甲斐駒・北岳
孝行猿の碑(こうこうざるのひ)
長野県
最終更新:K.TAIRA
基本情報
標高 | 1294.2m |
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場所 | 北緯35度44分44秒, 東経138度05分37秒 |
孝行猿の碑は、市野瀬にある生涯学習センター「入野谷」の前に建っています。しかし元は、昭和41年3月に、伊那里小学校PTAが中心となって伊那里小 学校の玄関前に建てられていたものでした。この碑の建設しようとした動機は、「伊那里小学校沿革誌」(昭和43年発行)に次のように記されています。
建設の動機
「年寄が忘れ去られて邪魔者扱いにされ、青少年の不良化が叫ばれるこの時、わが郷土に言い継ぎ語り継がれてきた三匹の子猿の親思う故事を像にして、子ど もらに贈り、子どもらに親しんでもらいたいと考えた。また山国育ちのこの土地の者は、とかく人の出世や幸福を・・・えせんだりおとしめたりする短所がある ので、幼い時から人を立て人の幸福を喜ぶ素地を養い、人間愛を育てたいという願いをこめての贈物としたいと思った。」
碑石は、高さ180cmの大きな川原石で、中央部には孝行猿の説話を具象化したレリーフ(浮き彫り)を銅版で作って石にはめています。裏面には、「私た ちの郷土に、うつくしき故事ありて、永遠に愛と平和を祈りつつ、心をこめて、このレリーフを贈る。昭和四十一年三月 伊那里小学校PTA 製作者 藤澤古 實」と書かれています。
製作者の藤澤古實は箕輪町出身の優れた彫塑家であり、アララギ派の歌人として有名な島木赤彦の門下生で、歌人としても活躍しました。この碑には藤澤古實 が詠んだ短歌を3首彫り込んでいます。
,韻世發里痢 ̄遒箸い悗匹癲/討鮖廚奸,修里泙瓦海蹐蓮/佑砲とらず
息たえし 親を生かさんと かはるがはる 傷あたたむる 三匹の子猿
とこしへに 語りつたへん 信濃路の 孝行猿の 子の心あはれ
(国土交通省 中部地方整備局 三峰川総合開発工事事務所HPより抜粋)
建設の動機
「年寄が忘れ去られて邪魔者扱いにされ、青少年の不良化が叫ばれるこの時、わが郷土に言い継ぎ語り継がれてきた三匹の子猿の親思う故事を像にして、子ど もらに贈り、子どもらに親しんでもらいたいと考えた。また山国育ちのこの土地の者は、とかく人の出世や幸福を・・・えせんだりおとしめたりする短所がある ので、幼い時から人を立て人の幸福を喜ぶ素地を養い、人間愛を育てたいという願いをこめての贈物としたいと思った。」
碑石は、高さ180cmの大きな川原石で、中央部には孝行猿の説話を具象化したレリーフ(浮き彫り)を銅版で作って石にはめています。裏面には、「私た ちの郷土に、うつくしき故事ありて、永遠に愛と平和を祈りつつ、心をこめて、このレリーフを贈る。昭和四十一年三月 伊那里小学校PTA 製作者 藤澤古 實」と書かれています。
製作者の藤澤古實は箕輪町出身の優れた彫塑家であり、アララギ派の歌人として有名な島木赤彦の門下生で、歌人としても活躍しました。この碑には藤澤古實 が詠んだ短歌を3首彫り込んでいます。
,韻世發里痢 ̄遒箸い悗匹癲/討鮖廚奸,修里泙瓦海蹐蓮/佑砲とらず
息たえし 親を生かさんと かはるがはる 傷あたたむる 三匹の子猿
とこしへに 語りつたへん 信濃路の 孝行猿の 子の心あはれ
(国土交通省 中部地方整備局 三峰川総合開発工事事務所HPより抜粋)
山の解説 - [出典:Wikipedia]
『孝行猿』(こうこうざる)は、長野県伊那市に伝わる民話。伊那市指定無形民俗文化財。付近の山
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