東京都
最終更新:gezansya
基本情報
標高 | 1332.5m |
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場所 | 北緯35度48分29秒, 東経138度58分36秒 |
『宮内敏雄著 奥多摩 百水社 昭和19年発行』には
赤指尾根の事がこのように書かれております↓↓
大モリ尾根は峰谷川と小袖川を分水して、末は多摩川に潰える可成り長大な尾根をいふ。一に赤指尾根と云うのがこれである。千本躑躅ノ峰から真南に降下すると、ナラノキヤスン場を過ぎて1380mあたり赤指山となる。降って1332mの三角点はネドウチノ山ノ神だ。ネドウチとはネドはニタ・ヌタバで猪がヌタをうつ場所を示す語である。東京都でこれを岩茸と呼ぶのは、その小袖川側の都の植林地の字(あざ)で山名ではない。山稜は緩く東南に方向を変え、1230m閉鎖圏のウエンタワの頸部で、峰の部落舟久保から登って来て留浦に踰すキヂンワタリの乗越となる。次の1074m三角点が大平山(オデーロ)で、その東面を小留浦に踰す破線路がハチコクで、小留浦側の塔沢の沢沿いに登るタワミなので一口に塔沢ノハチコクと呼ばれる峠である。その東の独標1025mは有名な雨乞場ノ峰で、多摩川右岸から三角帽型に挺んでて眺められる山である。その北側を捲く道は、峰の部落から麦山への連絡路で中道と呼称がある。馬頭観音と呼ばれ荒れた堂宇が建てられてある。多摩川沿岸から峰谷川坂元部落への乗越でもあって、馬頭ノ乗越ともいう。そして真東に転じた余脈は小河内村のアタゴ山を崛して河内部落に終わるのである。
以下gezansya記
現在赤指山は1332m三角点の位置の所とされている。古い私製標識もある。しかし上の文を読むと1380m辺りとされ下ってネドウチ・・・としている。手元にある2.5万図(昭和50年発行)を見ると、三角点の北620mあたりに赤指山と記入文字があり、あきらかに三角点より離れている。赤指山の文字をはさんで上(北)に1290m圏、下(南)に1320m圏のピークがある。このいずれか或いは一帯が宮内氏の言うところの赤指山なのではないか。
5万図(昭和32年発行)を見ると標高点1364mピークの表現はなく、千本ツツジから南下する赤指尾根は1260m圏まで単純に下り、一旦1280m圏ピークが立ち上がりそして20m下りまた1332m三角点に上昇している。宮内氏はもしかしたらこの1280mピークを1380mと勘違いしたのか。
ちなみに1332m三角点名は「茸岩」である。
しかし今更赤指山をネドウチノ山ノ神には戻せないであろう。
赤指尾根の事がこのように書かれております↓↓
大モリ尾根は峰谷川と小袖川を分水して、末は多摩川に潰える可成り長大な尾根をいふ。一に赤指尾根と云うのがこれである。千本躑躅ノ峰から真南に降下すると、ナラノキヤスン場を過ぎて1380mあたり赤指山となる。降って1332mの三角点はネドウチノ山ノ神だ。ネドウチとはネドはニタ・ヌタバで猪がヌタをうつ場所を示す語である。東京都でこれを岩茸と呼ぶのは、その小袖川側の都の植林地の字(あざ)で山名ではない。山稜は緩く東南に方向を変え、1230m閉鎖圏のウエンタワの頸部で、峰の部落舟久保から登って来て留浦に踰すキヂンワタリの乗越となる。次の1074m三角点が大平山(オデーロ)で、その東面を小留浦に踰す破線路がハチコクで、小留浦側の塔沢の沢沿いに登るタワミなので一口に塔沢ノハチコクと呼ばれる峠である。その東の独標1025mは有名な雨乞場ノ峰で、多摩川右岸から三角帽型に挺んでて眺められる山である。その北側を捲く道は、峰の部落から麦山への連絡路で中道と呼称がある。馬頭観音と呼ばれ荒れた堂宇が建てられてある。多摩川沿岸から峰谷川坂元部落への乗越でもあって、馬頭ノ乗越ともいう。そして真東に転じた余脈は小河内村のアタゴ山を崛して河内部落に終わるのである。
以下gezansya記
現在赤指山は1332m三角点の位置の所とされている。古い私製標識もある。しかし上の文を読むと1380m辺りとされ下ってネドウチ・・・としている。手元にある2.5万図(昭和50年発行)を見ると、三角点の北620mあたりに赤指山と記入文字があり、あきらかに三角点より離れている。赤指山の文字をはさんで上(北)に1290m圏、下(南)に1320m圏のピークがある。このいずれか或いは一帯が宮内氏の言うところの赤指山なのではないか。
5万図(昭和32年発行)を見ると標高点1364mピークの表現はなく、千本ツツジから南下する赤指尾根は1260m圏まで単純に下り、一旦1280m圏ピークが立ち上がりそして20m下りまた1332m三角点に上昇している。宮内氏はもしかしたらこの1280mピークを1380mと勘違いしたのか。
ちなみに1332m三角点名は「茸岩」である。
しかし今更赤指山をネドウチノ山ノ神には戻せないであろう。
山頂 |
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