「峰相記(みねあいき)」では貞観6年(864)に赤穂郡の長官であった秦造内麻呂(はたのみやつこうちまろ)が秦河勝(はたのかわかつ)の遺跡を訪ね、冥福を祈って観音寺を建立したと伝えられています。また平安末期には源義家(みなものとのよしいえ)が堂宇を再建し、三濃千坊の隆盛をみたが、保元・平治の乱で焼失して本堂だけ残り、三濃山観音寺として法燈が守られてきたと伝えられています。本堂の周辺には、往時の寺の礎石や五輪塔が残され、境内には大避神社と弁才天社が祀られています。(相生市教育委員会)
トイレ |
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